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第二十一話 この復讐は僕のもの

公開日時: 2021年5月18日(火) 22:20
文字数:2,745


「さあ! 質問が終わったなら、早く教室に戻りますよ!」


 萱愛先生は僕の顔を見ずに、教室に帰るように捲し立ててくる。やはりこの人は、今の僕がどんな感情を抱いているのか……いや、そもそも自分の生徒がどんな人間なのか、まるで見ていなかった。


「萱愛先生、お言葉ですが、僕はもうあなたの言葉を聞きたくはありません」


 だから僕は、はっきり言ってやった。今の僕には『中身』が詰まっている。決して『空っぽ』ではない。この言葉は、僕の意志で発している。


「な、何を言っているの! あなたは先生の言うことが聞けないの!?」


 萱愛先生は信じられないといった表情で、目を丸くしている。横を見ると、扇さんは赤尾さんも僕を見て驚愕の表情を浮かべている。確かに今までの僕を見ていた人間からすると、驚くのも無理はないだろう。

 今の僕は、自分が不足していた空っぽの人間ではない。扇さんに提供された復讐心に操られている人間でもない。僕の中には、自分自身で背負うべき復讐心が沸き立っている。


「蓬莱くん! 先生のことをよく見て。あなたは先生の言うことを素直に聞くいい子だったはずよ。今はちょっと記憶喪失のせいで情緒不安定かもしれないけど、大丈夫。先生が君をきっと、元のいい子に……」

「萱愛先生。僕はあなたの言葉は聞き飽きました」


 そう、萱愛先生の言葉は、最初から僕には届いていない。僕のことなんてまるで見ていない彼女の言葉は、聞くに値しない。だからもう、聞きたくない。


「どうしてそんなことを言うの!? わかったわ、きっと赤尾さんに何かされたのね!? 赤尾さんは先生のクラスじゃないから、何か担任の先生に悪い教育を受けちゃったのね!? でも大丈夫! 先生がきっと赤尾さんを」

「黙れよ。萱愛キリカ」


 僕は……いや、おそらく記憶を失う前の僕も、目上の人間を呼び捨てにすることなんてなかっただろう。でも僕はそうする必要がある。僕が復讐するべき相手の名前を、しっかりと認識する必要がある。そのための手順だ。

 だけど萱愛キリカは……自分の名前が嫌いな彼女は、おそらく自分自身すら見ていない。自分が本当はどういう人間なのか知ろうとすらしていない。だからだろう。


「私をその名前で呼ぶなぁ!!」


 嫌いな名前を呼ばれただけで、『生徒を救う善良な教師』という理想的な自分さえ見失う。


「蓬莱実嵯人! 教師である私に向かって、その口の利き方はなんなの! 今すぐ私に謝りなさい!」

「それはできませんね。僕はあなたが嫌いだ。それこそ、復讐したいほどに」

「私の生徒はみんないい子なの! 私が導く以上、絶対にいい子にしてみせる! 私はそのために存在しているの!」

「……」


「私に復讐される謂われなんてない! 私は常に生徒のために動いてきた! そんな生徒たちが、私に復讐なんてするはずがない!」


 ……違う。


『例え憎まれるという形であっても、あなたの生きる目的になりたかった……』


 全然違う。


 萱愛キリカと扇綾香。僕を救いたいという意志は同じはずなのに、僕が受ける印象は全く違う。


 はっきりとわかった。僕が萱愛キリカに復讐するためには、何をすればいいのか。この僕の怒りを、憎しみを、そして扇さんの復讐心を晴らすためには何をすればいいのか、自覚した。

 だから僕は、扇さんに語りかける。


「扇さん、僕は君の思い通りにはならない」

「え?」

「これは僕の復讐だ。残念だけど、君の復讐じゃない。この復讐は、誰にも渡さない」

「蓬莱くん……?」

「だけど僕が復讐を成し遂げることで君を救えるなら……!」


 僕は決意する。萱愛キリカに向かって、全速力で突っ込む。


「なっ!?」


 虚を突かれた萱愛キリカは、そのまま僕の手によって体育館の壁に叩きつけられる。僕は両腕で萱愛キリカの逃げ場を塞ぎ、壁に押さえつけた。


「な、何をするの!」


 これから何をするのか? そんなの決まっている。


 僕の復讐を、完遂するんだよ。


「おおおおおおおおおおおおおっ!!」


 だから僕は、強く握りしめた右手を大きく振りかぶり、萱愛キリカの顔面に向かって思い切り振り抜いた。


「や、やめっ!!」


 萱愛キリカが悲鳴を上げ終わる前に轟音が辺りに響き渡った。壁に赤い血が飛び散り、白い壁を汚す。


「はあ、はあ、はあ……」


 僕の荒い息が口から次々とはき出される。突き出した右拳に伝わる痛みは、僕の行動を現実のものだと思い知らした。


「あ、ああ……」


 萱愛キリカはあまりの恐怖のためか、間の抜けた声を上げながらその場にへたり込む。僕の拳は萱愛キリカの顔面……そのすぐ横を通り過ぎ、後ろの体育館の壁を思い切り殴っていた。

 固い壁を殴ったために、右拳の皮膚が裂け、血が滴り落ちている。もしかしたら骨にもヒビが入っているかもしれないけれど、興奮のためか、そんなことは気にならなかった。

 そして僕はへたり込む萱愛キリカを見下ろす。


「わかりましたか萱愛先生……あなたの生徒は、人を殴ります」

「ひっ!」

「あなたの言う『いい子』なんてのは、あの教室にはいなかった……僕は、蓬莱実嵯人は悪い子です」

「あ、ああああ……」


「あなたの理想は、幻だった」


「ひ、ひいいいいいいっ!!」


 そして萱愛先生は、その場から這いずるようにして離れ、立ち上がった後に全速力で逃げていった。それを見た僕は、確信した。


 僕の復讐は今、終わったのだと。


「蓬莱くん!」


 扇さんと赤尾さんが僕に駆け寄るのと、僕の全身から力が抜けるのはほぼ同時だった。二人は倒れそうになる僕を支えてくれる。


「全く、扇綾香もそうだけど、君も無茶する人だねぇ」


 赤尾さんは安心したように僕に声をかける。確かに僕も、自分がここまでやる人間だとは思わなかった。


「蓬莱くん、どうして……」

「扇さん、僕の復讐はこれで終わった。だからもういいでしょ?」

「え?」


「君はもう、僕の復讐に囚われる必要なんてない。君の人生を生きればいい」


 そう。僕の復讐が終わったということは、扇さんももう、僕のために生きなくていいということだ。


「ですが、それでは蓬莱くんが……!」

「大丈夫だよ。僕はもう、生きる目的なんてなくたって、生きていける。だって、確信があるんだ」

「確信、ですか?」

「うん、おそらくもう、『僕』はもうすぐ消える」

「……え?」


 さっきから、僕の頭に次々と情報が蘇ってきている。今までの『僕』にはなかったはずの価値観や考え方が、次々と浮かんできている。おそらく、『僕』の時間はもう終わりなんだろう。


「じゃ、じゃあ蓬莱くん、記憶が……」

「そういうことだろうね。僕は元の僕に戻る。だからもう、何もない自分じゃない。一学期の頃と同じ、蓬莱実嵯人が戻ってくるんだ」

「でも私は、私は……!」

「もし不安なら、また僕を頼ってくれていい。だってそうだろ?」

「え?」

「あの時、『僕』は……」


 そしてその直後、蓬莱実嵯人の記憶は元に戻った。

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