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さらす
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第七話 反抗

公開日時: 2021年4月29日(木) 19:10
文字数:4,002


 その日の昼休み。

 朝の萱愛先生の行動を受けて、みんなもその話題についてヒソヒソと話していた。

 「どうして自分たちがこんなことを考えないとならないのか」や、「余計なことをしやがって」といった意味の言葉が、聞きたくないのに聞こえてくる。せっかく母さんが作ってくれたお弁当も、あまり味がしないように感じられた。

 しかし今の僕にとって、もっと気になるのは扇さんの動きだ。朝の出来事を受けて、彼女が僕に対してどういう印象を抱いたのかが気になる。まあ恐らくはさらに僕への印象は悪くなったとは思うけれども、昼休みになった今になるまで、まだ彼女は動いてはいない。

 だけど動いてはいないけれども、時折こちらの方をチラチラと見ていたような気がした。なんというか、こちらの出方を伺うような、そんな感じだった。その行動の意図はわからない。

 とりあえず扇さんがこのまま動かないのであれば、まずは当面の目的である、記憶を失う前の僕がどういう人間だったのかを探ることに集中するべきだろう。萱愛先生に聞いてもアテにならず、両親に聞いても学校での僕はおそらくわからないだろう。そうなるとあとは誰がいるか……


「ちょっと、蓬莱」


 考えを巡らせていると、いきなり声をかけられた。顔を上げると、背中の銀髪を揺らしながら、扇さんが僕に向かってくる。


「は、はい?」


 返事はしたが、扇さんの顔は不機嫌そうにしかめられていた。やはり朝の件で、僕に何か言いたいのだろうか。


「どういうつもり? アンタ、私から暴力を受けてるって萱愛先生に話したの?」

「……」


 どういうつもりと言われても、別に僕は萱愛先生に相談しようとしただけだ。何も悪いことはしていないはずだ。


「答えなさいよ。それともなに? 『僕は扇さんにいじめられています、助けてください』って萱愛先生に泣きついたの? 男のくせに」


 扇さんは僕を嘲るように笑う。その様子に僕の心にまた暗い感情が生まれた。そもそもなぜ、僕が悪いように言われるのか。扇さんが僕に暴力を振るっているのは事実だし、僕が誰かに助けを求めるのは当然の行動だ。萱愛先生があそこまで話を広めたのは計算外ではあったけど。

 そうだ、全てはこの扇綾香がいなければよかったんだ。どうして僕はこいつにやられっぱなしでないといけないんだ。それどころか、どうしてあざ笑われないといけないんだ。絶対にこんなことはおかしい。


「何とか言いなさいよ!」


 そして、扇綾香は腕を振り上げた。その腕が僕に振り抜かれることを、僕はこれまでの経験から察することができた。だから……


「えっ!?」


 その腕が振り下ろされる前に、僕は左手で掴んで止めた。掴まれた腕の持ち主である扇綾香は、驚きで身体が固まっている。


「あ……」


 そして僕と目が合った瞬間、その身体をビクリと震わせた。どうしたのだろう、僕はそんなにおかしな顔をしていただろうか。

 いや、というか僕は何をしているんだ? 今まで殴られる前に扇さんの動きを止めるなんてことはしたことがなかった。正直、怖くてできなかった。だけど今、現実に僕はその行動をたやすく行っている。

 考えてみれば、別に扇さんは運動神経がいいというわけでもない普通の女子だ。身長も僕より少し低いし、単純な腕力で言えば、男子である僕の方が強いに決まっている。だから彼女の腕を止めるなんてことは、普通に出来て当然のことのはずなんだ。

 そう、なら僕はこのまま彼女の暴力を黙って受けてやる道理はない。このまま受け止めればいい。だけど……


「……」


 僕も、扇さんも、互いの目を合わせたまま、何も言えずにいる。どうしよう、この次は、どうすればいいのだろう。単純に考えれば、この腕を放してやるべきなんだろうけど、そうしたらまた彼女は僕に攻撃するかもしれない。それを防ぐには……


 僕が、彼女が暴力を振るえないようにする? 力尽くで?


 でも、そんなこと……していいのだろうか。確かに僕は今まで散々彼女に殴られてきた。だけどそれで僕が彼女に復讐するのはあまりにも短絡的かもしれない。冷静になろう。

 だから僕は、扇さんの腕から手を放す。


「……」


 意外にも、扇さんはそれ以上僕に何かを言うわけではなかった。しばらく僕のことを見つめていたが、僕が何も言わないことを確認すると、黙って背を向けて自分の席に戻っていった。



 そして、放課後。

 僕は昼休みのことについてずっと考えていた。扇さんは僕が反撃しようとしたことについて咎めなかった。てっきり、彼女は『生意気だ』とでも言ってくるのかと思ったけれど、そうはならなかった。もしかして、扇さんは案外気が弱い人なのかもしれない。

 だけど気が弱い人が、あそこまで他人に暴力を振るえるとも思えない。なんというか、僕の知る扇さんと、実際の扇さんにどこか差異が出ている気がする。なんだろう、この違和感は。

 そんなことを考えると、ホームルームが始まるチャイムと共に、萱愛先生が教室に入ってきた。


「さあ皆さん、帰りのホームルームを始めますよ。ちゃんと蓬莱くんと扇さんについての意見は書いてくれましたね?」


 そんなことを先生が言うと、僕はそのことをすっかり忘れていたので、慌てて紙を取り出して、「話し合いが大事」とか適当なことを書いた。


「じゃあ、紙を集めましょう。じゃ、蓬莱くんと扇さんも前にでてちょうだい」


 萱愛先生が紙を集めるのと同時に、僕と扇さんが教壇に上がる。


「さて、それじゃ皆から集めた意見を先生が読み上げますね」

「え?」


 そして萱愛先生は、みんなが書いた「僕たちが仲直りするための意見」を、名前入りで読み上げ始めた。正直、これはかなりまずいと思うんだけど……

 案の定、みんなの意見の中には「お互いに謝る」とか、「話し合いで解決する」とかそんなものばかりだった。無難だとは思うけど、みんなは当事者ではないのだから、これ以上の解決策は言いようがないだろうなとも思った。

 そして全ての紙を萱愛先生が読み上げる頃には、ホームルームがかなり長引いていた。


「うん、みんなありがとうね。先生もみんなが一生懸命考えてくれて、嬉しいわ」


 萱愛先生はうんうんと頷いている。


「じゃあ、みんなの意見を総合して、二人ともお互いに謝ろうね」

「……はい」

「……」


 萱愛先生の言葉に扇さんは返事をするが、僕は納得いかなかった。そもそも僕は一方的に暴力を受けた側なのに、なぜ扇さんに謝らなければいけないのだろうか。


「蓬莱くん、君も扇さんに謝るよね? 扇さんと元通り仲良くしたいよね?」


 萱愛先生はニコニコと僕に問いかけるが、どうしても僕は納得がいかない。こんなものはおかしいと思う。


「萱愛先生、僕は謝りたくありません」


 だから僕は、先生に初めて反抗した。


「え……?」

「だっておかしいじゃないですか。僕は扇さんに殴られているんですよ? それに僕は彼女に何かしたわけでもないし、一方的に理由もなく殴られているんです。それなのにどうして僕が謝らないといけないんですか?」


 僕としては、当然の意見を言ったまでだった。だけど、こんなことを言ったらどうなるかは、僕にもなんとなく予想は出来た。


「何を言ってるの蓬莱くん! どうしてそんなデタラメを言うの! ちゃんと仲良くしなきゃダメじゃないの! これはそのために必要なことなのよ!」


 案の定、萱愛先生は僕に怒鳴り散らしてきた。だけど僕はここで引き下がりたくはない。僕はもう、流されるままでいたくない。


「でも先生、僕は扇さんには謝れません。その代わり、扇さんも僕に謝らなくていいです。僕に対する暴力を止めてくれさえすれば、それでいいんです」

「ダメよそんなことじゃ! あなたたちはきっとわかり合えるのよ! 難しいかもしれないけど、諦めちゃダメ!」

「いやその、萱愛先生……そもそも僕は扇さんと仲直りしたいわけじゃなくて……」

「蓬莱くん! わかったわ、きっと先生の言葉がまだ届いていないのね。大丈夫、ちゃんと先生が君を良い子に戻してあげるから! 諦めないで! とりあえず、今日はもうホームルームは終わりにしましょう」


 萱愛先生は一人で何かを納得したように頷くと、ホームルームを終わりにして、教室を出て行った。……なんというか、あの先生も少し厄介そうだ。

 だけど今日、僕はやっと自分の意志をはっきり言えたような気がする。記憶を失った僕だけど、少しずつ自分の意志が確立していった気がする。そのことは、悪いことではないと思った。


 その後、教室を出ようとすると、赤尾さんが教室の前で待っていた。


「やあ、蓬莱くん。君のクラス、ホームルームがすごく長いんだねぇ」

「赤尾さん……」


 赤尾さんは左手で髪をいじり、右手に豆乳飲料を持っている。なんかこの人、いつも豆乳飲んでないか?


「あの、もしかして一緒に帰ろうと待っていてくれてたんですか?」

「当然だよねぇ。君には実感ないだろうけど、私は君の彼女だからねぇ」


 だけど僕としても、帰りを待ってくれている彼女がいるのは悪い気がしない。そう思っていると……


「ちょっと、蓬莱。なんでこんなヤツと話しているのよ」

「扇さん……」


 なぜか扇さんが、僕たちの間に割り込んできた。


「赤尾、アンタまだ蓬莱と仲良くしてるの? こんなのと付き合うなんて、アンタも物好きだよね」

「はは、言ってくれるねぇ扇綾香。だけど私が誰と付き合おうが勝手なんだから、放っておいてくれるかなぁ?」


 あれ、この二人って知り合いなのか? しかしよく考えたら、扇さんが僕の記憶を奪ったことを僕に教えたのは赤尾さんだ。以前から知り合いなのもおかしくはないか。


「蓬莱くん、ちょっと遅くなりそうだから、先に帰っててくれるかなぁ?」

「で、でも……」

「大丈夫だよぉ。すぐに追いつくからさぁ」

「……わかりました」


 ……しかしやっぱり、仲は良くないらしい。扇さんがなんでここまで赤尾さんに突っかかるのかわからないが、とりあえずここは引き下がっておこう。そう思って、僕は校門で赤尾さんを待つことにした。

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