◆あらすじ◆
金さえもらえば何でもこなす。そう揶揄される便利屋バアルは、汚れた裏世界から目をそらすよう、フィクションへと現実逃避していた。
「やっぱ幼馴染純愛モノは最高だぜェ……」緩み切った思考が頭を支配していた時、渡された一冊の本に、今回の依頼主からの招集があった。
依頼内容は、最近急成長したギルドの調査。バカバカしいと思いつつ潜入したギルドは、他のギルドとは様子が異なっていた。
依頼抜きに興味が出てきたバアルは、誰も知らないギルマスの裏の顔を知ることになる。
剣を握り、対峙する相手は、節々から湯気を上げるゴーレム。
じっとりと周囲に湿気を撒き散らしながら、黄色く光る眼で俺を睨みつける。
互いに相手の出方を見極めるよう、硬直してどれほどの時間が経っただろうか。
俺の持つ剣では、この岩の巨体を斬り刻むのは無理だろう。
けれどそれでも、俺はコイツを倒さなきゃならん。俺の力を示すために。
◆ ◇ ◆
それは数日前。本好きの俺に差し出された、ハードボイルド小説に挟まれたメモから始まった。
俺の好みは、そんなクソみたいな現実をフィクションで塗り固めたモノじゃねえんだが……。
どうやら、相手さんは俺の本の好みも分かっちゃいないらしい。
そして呼び出された先もまた、辛気臭い薄暗い部屋だった。
そこに座る年寄りもまた、俺好みじゃねえんだよなぁ……。
「お前が依頼人さんかい?」
「そうだ。君が、金さえ払えばなんでもやると有名な便利屋か」
「そうだ。で、そんな俺に何の依頼だ?」
「うむ、あるギルドを調べてほしい」
「は? んなもん、その辺の調査員でも送りこみゃいいだろ」
「それで済む話なら、高い金出して君を呼ばんよ」
「なるほど……。つまり、中のヤツを数人消して欲しいのか?」
「いや、調査だけだ」
「おいおい、俺のことバカにしてんのか?」
「おや、金さえ積めば動くと聞いていたのだが、偽情報を掴まされたか?」
「フン……。まあいい、貰うモン貰えるなら、やってやろうじゃねえか」
「それでいい。調査対象だが……」
そうしてやってきた街は、石造りの灰色で塗りつぶされた場所だった。
ひときわ大きな塔がそびえ立ち、街に入る前から目を引く。
調査対象へと向かうべきだが、まずは気になった塔の下へと俺はやってきたのだ。
ふむ、やはり外から見えるだけあってでかいな。
街と同じく石造りで、ハリボテじゃなければ、10階分くらいはありそうな高さだ。
何より気になるのが、下から見上げても十分視認できるほどに大きな、円状の模様と数字が描かれている。
二本の棒が数字を指し示しているが、それが何かはよくわからなかった。
その模様をよく見ようと後退りすれば、背中にボフッと何かが当たる感覚。
さっと後ろを振り返れば、若い男が尻餅をついていた。
「おっとすまん、塔を見ていたもんでな」
「いえ、こちらこそスミマセン。あまり前がよくみえていないもので……」
手をさし、引っ張り起こす。
あまりに軽くて、少し驚いた。
しかし街も変だが、コイツも変な格好をしているな。
手は革製の厚手のグローブをしているし、顔には対瘴気用のガスマスク。
体も分厚い服に全身覆われていて、この格好なら瘴気のカタマリに突っ込むことだってできるだろう。
そして目の様子が歪むほどに、分厚いガラスのゴーグル。
そりゃこんなモン付けてたら、前が見えなくて当然だ。
「スミマセン、ありがとうございます」
「こっちこそ悪かったな」
「時計台を見ていたってことは、もしかして、この街は初めてですか?」
「あぁ、今きたところだ。時計台ってのは、コレのことか?」
「ええ。みなさんビッグベンって呼んでます。
ホントは、別の時計台の名前なんですけどね」
「そうか。ってことは、他にもあるんだな。
俺は初めて見るんだが……。この街のシンボルか」
「そうですね。でも、それだけじゃないんです。
これで、時間がわかるんですよ。今は短針が10を指しているから……。
って、やっばい!! 遅れる!! スミマセン、もう行かないと!!」
「おっ、おい! あー、行っちまった……」
説明の途中で、変な格好の男はかけていった。
結局、時計台ってのがなんなのか、よくわからなかったな。
ふと足元から、金色の光がさす。
見てみれば、そこには金色のリングが落ちていた。
指輪……、にしては無骨で、輪の径が小さく、指が入りそうにない。
ふちも太く、その縁には台形の凹凸が付いている。
「この街の硬貨かなにかか……?」
さっきからよくわからないものだらけだ。
おそらくさっきの男の落とし物だ。とりあえず拾っておこう。
もしまた会うことがあれば、渡してやればいい。
そう思い、その金色の円盤をポケットに仕舞い込んだ
ともかく、俺もそろそろ仕事に戻るとしよう。
「ここか……」
街を見回しながらも、俺は一つの建物の前へとやってきた。
他のものと同じく、灰色の石造りの無骨な建物だ。
まるで生命を感じない街並みだが、木製のドアだけが生き物の気配を放つ。
ま、それも相当古めかしいんだけどな。
『調べて欲しいのは、冒険者ギルドだ』
『ほう、同業他社の調査ってワケか。
しかし、調査員で調べられないとは思えないな』
『我らも最初はそう考えていた。だが、上がってくる報告全てが実情と噛み合わんのだ。
だからこそ君にお鉢が回ってきたのだ』
依頼人が言うには、街の様子よりもここは異質だということらしい。
どうにもそんな気配はしないが……。
◆ ◇ ◆
警戒するに越したことはない、そう思い直し扉を開いたのが数刻前。
今ではゴーレムの前に居るのだから、本当に異様な場所だったな……。
睨みをきかせるゴーレムは、いつまでも動く様子はない。
俺を警戒しているのか、もしくは先手を譲ってやるというのか……。
こうしていても仕方ない。仕事の邪魔なら、斬り捨てるしかあるまい。
ダッと走り寄り、一撃蹴りを入れる。
当然ゴーレムにそのような攻撃が効くはずもなく、俺はゴーレムという名の壁を蹴り、元いた場所に戻っただけだ。
ふむ、どうやらホンモノのゴーレムらしい。つまり、斬撃は通らないと考えるべきだ。
ならば、狙う場所は限られてくる。湯気の噴き出る、関節部分だ。
次は俺の番だというように迫り来るゴーレムの拳を避け、俺はその腕の付け根、肩との隙間を突く。
ビィィィンといった、痺れる感覚が腕を襲う。
だが、確実に「刺さった」という手応えも同時に伝わった。
「このままっ! 貫くっ!!」
もう一段力を込め、勢いよく剣を押し込めば、ガリッという感覚とともに、剣はゴーレムの関節を貫いた。
その瞬間、相手は痛みに唸るようなこともなく、ただ静かに力なく動きを止め、目の光を消した。
同時に吹き出していた湯気も弱まり、ゴーレムは完全なる沈黙に落ちる。
「お疲れ様でした〜! すごいですね!
この試験でゴーレムを倒した人は、あなたが初めてですよ!」
見ていたギルドの受付嬢、マリーは、笑顔でタオルを差し出す。
まったく、ここのギルドはホントどうなってんだ……。
試験に実戦、それも本物の魔物、しかもゴーレムとは、入団させる気0なんじゃなかろうか。
「っておい、倒さなくてよかったのかよ!」
「誰も倒せるなんて思ってませんもの。
うまく立ち回れれば、それで合格ですよ?
むしろ不合格者を出さないのが、当ギルドの方針ですので。
あ、これは内緒にして下さいね?」
「それは、合格者以外は全員死んでるって話じゃねえだろうな?」
「そんなわけないじゃないですか〜」
「しかしゴーレムなんて、手加減させるように調教できないだろ?
普通は暴れて、試験受けにきたヤツ死ぬぞ?」
「さあ? よくわかんないです。私はただの試験管なので。
でも、私が見てきた中で、暴走したことなんてないですけどねぇ」
わからず使っているのか……。
しかし、ゴーレムなんて、知能を持たない、使役には向かない魔物第一位なんだがな……。
ともかく、合格できたのなら問題ないか。
あとはうまく、このギルドの中枢に入り込むだけだ。
「で、合格なんだな?」
「はい! 魔力測定の結果も出てますよ!
ホントすごいです! 闇の魔法適正が70もありますよ!」
「ちょまっ!? そんなことわかんのかよ!?」
「ええ! 全属性の適正を調べることができる装置ですので!
この数値なら、隠密行動・諜報活動・暗殺などなど……。色々なお仕事を斡旋できそうです!」
「待て待て、俺は石板に手を当てただけだぞ!?
んなもんで、なんでそんなことまで分かる!? 適当言ってるだけだろう!?」
「えー? 私に聞かれてもよくわかんないですよぉ……。
いいじゃないですか、十分な素質なんですから!」
「あーっとだな……。ちょっと待ってくれ」
まさか本当に石板に手を当てるだけで特性を見抜かれるとは……。
しかも、隠蔽したはずが全部筒抜けだ。
これでは怪しまれる。うまくごまかさなければ……。
「それ、やり直すことはできないか?」
「どうしてです? 結果が悪いならともかく、とても優秀ですよ?」
「その……、ここに来ることになった原因でもあるんだがな……。
闇の魔力があるってのは、バレると色々マズいんだよ。わかるだろ?」
「あー、なるほど。確かに、他の人はいい顔しないかもですねぇ……。
ギルドとしては、とってもありがたいんですけどね?」
「そういうことだからさ、誤魔化してくれねえか?
できれば、ギルドの上にも知らせないで欲しいんだ。
もう、仲間に白い目で見られながら仕事するのは嫌なんだよ……」
「うーん……。仕方ないですねぇ!
私たちだけの秘密ってことにしましょう。
闇の魔法適正の数字は、少し下げておきますね」
「そうしてもらえると助かる」
「そのかわり、ちゃんと成果上げてくださいよ?」
「お、おう。任せろ」
最悪の出だしだ。まさか受付嬢ごときに弱味を握られるとは……。
どうやら考えが甘かったようだ。もっと慎重に動かなければ……。
しかし、今までの諸々は調査員にだって分かることだ。
異常であるが、それ以上のことがあると考えた方がいい。
『で、そのギルドのなにがおかしいんだ?』
『成績が良すぎるのだよ。
どれほど優秀なギルドマスターであろうと、有り得ぬ数字と思わせるほどにな』
『なるほど、営業成績が負けてるから、秘訣を知りたいと?』
『言葉を選ばず言えば、その通りだ。
このままでは、我らの立場が危うくなる』
『ギルド同士で競わせるのが、国の方針だろ?
それに反してまで、やることなのか?』
『秘訣を共有すれば、全ギルドの成績が上がる。
そうなれば、今以上にギルドの効率は良くなる。
むしろ国が率先して調べ、各ギルドに指導すべきだと私は思うがね』
『なるほど、違いねぇ』
試験の方法は普通じゃない。だが、それが成績に関わるかと言えば違うだろう。
なにせ、全員合格にしてるって話なんだからな。その話が嘘でなければ、という前提だが。
「では、次は担当受付さんを決めていただくのですが……」
「なんだそれ!?」
「え? ご存知ないですか?
当ギルドでは、登録された冒険者のみなさんに、担当の受付を付けることになっているんです。
冒険者さんの活躍次第で、受付も査定されるシステムなんですよ」
「おいおい、受付嬢なんて、入ってきてる仕事を斡旋するだけだろ?
んなもん、誰がやったって……」
「黙りなさい」
ひやっとした空気が流れる。
今まで笑顔だった女の顔が、ゴミを見るような冷たい目に変わっていた。
コイツ、まさかかなりのやり手か……?
「このシステムを否定するのは、お姉さまを否定すると同義。
それを誰が許したとしても、私が許しません。いいですね」
「ちょ……、悪かったって。そんなムキになるなよ……。
聞いたこともない話だったんで、戸惑っただけだっての」
「チッ……」
うわっ、舌打ち!? マジかよコイツ。
冒険者相手にこんな態度とる受付嬢なんて、今まで見たことねえぞ?
「教育が必要のようですね。
受付なんて誰がやったって同じ。だとすれば、冒険者の大半が命を落とします。
相手の力量を正確に測り、無理のない範囲の仕事、その上で相手の能力を伸ばす、成功と失敗ギリギリの仕事を斡旋する。
それだけの眼力がなければ成立せず、そして受付と冒険者、互いの信頼関係がなければならない仕事です。
だからこそ試験は厳格であり、担当の受付を付けるのです」
「つまり、冒険者を育てる先生が、受付嬢ってことか?」
「そうです。ですので、他は知りませんが、当ギルドでは受付に対する侮辱は許されません。
そして侮辱される程度の受付は、遅かれ早かれここを出ることになるでしょう」
「なるほど。悪かったよ、お前らの仕事をみくびっていた。
あ、お前なんて言うのもダメか」
「いえ、どの程度なら構いませんよ。
わかってくれたのなら、嬉しいです」
冷たい空気が、笑顔とともにパッと明るいものへとかわる。
いやはや、本当にここは、かなり特殊な場所のようだな……。
「では、こちらへどうぞ」
「おう」
扉を開け、ギルドのメインホールへ入る。
まだ早い時間というのもあって、人はまばらだ。
その中で、ジジイの域に片足を突っ込んだくらいの歳の男が声をかけてきた。
「おっ、マリーちゃん。今日も可愛いねぇ」
「あら、ゲンさん! お身体の調子はいかがですか?」
「おかげさまで、元気も元気! 君らのためにも、まだまだ頑張らんとな!」
「無理はなさらないで下さいね?」
「無理などしとらんよ。ところで、そっちのは新入りさんかい?」
「ええ。今から受付を選ぶところなんです。
あ、もし迷惑じゃなければ、ゲンさんにお願いできませんか?
私だと、公平な説明にならないかもしれないので……」
「おう、任せときなさい。
ま、ワシのおすすめはマリーちゃんじゃがの。
早く正職員に上がってくれんかのう……」
「へへへ、頑張りますね! それでは、お願いします」
ぺこりと頭を下げ、彼女は去ってゆく。
若い女の尻を目で追う、ゲンさんと呼ばれたジジイは、十分に堪能したのか、俺に向き直った。
「おぬし、マリーちゃんに手を出そうものなら……」
「出さねえよ!」
「なら良い。マリーちゃんは、ワシが孫のように可愛がっておって……」
「身の上話はいい。説明をしてくれないか?
まさか、マリーちゃんに頼まれたのに、仕事を放棄する気か?」
「おっと、そうじゃったな。ワシはゲン。このギルドの古株じゃ」
「バアルだ。ワケあって、ここに世話になることになった」
「まさかおぬしも、ギルマスの噂を聞いたクチか?」
「ギルマスの噂?」
「なに? 知らんのか?
このギルドを三大冒険者ギルドに押し上げた、アゲマンギルマス、アビィの話じゃ」
「あー、有名ギルドだってのは聞いたことがあるが……」
「受付システムを作ったのも彼女じゃ。
もとより、アビィも現役受付なんじゃがな」
「そうか。それは興味あるな……。
ソイツに担当してもらうってのはできるのか?」
「定員オーバーじゃ。なので、入りたければ誰かを落とすしかない」
「ほう……。落とすなんてシステムもあるのか」
「本人の変更希望か、受付からのクビ宣告が必要じゃがな。
じゃが、チャンスがないわけではない。
彼女は一人、落ちこぼれを抱えておるからな。
申請だけしておけば、回ってくるかもしれん。
その間はフリーで居ればよい」
「なるほどな……。フリーってのもいいかもな。
その間に、他に気に入ったのが見つかれば、ソイツのトコに入ることもできるしな」
「じゃろうじゃろう。フリー仲間ができて嬉しいわい」
「ゲンさん? またフリー増やそうとしてません?」
「ひゃっ!?」
すっと背後に近付いたマリーに、ゲンさんはびくりと肩を震わせた。
なるほど、さっきのはこのジジイのいつもの手なのか。
ぐにぐにと頬をつねられながら、ゲンさんはなんとも情けない声をあげていた。
「バアルさん、この街自体初めてですし、よくわからないと思うんでフリーでもいいですけど、早めに決めて下さいね?
ソリが合わないと思ったら、後から変更だってできるんですから!」
「ああ、わかってる。受付嬢とは、互いの信頼が必要なんだったよな」
「そうです! ゲンさんは私が正規になるまでフリーで粘る気みたいですけど!」
「だって、ワシはマリーちゃんがいいんじゃあ……」
「もうっ!」
まったく、仲の良いことで……。
しかし、これは都合がいい話だ。フリーでいれば、ギルドの内情を調べることもできる。
万一探りを入れていることが知られても、誰がいいか調べていたなんて言い訳も立つからな。
「それじゃ、ギルマスのアビィだっけ? ソイツに希望だけ出していいか?」
「えー!? ホントにフリーで居る気ですか!? 取れる仕事が限られますよ!?
それにお姉さまだって、落ちこぼれの彼を外す気もないでしょうし……」
「ほう、その落ちこぼれってのは、ギルマスのオトコってことか?」
「おい、殺すぞ」
一瞬で、マリーの瞳から光が消える。
どうやらコイツは、ギルマスのことを少々敬愛しすぎているようだな。
「ちょま、そんなムキになんなよ。でもよ、優遇するならそんな噂が立つだろ?」
「チッ……。ただの幼馴染ですよ。だから見捨てられないんです!
お姉さまは、情に厚いお方ですもの……」
マリーは、まるで神に祈るような姿勢で、空想上のギルマスアビィへと目を輝かせている。
そこまでされると気になってくるな。そんなにいい女なのか、俺が見極めてやろう。
何より、ソイツがこのギルドの好成績の原因なんだからな。
「っと、噂をすれば何とやらじゃな」
「ん? 本人が来たのか?」
「いや、落ちこぼれの方じゃ」
「どいつだ?」
「あれじゃ、あれ」
指さす先には、時計台の下で出会った男が居た。
へこへこと他の冒険者に頭を下げながら、なにやら話しているようだ。
これはありがたい、話すのにちょうどいい相手じゃないか。
俺は気さくな雰囲気を作り、おーいと声をかけた。
「よっ!」
「へっ!? えっと、どちら様で……」
「なんだよ、朝から会っただろ? 時計台の下でさ」
「あっ、あの時の……」
「俺はバアルだ。今日からこのギルドで世話になる。よろしくな」
「はい、ボクはナルっていいます」
ペコリと頭を下げるナル。俺は手を差し出していたのだが、どうやらまた見えていないらしい。
コイツ、こんなんでよくやってられるなと思う。落ちこぼれ扱いも納得だ。
「そうそう、これ落としてたぞ。お前のだよな?」
「あっ、これは……。ありがとうございます。探していたんです」
ポケットから、金のリングを取り出し渡す。
どうやら大事なものだったらしく、両手で受け取り再び頭を下げた。
ん? コイツ、こんな小さなものは見えてるんだな……。ってことは、さっきのはわざとか?
もしかすると、意外と用心深いのかもしれんな……。ここはひとつ、仕掛けてみるか。
「おいおい、そんな距離を取ろうとすんなよ。握手くらいしようぜ? な?」
「えっと……。はい……」
もう一度手を差し出せば、恐る恐るといった風に手を出してくる。
しかしその手には、分厚いグローブ。こりゃ、完全に警戒されていると見ていいな。
となれば、最終手段だ。
「ったく、なに怖がってんだよ? それに握手すんのに、グローブくらい外せっての!」
「あっ! ダメ!」
無理やりグローブをぶんどってやり、がっしりと握ってやる。
すると、ガタガタとナルは震えだし、膝までガクガクといわせ始めた。
そして俺の腕を振り切り、逃げるように部屋の奥の扉へと駆け込むのだ。
「おっ、おい! どうしたんだよ!?」
扉まで駆け寄るも、中から鍵がかけられていて、扉は開かない。
けれど、音だけは聞こえてきた。うーん、どうやらこれはゲロってる音だな……。
見れば扉には、便所を示す印が掲げられていた。
「なんなんだ一体……」
「ちょっとアンタ」
「ん?」
かけられた声に振り向けば、そこには赤毛の女が立っていた。
しなやかに鍛え上げられた身体から、冒険者って雰囲気だ。
しかし、装備は貧弱。肌も日に焼けていないし、元冒険者ってトコだろうか。
そしてなによりも目立つのが、そのバストサイズ。
うむ、これはなかなかに、見ごたえ、揉みごたえがありそうだ。
おっといけない。そんなことで気を緩めちゃ、仕事に支障が出るな。
悟られないよう、なんでもない雰囲気で居なければ。
「なんだ?」
「気に入らないねぇ……。ウチのモンには、ワケアリも多いんだ。
それをアンタの価値観で無理やり従わせるなんて、放っておけないな」
「なんだよ、握手くらい普通するだろ?」
「アンタの普通を他のやつらに押し付けるなって言ってんのさ。
それとも何かい? アンタは、今すぐここで切り付けられても、ココでの普通なら抵抗しないつもりかい?」
「んなわけねえだろ!? んな普通があってたまるか!!」
「なら、相手にも同じだ。アンタの普通を押し付けんじゃないよ!」
「はぁ!? 意味がわかんねぇ!」
「あー。お二人さんよ、その辺でな……」
俺たちの間に割って入ったのは、ゲンさんだった。
「バアル君はの、今日来たばかりじゃて、あの子のことをよく知らなかったんじゃ。
ここはワシの顔に免じて、許してやってはくれんか?」
「んなこたぁ知ってるさ。アタシが言ってんのは、ココの最低限のルールだよ。
まあいい。ゲンさん、その辺もちょいと教えてやっとくれるかい?」
「任せておいてくれ」
「アンタも、気に入らないことがあっても、相手に事情があるかもと考えてから行動するんだね」
「…………」
「まぁまぁ。ちゃんと説明するで、ここははいと言っておいてくれんか?」
「わーったよ。悪かったな」
意味は分からないが、どうやらアイツの恰好にも、それなりの理由があったらしい。
ま、俺にとっちゃあ、やりたいことはやれたから文句はないがな。
そんな俺を置き去りに、女は便所のドアを蹴破り、中で吐き続けているもやし男を引っ張り出す。
そして首根っこをつかみ、ずるずると引きずりながら、別の部屋へと連れてゆくのだった。
両手で口を押さえながら引きずられるその様子は、さすがに悪いことをしたと罪悪感が湧いてきた。
「なんだったんだ、あれは……」
「あれがギルマスのアビィと、そのお気に入りのナルじゃ。
情けない姿を晒したと、ギルマス室でお説教じゃろうな……」
「あー……、ご愁傷様。しかし、アイツはなんであんなに取り乱したんだ?」
「詳しくは省くが……。ちょいと昔に事故があってな、それからは極度の人間嫌いになったんじゃ。
あの恰好も、他人と極力接しないための、心の壁が具現化したモノなんじゃよ」
「はー……。ワケアリってのは、そういうことか」
「このギルドには、他にもワケアリが多い。
なにせ、どこのギルドにも入れん奴らが、最後に頼る場所じゃからの」
「そうだったのか。成績がいいとは聞いていたが、そういう場所でもあるのか」
ってことは、そんな奴らを束ね、そして使える人間にしているあの女は、相当のキレ者なんだろうな。
まー、粗暴なあの振る舞いと、ポンコツとは言え幼馴染をあんな扱いするヤツなんで、俺は気に入らねえがな。
なにせ俺は「純愛幼馴染モノ小説」が大好物なんでな。暴力系幼馴染は、それこそゲロが出るぜ。
「まぁ、あの子はその中でも重症じゃ。今回は運が無かったって思ってくれ」
「そうだな。ま、あの二人には近づかないでおこうか。
それじゃ、俺は受付嬢の一覧でも見るとするか。
希望は出したが、アイツの下でやっていけるか不安になったしな」
「そうかそうか。ゆっくり考えるとよい」
ゲンさんと分かれ、俺は受付嬢のプロフィールが張られたボードの前へ移動した。
すでに担当が決まってる奴らにとっては、用のない場所のはずだ。一人で集中するには、ちょうどいいだろう。
すっと目を閉じ、目印を辿る。糸を手繰り寄せるよう、魔力を追えば、先ほどの扉の先の景色が見えてきた。
あの時俺は、握手に見せかけ、あのポンコツに諜報用の魔法を仕込んだのだ。
それは、相手の視界を覗く魔法。潜入などしなくとも、情報を盗む、闇の秘術だ。
だが、視界には何も映らなかった。ただ黒洞洞とした、闇が広がるばかり。
まさか失敗したなんてことは無いはず……。少々、情報の収集量を増やす必要がありそうだ。
意識を深くまで沈めれば、視界だけでなく他の感覚もこちらへと伝わってきた。
額にはあたたかく、柔らかな感覚。クッションにでも顔をうずめているのか……。
いや、違うな……。トントン……? ドクンドクン? そのような、一定のリズムが……。
『ごめんねナルきゅん! アタシがついてるのに、怖かったよねぇぇぇぇ!?』
えっ、なにこれ……。さっきの女の声に似てるけど……。
いやでも……。 え? なに? 猫なで声とか、そういうレベルじゃねえぞ!?
『もう大丈夫だからねっ!? アタシが追い払ってあげるからねっ!!
だから、アタシのこと嫌いにならないでね!?!?』
あ、ヤバい。吐き気が……。というか、後頭部がわしゃわしゃと……。
あ、これってもしかして……。
『もうやめてくれ。息苦しいし、胸を押し付けんな』
『ナルきゅん! 大大大大大好き!!』
「きっっっっっっっしょ!!」
ぎゅーっと頭を抱きしめられる感覚に、思わず声がでた。
その瞬間、こちらへと引き戻され、びくりと身体が跳ねる。
周囲を見渡せば、全員が俺を見ている。突然叫び出せば、そりゃ目立つよな……。
受付見習いのマリーが駆け寄ってきて、心配顔で尋ねる。
「どっ……、どうしました!?」
「ス、スマン……。ただのくしゃみだ。ちょっと独特で驚いただろ?」
「なんだ、そうだったんですか……。いきなりどうしたのかと……」
「少し、長旅で疲れが出たのかもな……。風邪でも引いたのかもしれん」
「でしたら、今日はもうお休みになられては? 宿の手配をしましょうか?」
「ああ、助かる」
よし、うまく誤魔化せたようだ。手配する間は、少し横になれと長椅子を用意してくれた。
たまに怖いが、なかなかデキた受付見習いだな。横になりながら、そう考えていた。
しかし、あれはいったい何だったのか……。
キャラ変更? そんなチャチなもんじゃねえ……。もっとおぞましい何かを見てしまった……。
てーか、アレをキャラ変更なんて言い出したら、俺は作者の家に火を放つ自信があるね。無意識で。
ってのは、小説だったらの話だ。これは現実……。
つまりあれは……。あれは……? なんだ……?
あー、考えたくねえ。
そうは思いつつ、仕事だと割り切って、もう一度意識を沈めようとした、その時だった。
「いい加減にしろよ! いつまでこんなクソみてえな仕事させる気だ!?」
「仕方ないでしょ!? 上が許可出さないんだから!」
なにやら騒がしい。こんな時に、やめて欲しいんだがな……。さっきので頭も痛いし。
なにより俺の闇魔法は、相手の意識と同期させるため、俺自身が感じている、すべての感覚を意識の外へ追い出さなければならない。いわば瞑想状態が必要だ。
なのにギャンギャンと騒がれたんじゃ、集中が途切れちまう。
「上が許可出さねえのは、お前がギルマスに認められてないからじゃねえの!?
それを上のせいだって、ポンコツ受付だと自分で言ってるようなもんじゃねえか!」
「それを言うなら、アンタたちがポイント稼がないから、私の昇進も遅れてんのよ!
私が上に上がれてたら、依頼くらいどっさり持ってくるわよ!」
あー、無理。聞こえないふりなんて絶対無理。
しかし、内容的には受付と冒険者が言い争ってる感じだな。信頼関係ってのは、どこいったんだ?
ま、考えてみればこっちも仕事に関わってくるな。どういう話か探りを入れてみるか。
「ゲンさん、あれはなんだ?」
「ん? あぁ、いつものことじゃ。冒険者はランクが分かれておってな、それを上げろって話」
「それなら、他のギルドでも同じシステムだな。上位に居ないと、割のいい仕事は取れないってことだな?」
「そうじゃ。じゃが、ここでは受付もランク分けされておる。
なので、受付が冒険者に渡せる仕事も、受付のランクの制限を受けるんじゃ」
「ほーん。で、受付のランクを上げるには、受付に付いてる冒険者の活躍が必要と?」
「よくわかっておるな。説明うけたのか?」
「さっきの話聞いてりゃ、なんとなく察するさ」
つまり、お互いがお互いに協力しあって、上位へと昇りつめていかなきゃならんのに、アイツらは仲間割れしてるようなもんなのか。
ま、冒険者なんて血の気の多い奴らだし、報酬の取り分で仲間割れ、最悪殺し合いに発展するのも、よく聞く話だ。
今回のは、冒険者と受付って関係だから、ちょいとばかり状況は違うがな。
ギルドの調査に関わらなさそうな話だし、集中もできないしで、面倒だと再び椅子に寝っ転がれば、例の猫なで声ギルマスが扉を開け入ってきた。
「お前たち、こちらの部屋まで聞こえてきたぞ」
あ、猫なで声じゃない。わりと、尊大な感じだが……。
それじゃ、あれはなんだったんだろうな……。
その後ろでは、アビィの背中に隠れるよう、ナルが縮こまっていた。
こいつもこいつで、さっきとは大違いだな。
「ギルマス! 俺たちいつまでCランクなんすか!! いい加減上げてくださいよ!!」
「そうですよ! 私だってもう何年受付やってると思ってんですか!
大きい仕事だって、ちゃんと手配させられますよ!」
「お前たちには、まだ早いと判断しただけだ。だから仕事を回していない」
「んなこと言ったら、いつまでも底辺じゃないっすか! チャンスもないんすか!?」
「そうですそうです! 機会は公平であるべきです!」
「どうやら、お前たちは自分自身さえも見えていないようだな」
ギロりと睨むが、受付嬢も冒険者たちも怯むことは無い。
ま、睨まれた程度で怯むなら、最初から文句なんて言わんよな。
「まあいいだろう、そこまで言うのであればチャンスをやる」
「えっ!? マジっすか!?」
「ああ、簡単な試験だ。合格できたなら、ランクを上げてやろう。もちろん受付の方もな」
「やった! アンタたち、絶対に成功させなさいよ!!」
「ったりめーよ!」
やいやいと、さらにうるさくなってやがる。
ま、とりあえずこれで、アイツらは文句もないだろうし、あとは静かになるだろうが……。
しかし、ギルマスが出てきてしまったせいで、結局あの意味不明なキャラ変更がなんだったのか、調べられなくなっちまったな。
「で、試験ってのは、何をすればいいんだ?」
「ちょうど依頼がある。北の洞窟の、フレイムウルフの討伐だ」
「おっ! Bランク依頼! 試験なのに、いきなり行かせてくれんのな!」
「ああ。だが、一つ条件がある」
「条件?」
「ナルを連れていくこと」
「はあ!? なんで、そんな万年Fランクのお荷物を俺らが!?」
「嫌なら、昇格は無かったことにするが?」
「クッ……! わーったよ……」
冒険者連中は、渋々だが了承したな。
ま、実際依頼の中には、護衛任務なんかもある。
守らなきゃならん相手が居る状態の立ち回りができるかどうか、そういうのを見るつもりだろうな。
「ははーん……。ギルマスも人が悪いですねぇ!
お荷物が居ても完遂できるかどうか、それが試験ってわけですね?
なるほどなるほど~。受付のテクニックとして、参考にさせてもらいますよ~」
「アンタにはまだ早いよ。実力を見極められなきゃ、どっちも死にかねないんだからね」
「のわりに、ギルドイチのお荷物を押し付けたじゃないですか。
はっ……! まさか、この際面倒な奴らを全員始末するつもりじゃ……!」
「ちょっ!? 俺たちに死ねって言うんですか!?」
「死にたくなければ、必死に戦え。当然だが、もしコイツを死なせたら、除名処分だ」
「あーーー!! めちゃくちゃ難しいじゃないっすか!!」
「当然だ。ギルマス権限での昇格は、特例なのだからな。それとも、諦めるのか?」
「やりますよ!!」
ふむ……。もしや、これがこのギルドの成長の秘訣か?
あえて自身の抱えるお荷物冒険者を押し付け、若手の成長を促す。なかなか賢い方法だ。
それなら、さっきの甘やかしも納得できる。アイツはポンコツだが、育成のための道具なんだからな。
当の本人は、ギルマスの後ろに必死に隠れようとしてるみたいだが……。
俺が心配することでもないだろうが、本当にこんな奴を付けて大丈夫なんだろうか?
もしくは、今までも同じように使われてきたのなら、逃げ延びることだけは得意なのかもしれん。
ギルドの調査に直接関わるかどうかわからないが、少し探りを入れてみよう。
Bランク程度なら、万一の事態にも対処できるしな。
「なあ。その話、俺も付いて行っていいか?」
「ん? おっさん、誰だ? 見ない顔だが……」
「ああ、今日入ったばかりでな。ギルドの雰囲気を知るにも、仕事ぶりを見せて欲しいんだ」
「かまわないけどよ……。まさか横取りするつもりじゃないだろうな?」
「んなことしねえよ、見てるだけだ。それに、荷物が二つに増えたって、別にかまいやしないだろ?」
「ならいいけど……。ギルマス、いいですか?」
「…………。余計な手出しすんじゃないよ」
「わーってるさ」
◆ ◇ ◆
そして翌朝、俺たちは依頼にあった、北の洞窟へとやって来た。
メンバーは、昇進目指す若手の男3人。
リーダー格で、昨日交渉していた剣士、常に静かに場を静観している弓使い。
そして、ぼーっと上の空な雰囲気の魔術師。悪くない組み合わせだ。
そこに、部外者の俺と、試験用お荷物のナルだ。
俺は最低限の荷物と、自衛用の剣だけ。手を出さない約束だからな、手伝えるような装備ではない。
お荷物役も、俺と同じく身軽でもいいはずなのだが、昨日と同じくゴテゴテとした、有毒地帯にでも侵攻するような服装。そして、その上なにやらデカい荷物を背負っている。
リュックタイプなのだが、袋ではなく箱といった荷物だ。それは、頭より少し飛び出るほどに高さがある。
なにより奇妙なのが、その箱は管が絡まるような見た目で、切れた管からは湯気が出ている。
湯沸し器でも背負っているといった具合だ。
「なあ、その荷物なんなんだ?」
「えっと……。スミマセン、秘密です……」
「別にかまわないんだが、変な音してるのが気になってな」
「壊れてるわけじゃないんで、大丈夫です」
「そうか……」
ガリガリというか、カチャカチャというか……。
なんとも不思議な音が箱からするが、問題ないらしい。
そういや、昨日も同じような音がしてたな。時計塔と……。あと……、試験のゴーレム。
いや、まさか考えすぎだな。箱型のゴーレムなんて、さすがに聞いたこともない。
「それじゃ、出発するけど……。くれぐれも邪魔すんなよ!」
「わーってるって」
「いや、おっさんは心配してない。コイツ!」
「えっ……。うん……」
若手にもこんな扱いを受けてるのかこいつは……。
しかし、ギルマスと幼馴染ってことは、同じくらいの歳ってことだよな。
ってことは、おそらくは20代後半か。あのギルマス、若くして昇りつめたもんだな。
それに比べて、ギルドのお荷物とは……。比較対象が悪すぎるが、可哀想に思えてくるぜ。
「それじゃ、いくぞー!」
と言って、意気揚々と洞窟へ入ったのはついさっき。今じゃ俺たちは観戦客と同じだ。
目の前で繰り広げられる戦いを、ぼけーっと座って眺めている。
今のところ、お荷物クンは何もしていない。
いや、むしろFランクのくせに、高ランク冒険者の現場に突っ込まれて、平然としているのがおかしいくらいだ。
ま、今までもこういうことがあったのかもしれんがな。
ぼーっと見ていれば、フレイムウルフの放つ火球がこちらへと向かってくる。
それにさえ微動だにしないもんだから、とっさに防衛魔法を展開しかけた。
しかし、それは無駄に終わる。上の空の魔術師の氷の壁が現れたのだ。
「おい! 避けるくらいしろよ!」
「えっ……。ごめん……」
「何言ってんだ、護衛対象が動ける奴らとは限らんぞ?
Bランク目指すんなら、俺たちを守って当然だろ?」
「くっ……。めんどくせえな! さっさと片付けるぞ!」
苦々しげにそう言うが、こいつらで勝てるかは微妙なところだ。
はっきり言って、実力不足。というよりは、連携不足だと見て取れる。
それぞれがそれぞれに動いているせいで、狼一匹に翻弄されてやがる。
これじゃ、さっきみたいな流れ弾ならともかく、こっちを狙って撃たれちゃアウトだろうな。
せめて俺だけでも助かるように、あらかじめ防衛術を展開しておいた方がよさそうだ。
そう考えた直後には、相手の狼も感づいたらしい。
俺たちを人にらみし、特大の火球を放ってきた。
これはさすがに、あの魔術師の氷壁じゃ防げないだろう。
さっとお荷物君を抱き寄せ、結界を張ろうとした瞬間だった。
ボンっという音とともに、周囲に白いガスが立ち込める。
それは視界を遮り、戦っていた奴らも、攻撃を放った狼も覆い隠した。
それと同時に、頭を揺さぶられたように視界が揺らぎ、情けなくも俺は地に伏せてしまった。
これは……、睡眠ガス……?
しかも身体が動かない。麻痺系統の毒も含んでいるのか。
耐性を付けた俺ですらこうなのだから、他の奴らはただじゃ済まないはずだ。
思いまぶたを無理やりこじ開け、周囲を見回す。
そこには、一人だけこの場に立つ者がいた。あのお荷物君だ。
「まったく、これでCランクとは笑わせるな」
そうか、コイツはこのためにガスマスクを……。
てことは、ダメそうならこうするつもりで最初からついてきていたというワケか。
しかし、一体どうするつもりだ?
相手の狼には、目眩しは通じても麻痺の効き目は弱いようで、一人残った獲物に威嚇するよううなっている。
多少弱ったところで、Fランクじゃ到底敵わないはずだ。
「ワンちゃん、悪いけどここでくたばってもらうよ。
君には、アビィの実績の一つになってもらわないといけないんでね」
そう言い放ち、背負った箱の側面に備え付けられた筒を取り外す。
持ち手には突起があり、打撃に使うような形ではある。
だが、その片方は管で箱に繋がっていて、あれじゃうまく振り回せないだろう。
不思議に思う俺を置き去りに、狼は飛びかかる。
お荷物君は管で繋がっていない方の先端を狼に向け、持ち手の引き金を引いた。
ドンっという音とともに、何かが筒から放たれる。
それは俺の目でも早すぎて、何が飛んで行ったのかはわからない。
けれどその後には、筒からもうもうと湯気が立ち上っていた。
そして、標的となった狼は、腹にモロに食らったらしく、ぐったりと倒れ、ピクリとも動かなくなっていた。
「アビィ、終わったよ」
「ナルーー!! よかった無事でぇぇぇ!!」
きっ……。言いかけて止めた。というか、うまく口が動かなかった。
あの猫撫で声で、ギルマスのアビィがお荷物君に抱きついたのだ。
ガスマスクをしていたおかげで、この女がどんな顔してたのかわからなかったのだけが救いだな。
「抱きつくな、暑苦しい」
「だって、だって……。心配で心配で……」
「俺が今までヘマったことあったか?」
「ないけど……。それでも心配なんだもん!」
「まあいい。とりあえず、いつも通り処理しておいてくれ」
「うんっ!」
「フレイムウルフを仕留めたのも、三人を助けたのも、アビィの手柄。いいね?」
「うん! って、なんでわざわざ確認したの?」
「そこのオジサンには、いつも通りじゃ伝わらないでしょ?」
「えっ!?」
二人が俺を見る。まさか、意識があると気づかれていただと……。
いやしかし、ここで動くのはまずい。ブラフかもしれんからな。
「いつまで寝たふりしてんのさ?」
俺のところまでやってきて、無理やり身体を起こされ言われちゃ、さすがに言い逃れできねえか……。
「ぐっ……。気付いて……、いたのか……」
「そりゃね。こっちも薬を撒くんだ、相手の耐性くらい計るさ」
「そうかい……。しかし、麻痺は十分に効いてるがな……」
「喋れてるだけで、かなりの耐性だと思うけどね」
「へっ……。そりゃどうも……」
まさか、俺がこんなヘマするとはな。
しかし、不幸中の幸いなのは、仕事のことはバレてないってことか。
ただの耐性のある、根なし草冒険者ってんなら、ままある話だ。
「で、俺にかけた魔法、そろそろ解いてくんない?
いつまでも視界を乗っ取られるのは、不愉快なんだよね」
「クソっ……。それも気付いてやがったか……」
「まあね」
「解かなくたって、どうせ殺す気だろ。やるならさっさと……」
「なに勘違いしてんのさ? そんなことしたら、アビィが追放されちゃうだろ?
振った仕事が原因で冒険者が死ねば、受付も追放。もしかして、このルール知らなかった?
でも彼女には、まだまだ俺の代わりに矢面に立ってもらわないといけないんでね」
「どういうこった……」
「簡単な話。俺は、人間を相手にするのが苦手。
だから俺の手柄は、全部アビィになすりつける。
おかげで俺は面倒ごとに縛られず、自由にいられるってわけさ」
「そうか……。ギルドの急発展は……」
「全部ナルきゅんのおかげなの! ねーっ!」
「やめろ抱きつくな」
バレたらお構いなしなのか、アビィはナルに抱きつき、頭をワシワシと撫で回す。
「でもどうする? 知られたからには、生かしちゃおけないでしょ?」
「大丈夫。俺もちょっとした魔法を知ってるんでね。握手のお返しだ」
「なっ……、なにをひゅ……」
いきなり口に指を突っ込み、舌をつまみだす。
まさか、このまま舌を切るつもりじゃ……。
身構えた瞬間、舌がやけるように熱くなる。
「あがっ……!」
「何してんの?」
「特定の事柄について喋れなくなる陣を焼き付けてる。
内容はそうだな……。俺とアビィの秘密ってトコか」
「それ、ホントに大丈夫なヤツ?」
「喋ろうとした瞬間、焼けるように舌が熱くなって喋れなくなるんだ。
ま、炎魔法の応用だな」
「ふーん」
「あ、ついでに筆談とかも無理だから。書こうとした瞬間、同じことになる。
それでも無理やり書こうとしたら、全身から火が出るんで、やるなら屋外でな。
もう街が全焼するなんて場面、見たくないし」
「そうだね……」
さらっとひでえことしやがる……。とんだ呪いじゃねえか。
しかし、これ以上ない口封じだな。された方にとっちゃ、たまったもんじゃないが……。
「それじゃ、帰ろうか」
「うんっ! 帰ったら、一緒にお風呂はいろうねっ!」
「やめろ、くっつくな」
「もうっ! 昔は毎日そうだったじゃない!」
「ガキの頃は、だろ」
…………。結局俺は何を見せられているんだ?
そんな疑問が浮かんだ瞬間、疲れからか俺は意識を闇に落とした。
◆ ◇ ◆
「で、この報告書はなんだね?」
「読んだ通りだと思うが?」
「…………。要約すれば、落ちこぼれ冒険者を守るため、ギルドを発展させたアゲマン女ギルドマスターの話、といったところか?」
「その通りだ」
「ふざけるな! この程度で、あれほどの実績をあげられるわけないだろう!!」
「おいおい、事実そうなんだから、しかたないだろ?
幼馴染のために奮闘する、純愛小説読んだことないのか?」
「それはフィクションの話だろうが!」
「ま、納得できないのも無理はないな。今回の仕事、報酬は遠慮しておくよ。
なにせ、調査員と同じ報告しかできなかったわけだからな。
ま、無いモンを調べたんだ、同じ結果になるのも無理はねえな! ハハハ!」
「…………」
依頼主は、苦虫を噛み潰したような顔をしてる。
しかし、俺も本当のことを喋るわけにもいかないんでな、あきらめてもらうしかない。
なにせ、こんなトコでジジイと焼身自殺する気なんて、さらさらないんでな。
それになにより、俺にはやらねばならんことがある。
「おっ、若いの。お前さんもその小説読んでるのか」
「なんだ? まさかゲンさんも、愛読してんのか?」
「もちろん。幼馴染モノは最高じゃのう……」
「わかる。まじそれ」
「それに比べて……」
ふいっと視線を外した先、そこには例の二人がいた。
「アンタ! シャキッとしな!! そんなだからいつまでたってもFランクなんだよ!」
「は、はい……」
またトラブルを呼び寄せた、気弱お荷物君と、檄を飛ばすアゲマンギルドマスターだ。
「あやつらも、昔のように仲良くしておれば、応援したくもなるんじゃがのう……」
「ははっ。違いねえ」
二人の裏の顔を、俺は知らない。建前上な。
けどその方が、好きに想像できるってもんかもな。
なんて考えていれば、時計台の鐘が鳴る。
「おっと、もう10時か。ゲンさん、そろそろ行くよ」
「気をつけるんじゃぞー」
後ろ手に手を振り、ギルドを出る。湯気立つ灰色の街が、俺を包む。
いつしか機械仕掛けの街に、俺も馴染んできたようだ。
長ぁぁぁぁぁい! 説明不要っ!!
いや、短編で2万字ってなんやねん。
(素に戻ってはいけない。実際は1.7万文字)
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