小動物を握り潰すとか踏みつぶすとか、圧死させる夢をよく見てしまいます。これってどういう心理でしょうね。
単純に「何かを殺してみたい」願望があるのだとするとヤバすぎます。「食べ物を捕る」行為としての狩りや釣りは尊敬しますが、娯楽としての狩りは苦手です。
ただ自分もゲームでモンスターを倒してストレス発散していました。いや、頭ではストレス発散……とまでは思っていないし、「敵を倒すことに興奮する」というほどではなく、ゲームが好きなだけですが……ゲームの何に魅力を感じていたかというと、結局バトルなのかもしれませんね。なんとなく最近はあまりゲームをしていませんが。
ただ「殺すことが快楽、憧れる」だとしたらドン引きなので、夢の内容は、「雑な自分が、いつか何かを殺してしまうことに恐怖心を持っている」あるいは「殺さないと生きていけない自分に失望している」と解釈したいです。
しかしこういう可能性もありますね。「可愛がられて最後まで養ってもらえるペットを妬んでいる」。
動物に嫉妬するとか、心狭いというか大人気ないし、そんなことは考えてもいないつもりですが、深層心理としてはそうなのかもしれません。
人間は「生きているだけ」で愛されはしないし、いつまでも褒め甘やかし、守ってはもらえません。何らかの働きをしないと存在価値を認められない。愛されない。
しかしペットというのは生きているだけで可愛くて、愛されるべきもので、そこが羨ましいのです。ご飯を食べたり遊んだりしていれば褒められる。「家族」と言ってもらえる。人間だったら、ご飯食べてウンコして、甘えたり遊んだりしているだけでは「お前なんか家族じゃない」と罵られるでしょう。
しかしペットが愛されるのは光の部分。動物業界の闇としては、動物は商品でしょう。
「ペットに嫉妬する」といっても彼らは命を握られているので、「素敵な飼い主さんもいっぱいいる」けれど、社会のあり方としてはまだ不完全。恐ろしい闇があるなら羨んでなどいられませんね。「愛されるか殺されるかは運次第」なんてのはひどい話です。
さて。私の発想が「愛したい」より「愛されたい」止まりってのは成長停止している気がしますが、まぁ私のレベルは低いので、そんなもんだというのは仕方ないです(開き直り)。「愛されたい でも愛そうとしない その繰り返しのなかを彷徨って」いるレベル。
何はともあれ、とにかく夢やゲームや、写真撮影で欲求を満たしたいです。これからも失敗を恐れ、「命を握り潰さないように」生きていきたいです(観葉植物枯らしたりして、成長がないですが……)。
この間もうっかりゴミ箱に体重をかけて寄りかかってしまって割りましたが、命に対しての「うっかり」は特に、許されませんね。適度に緊張感と恐怖心を抱いておかねば……。
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