高校生の頃、一緒にお弁当を食べる友達がいました。彼女が、私の誕生日だったか、何のタイミングだったか忘れたのですが、「いつも楽しい暇つぶしを考えてくれてありがとう!」というようなことをおっしゃったことが、ビミョ~にずっと心に残っています。暇つぶしかぁ⋯⋯と。また、その友達が、私以外の友達についてすごく嬉しそうに語っているのを見て、ザワザワしました。いつも私と喋っているとき、こんなに嬉しそうではなかったなぁ……と。
中学生の頃、いつも友達と一緒にいる子が、友達が休んだとき私の側に来て、まるでいつもそうしているかのように、休み時間の度に話しかけてきました。翌日、仲良しの友達が戻ってきたら、そっちへ戻りました。それにもモヤつきました。
私が悪いのです。暗くて性格悪くて口下手。気配りできない。礼儀がない。大事なことをすぐ忘れる。自分から歩み寄らない。遊び下手で面白くないし、勉強できないし、運動できないし、何の才能もない。何もできない。そのくせ、人の嫌がる言動は無意識にする。友達にはなれず、暇つぶしの相手と思われても、当然です。むしろこんな私と関わってくれてありがたいと感謝するべき。
それに暇つぶしって、悪い言葉ではありません。以前ネットで、「人生は壮大な暇潰しだ」というような意見を見て、なるほどなぁと思いました。死ぬまでの暇つぶし⋯⋯たしかに。
ただ私は、「どうでもいいヤツ」あるいは「嫌われてるヤツ」として、どこかのグループに属して、中途半端に縛られながら時間を過ごす……それは嫌かなぁと思いました。
「一人じゃ可哀想だから」と同情で誘われて、隅っこにポツンといるようなキャラになるのは。あるいは「一人じゃ嫌だから」と存在を利用されるだけなのは。私自身に何も興味を持たれていないのは。
それとか、「この人を正しい考えに導いてあげたい」「この人に◯◯の良さを伝えたい、この人にも◯◯してもらいたい」と、私の考え方を否定されるのは。染めようとされるのは。
言い方が極端ですが、ゴミのように扱われる場所よりは、価値を認めてくれる居場所を見つけたいのです。
どんな宝物でも、価値が分からない人にとってはゴミですよね。ということは逆に、全てのゴミに、本当は価値があるのかもしれない。
今では、やりたいことがいっぱいあります。時間が足りません。でも傍目には、つまらなそうに、寂しそうに、退屈そうに見えるかもしれません。そして私のやりたいことがくだらなすぎて、他の人にとっては重要なことに見えないかもしれません。私の表現のせいでもあるでしょうが。
「えっあんなもの⋯⋯?」って言われるようなことが「やりたいこと」なのです。コミックエッセイの更新とか。
……大スターなどは、会ったこともない人に熱狂的に崇拝され、お金を貢がれ、亡くなりでもすれば大泣きされるのでしょう。でもどうでしょう私は。死んでも知り合いすら泣かないと思います。「仕事できない子だったね」とポツリと言われて終わる程度ではないでしょうか。いや、足手まといだった、迷惑だった、出来損ないだったと恨まれているかも。
けど、現実では孤独でも。一人でも、誰かの心に残るような作品を書けたら⋯⋯。投稿を楽しみにしてもらえたなら。死んだとき、「もうこの人の作品が読めないんだ」って、泣いてもらえるかもしれませんね。
……死んだとき泣いてもらいたくて創作する? ゲスな動機ですね。
しかも泣いてもらったとしても、愛されているのは私じゃなくて作品ですが。
……時々思います。もし私がすごい作品を書けたとして、ファンがいっぱいいたとして、でも腕を失って作品を書けなくなったらどうなるのでしょう。みんな離れていくのでしょうか。愛されているのは私じゃなく、腕?
なんて。みんな多かれ少なかれそうかもしれません。かけがえのない個人ではありますが、その上に、「先生」「お母さん」「警察官」「漫画家」「芸人」と、役割が大きく被り、その役割を愛されるのでしょう。「彼は素晴らしい俳優だった」とか。
素晴らしい才能を持っていたとしても、利用しようという人も集まってきそうで、大変そうです。お金目当てとか。この人の名前を使いたいだとか。「この人に気に入られれば私ものし上がれるかも」とか、あるいは「この人と一緒にいられる私すごい」というような優越感のためとか。
魂への愛というものは、色んなゴチャゴチャした概念のその奥の、わずかなものなのかも。そこに本当の個性があるのかも。
学生の頃の友達とは、もう連絡を取らなくなりました。現在年賀状のやり取りをしてくださっている方は一人だけ。私を創価学会に誘った先輩です。
多分、私は誰かにとって友達ってほどでもなかったと思います。小学生の頃ずっと遊んでいた子とももう、全然連絡を取っていません。やはり友達って思われてなかったかも。
関係性を維持できないんですよね。だから「ずっと」の友達ができない。たまに仲良くなっても、すぐ縁が切れる。私が切っているのかも。
誰かの友達にも、偉大な作家にもなれないであろう私でも、もし誰かにとってすごい作品を生み出せたら、その「作者」になれるかもなぁ⋯⋯。
なんて、こんな汚い考えでは、純粋に創作を愛する人に到底敵いませんが。まぁ、良いのです。
愛されたいとか歪んだ気持ちでも、人殺しとかよりは、正当な方法を取りたい。それが私の、かろうじて存在する良心的美学です。
そんで誰か気に入ってくれたら、私の勝ち……いや、価値です。誰との勝負でもなく、私の価値。
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