昔からなんとなく物語作りには憧れてきました。頭の中に話が浮かんだりして。
しかしおっかなびっくり描いてみても、なかなか人には通じず、「はぁ……」といった反応を受けたり、何かを指摘されて傷ついたりしてきました。
創作者たるもの、指摘や批判に傷ついていてはいけない。ありがたく受け止め、思いが伝わるように改善しなければならない。
そういいますが、最初から否定する気満々にすら見える人も世の中にいたりして。
昨日も知ったばかりの言葉を検索したところ「◯◯ 嫌い」という検索ワードが目に入って落ち込んだところです。まだ開けてもいない扉、歩んでもいない道がたくさんあるのに、どの先にも「嫌い」だとか「好きじゃない」とか、そういう言葉が溢れているのだなと。当たり前なんですけどね。
物語を作りたかった私ですが、最初は「投稿しても反応をいただけない寂しさ」、今は「否定されるかもしれない怖さ」でなかなか筆が進みません。
絵を描くのが嫌になった人も、誰かに下手だと言われたとか、そういう体験がある方が多いようですね。
もちろんすべての人の心にグッとくる作品などないでしょうし、たまたま見た方が「つまらない」と言う可能性は普通に考えたら大きいのです。「◯◯さんなら喜ぶかも」「◯◯タグでそういうのたくさん見かけたよ」なんてことを言ってくれる親切な人もめったにいません(※中にはこのようなありがたいヒントをくださる方もいました)。
私たちが見て、「ふーん」と思っているものの数々のように、私の創作物も、星の数ほどある、嫌でも目に入る、興味のないものの一つ。たまたま見に来た人がたまたま「最高だ!」と心の底から思ってくれる……そして同じ感性の人ばかりが集う……そんなの奇跡です。
いくらネット社会とか瞬時に繋がれるとかいっても探す方はけっこうアナログ。私も「こういう作品が見たいんだけどどう検索すれば出てくるんだろう……」と試行錯誤中です。
だから私の作品も気に入られない可能性は分かってはいますが、わざわざ否定しあうこの世の中、「なんて言われようがいいや」って思えたらどんなに気楽でしょう。
そうなるために、不安の種を一つずつ潰すために、今はエッセイを書いているのかもしれません。
ただ自分で自分の不安点を指摘していって、気になることを一つ一つ吐き出したところで、ますます不安になっただけで、それが自信とかには繋がらなかったかもしれません。
大事な物語を否定されるよりはエッセイ否定の方がまだ気持ちが軽いから書いているところもありますが、なんの効果も需要もないようです。
見られたいけど否定されたくない、そんな都合のいい願いを抱きつつ、私自身は否定・批判癖が付いてきたように思います。以前は素晴らしい作品を見たとき「本当に素敵!」とだけ言ったのに、今はちょっと粗探しみたいに「ここはこうだったけれどね」と言ったりして。
何でしょうね……。批判する世の中に慣れて、批判する人の気持ちになって、自分への批判に対しても図太く寛容になるためでしょうか。でもなんか汚れたなと思います。
「なんて言われようがいいや」って思えたら今からどのように行動するんでしょう。何を書くでしょう。「ここはこうした方が良いですよ」って言われたときなんと返し、どう対応するのでしょう。
人間なのだから発想が被ることも多いですが、エッセイや写真ならパクリとは言われにくくても、ストーリーならすぐパクリと言われそうなもの。そんなときもどうするのでしょう。
下手でも未熟でも「これが私の作品だから変えたくない」というときもあるはず。そういうときはどうしたら……。
何も分からず不安なままですが、一回やってみたいですね……。「なんて言われようがいいや」と思える自分になりきっての創作を……。
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