うだつの上がらないエッセイ集(2)

思いつきで気楽に更新します。基本的に一話完結なので、お好きなページをご覧いただけると嬉しいです。
月澄狸
月澄狸

愚痴の筋が通らない、永遠に。

公開日時: 2023年6月20日(火) 17:14
文字数:3,054

 ちょっとTwitterで愚痴かましてきたのですが、自分の言っていることと実態がかけ離れていて、我ながら「は?」となります。愚痴ってスッキリしようにも、自分の発言が矛盾していてスッキリしません。


 要約すると「私はみんなの投稿ちゃんと見ているのに、みんなは私の投稿ちゃんと見てくれない」みたいなことを呟いています。

 これ、半分は事実です。実際、私は内容をよく見ずにいいねすることは避けたいので、全部リンククリックしたり熟読したりはできなくても、できるだけ投稿内容をしっかり見てからいいねするようにしています。

 なのに私のTwitter投稿はリンククリック率が低い。リンク先が本編であるツイートが、20いいね0クリックだったり。悲しいやら空しいやら。



 しかし、私は「ちゃんと」皆様の投稿を読めているかというと、やはり、話の内容がよく分からないままいいねを押したり、リンク先を読めなかったり、動画を見られなかったりしているのです。できれば「見ていない」ものにはいいねを押したくないですが、中途半端に見て「いいね」を押している部分もあります。


 けどそれでも、できればしっかり読みたい。でも私は読み専じゃなく書き手でありたい。そもそも収益化のために投稿しているので、閲覧のために投稿がストップしてしまっては本末転倒です。

 で、どうなるか。いいね返しが停滞していきます。


 結果、いいね返しがしんどくなって、いいね返しをほぼ完全停止。noteやアメブロの方ではそうなっていました。大体いつもこのパターンです。どこのサイトに行っても、最初は自由に好きなページを読んでコメントしたりと元気に活動しますが、いいね返しの数が増えてくるとバテて、いいね返しが止まるのです。

 現在noteでは、1年前の記事のいいね返しをゆっくりやっていますが、なかなか進みません。「最近いつも来てくださっている人」へのいいね返しすらできていない状況です。ということで「私はみんなの投稿ちゃんと見ているのに」は嘘になります。見に行けていません。



 言いたいことを言うとなぜだか矛盾し、いつも嘘になってしまいます。説得力も芯もありません。「みんなテストのときカンニングしすぎだよ! ひどいよ! まぁ私もちょっとはカンニングするけど!」みたいな。


 言いたいことを正直に言っても、我ながら「なんか違う」のです。しっくりこない。永遠に。



 何もそんなにキツく、私の意見やら創作を人様に押し付けたくありません。気が向いたら見てもらえたら嬉しいし、気が向かないのに無理やり見てもらっても空しいです。作品を息抜きに読んでもらいたいのであり、「頑張って」読むことを強要するのはおかしいです。「お互いに頑張って読もう」なんて契約じみた関係は嫌。


 でも私は自分の宣伝も兼ねて少し「頑張って」おり、「なぜ私だけ頑張っているんだ」と怒っているようです。

 その行動基準と感覚もおかしいですね。買いたくないケーキを買って無理やり食べるのは、なんか体に悪そうだし、ケーキも可哀想。もっと自由で良いはずです。しかも私が頑張っても、みんなほど頑張れてないし。


 私は常に「その人の投稿が好きだから見ている」状態でありたい。だって私の投稿を見るとき、好きで見てもらいたいから。

 だから好きでもないのにテキトーに相手されていると思うと悲しくなります。逆に真面目に「たくさん私の投稿を見てくれているから私も見ます」というお返しをされても、それはあんまり嬉しい理由じゃありません。本当に私の作品に惹かれたわけじゃないから。お金を払ってサービスしてもらうような関係。



 とにかく心からの「好き」が欲しい。きっとみんなそう。心がこもっていないと感じると悲しくなるのです。

 でも「好き」は強要できません。そして、心からの「好き」は本当に好きにならないとあげられません。ファンじゃないのにファンにはなれないし、タイプじゃないのにタイプですとは言えない。それがお互いに苦しいのかも。


「あなたのことは恋愛対象じゃないけど人として好きだし大切にしたいと思ってる、けどやっぱり恋愛対象じゃないんだ」みたいな? 知らんけど。



 けどリンククリック率の低さがあまりにひどいというか、「そのいいね何なの?」って感じ……。

 この気持ちが、うまく言えません。「興味ないならいいねしてこないでよ」みたいな。でも「じゃあ自分の行いはどうなのか?」と振り返ると、自分の言動もやっぱりいつもおかしくて。どうすべきかも、よく分からなくて。



 私の本当の「好き」はというと、私が勝手に脳内で導き出した(というかまだ途中だけど)の真理だけが私にとって「好き」なのかもしれません。「役に立つとか立たないとか、そんな価値基準じゃなく、すべての命が尊ばれる世界」。「すべてを愛する」からズレた世界を見ると冷めるのです。

 しかし私はいいねがどうだの収益がどうだのとケチくさいことを書き続けており、誠の愛の体現などには程遠い。到底たどり着けそうにありません。


「無償の愛」が真実なら、それを求めるんじゃなく、本気で振りまかないといけないでしょう。でもやり方を間違えたら、全財産を募金箱にぶっ込むことになりますね。

 無謀なことをせず、ささやかな「無償の愛」を体現するならば、「あなたが私の投稿を見ずにいいねしようが、一向に構いません。私はただただ、あなたの投稿が好きで、あなたが今日も存在していてくれることが幸せです。私はあなたの投稿を見るのが楽しいから見続けます。それだけです。お返しなど求めません」と言うべきでしょう。


 って言えるかぁ!

 無理です。私は見返りがないと動けません。


 このように私に下心があるから、みんな私と真剣に向き合ってくれず、「コイツにはテキトーにいいねでも付けといてやればいいや」と思われているのでしょう。


 人は鏡だと言います。私が人から軽く見られているように感じるのは、私が人を軽く見ているからでは?



 うーん、まったくもって進展も解決策もなく、6年くらい前からずーっと、同じような悩みで堂々巡りです。この連載にも何度同じことを書いたことか。壊れたCDプレイヤーみたいに。



「私の投稿をちゃんと見てほしい、けどあなたの投稿をちゃんと見る時間はない」みたいな、それが一番実態に近いかも。けどそれを断言したら、0に近いアクセスがますます0に近づくでしょう。


 私はネットに向いていないのかも……。

 って現実で落ちこぼれたからネットに来たのに、ネット不適合者では困ります。どこになら適合できるっていうんでしょう。



 もうダルいからポケモンにでものめり込むか……。色違いポケモン探したり、図鑑埋めたり、虫ポケモンパーティー組んだりさ……。現実世界で何も得られなくても、何なら現実を犠牲にしてでも、ゲームをするのは楽しいもんね。

 なんて、ここまで人を夢中にさせる作品は、どうやって作れるんだか。ゲームは「やるな」と言われてもやりたいのです。


 私も「読むな」と言われても我慢できないような作品を作りたい。一度読み始めると手が止められない、中毒症状があるような。


 狂おしいほどに求められたい。虜になった人間の現実がおろそかになってしまうような……。そう、酒やギャンブルみたいな。


 ってそれじゃ、私の目指すものは「悪魔」っぽいのでは。悪魔ほどはいかないとしてもサボローだぜ。

 それって人のためになるのかな。どの道「与え」るより「奪おう」としているのでは。お金とか時間とか愛とか人生とか。


 詐欺師であり時間ドロボーであり怠け者である。かも。




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