悪者が出てくるストーリーは好きです。悪者もかっこよかったり、可愛かったり。
悲しき悪役ジャンルも魅力的ですね。しかし現実にはそう悪役って存在しないですね。
悪意の存在を信じて疑わなかった頃は、様々なことに巻き込まれました。意地悪されたり、いじめられたり、性犯罪に遭ったり、詐欺に引っかかりかけたり。
今も危ういかもしれません。けれど現在はギリギリ平穏で、温かく、良心的な世界を手に入れました。
ギリギリというのはほぼ、自分の至らなさの問題です。以前は「私は悪くない、被害者だ!」という思いが強かった気がしますが、ようやく、「自分はダメなところいっぱいあるし、感謝もないなぁ」と薄々感じ始めました。
なので今は以前ほどビクビクしていません。とはいえ相変わらずオドオドして見えるかもしれませんが。
悪意なんてのは、唐突に上空から落ちてくるハトのウンコみたいなもので、よければ良いのだし、よけられずにウンコが付いてしまったら拭けば良いのです。ハトを憎む必要はありません。
自分がいつまでもウンコにくっ付いたままでいるから、ウンコな気分になるのです。……と、次の問題が起こるまではそう思っておきます。
今私が見ている世界では、悪意より「価値観の違い」が多いです。それは本来当たり前のことだろうけど、すぐ忘れる。
別に誰も悪い人ではない。仕事ができない私も、仕事ができないだけであって、別に悪くはない……はず……。多分。
不満を抱えている人も、不満を持たれている人も、悪い人ではないのです。ハトが全部ハトであるように、人間だってどの子も地球で生きる、人間という生き物であるだけ。多様なタイプが存在するだけです。
人はそれぞれこだわりどころが違います。ある人は、ある場所できっちり丁寧にやり、他の場所は乱雑・無関心だったり。ものすごく色々なワードを覚えられる、興味のあるジャンルと、まったく頭に入らないジャンルがあったり。
ゲームとかでもジャンルや好みが分かれますね。RPG、パズルゲーム、アクション……。
仕事に打ち込んで家庭に無関心とか、交尾に必死になってしまうとかも。生き物だったら「本能だもんね、大変だね」と理解しようとできるのに、人間のことはなかなか難しいですね。同族嫌悪でしょうか。っていうか同種が一番危険だし。
仕事では同じ人に同じエリアのことをさせ続けず、人を動かしたりしますが、そうすることで、上にこだわる人、下にこだわる人、左、右……と、それぞれ違った個性が埋め合わさって、全体のバランスが取れるんだなぁと感動しました。Aさんが靴を磨き、Bさんがテーブルを磨き、Cさんが床を綺麗に拭いていく。カマイタチのような連携プレー。
上の人ってそういうことを把握して組み合わせてくださっているんですかね。すごいです。で、下の者はどう振る舞うべきか?
悪なんてものはない。それぞれ能力や個性やこだわりの違いがあるだけ。ならば、「あの人、どうして何度言ってもこれができないの!」とか言っても仕方ありません。「なんでキャベツを食べるの?」「だってモンシロチョウだもん!」みたいな。そういう生き物なのです。すべて。
だから感謝をしたいです。「いつもここ整えてくださってるな」とか、「親切にしてくださった」「しっかり教えてくださった」とか。
人によって言うことが違うとか、混乱ポイントもありますが、人生、多様性のお勉強ですね。
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