たしか中学生の頃でした。
教室を移動して受ける選択授業でのこと。私はいつものように何気なく机に落書きをしていました。
机に限らず教科書やノート、プリントなど、暇さえあれば……いや、暇などないのに落書きし、先生にシバかれたりしていた私ですが、その日は机に絵ではなく文を書きました。
「おなかすいたー」とか「今◯時間目ー」とか「ヒマー」とかそんな感じだったかと思います。いや、授業中であって暇じゃないんですけどね。
そして落書きを消さずに授業を終え、その日が過ぎ、再び選択授業でその教室に行ったときのこと。
この間と同じ席に座り、机を見たところ、なんと私が書いた文に返事がきていたのです。
「だよねー」とかそんな感じで。
嬉しくなった私は選択授業の度にその席に座り、とりとめのない会話を楽しみました。
他の人も書き込んでくれて、3人くらいで話せた気がします。
どこの誰か分からない人が返事をくれる。まるでインターネットでした。
今でも、ネット上で自分が書いたものに誰かがコメントしてくださったりして、不思議な交流を楽しんでいます。
しかし今はインターネットに慣れてしまって、「なんでこんな考え方をする人がいるのだろう」「なぜアンチがいるのだろう」などとあれこれ考えることも増えました。
机の上の掲示板で交流を楽しんでいるとき、私は会話の内容より、思わぬところで会話が成立した嬉しさや、反応してくれた驚きと感動を味わっていたのです。
初めてのテレビ放送を見た人もこんな気持ちだったでしょうか。
もし宇宙人と初めての交信をできたとしたら、「地球以外にも人類がいた!」「通信してくれた!」とすごく喜び、明日は何を話そうかとワクワクするかもしれません。新しい友達ができたときみたいに。
しかしそのうち「なんであっちの文化はああなんだろう」「なんでこっちの事情を分かってくれないんだろう」などと納得できないこと、理解できないこと、何かを指摘されてモヤモヤすることも増えるかもしれません。
私は人間との交流でさえもう、目的や喜びを見失い始めています。
しかしそんなとき机の上の掲示板を思い出すと、なんだかホッとしたのでした。
意見を言い合っても埒が明かない……同じことの繰り返し……そんな世界の中で、私は会話内容よりただ、仲良くしたかっただけなのかもしれません。寄り添いあって空を見上げるように。
「仲良くしたいだけ」
そのせいで時に人と一緒に道を間違ったり、変な思い込みをしたり、うまく言えなかったり、忖度したり、グループの空気が固まってしまったり、何か問題が起こるとしても……。
それでも一番最初はみんなただ「仲良くしたい」だけではなかったか。
言葉を喋れた喜び、お話したいという気持ちを全身で表現するセキセイインコさんの動画を見ながら、人間もシンプルに「仲良くしたい」だけで良いのではないかと、そんなことを思う今日この頃です。
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