この間投稿した短編ファンタジー「ここよりずっとたかいところ」に関するこぼれ話(?)です。作品の後書きに書こうかと思ったのですが、物語の余韻や非現実感を大事にしたかったのでこっちでボソボソと書くことにしました。イメージを壊す可能性があるので、作品を気に入ってくださった方は読まないでください。
「ここよりずっとたかいところ」は一話完結の予定だったのですが、微妙に長くなったのでバラしました。しかし「小説投稿サイト 一話 文字数」で検索すると皆様意外と多くて、バラさない方が良かったんだろうかと焦りました……。
さて、まず「ここよりずっとたかいところ」に出てくる観覧車についてなのですが、最初はもう少し性格の悪い下品な感じにしようかという案もありました。しかし下品にしたら「消えゆくものの儚さ」的な雰囲気が台無しになって幻滅しそうなので(幻なのに幻滅)、落ち着いた感じにしました。ちょっと大人びた憂いのあるイメージですが、本来無邪気で好奇心旺盛だと思います。いずれにせよ、私の筆力不足により表現できているかどうかは不明です。
表の世界で姿を消して精神世界に取り残された大観覧車は文字通り(?)現実の世界で取り壊された、撤去されたということなのですが、実際は日本では役目を終えた観覧車が海外に売られることもあるようです。
閉園した遊園地スペースワールドの観覧車「スペースアイ」はカンボジアに移り、アンコールワットが見える「アンコールアイ」という名前になったそうです。また、同じく閉園した遊園地、琵琶湖タワーの観覧車「イーゴス108」はベトナムへ渡り、「サンホイール」という名前になったそうです。
アンコールアイは新たなお名前も運命的だし、なんだか胸が熱くなるお話ですね。イーゴスは2001年の閉園後も劣化しないようにずっとメンテナンスを続けられ、2013年に解体されてベトナムへ輸出されたということです。12年もの間、観覧車を守り続けてくださったのですね。ちなみにイーゴスがあった場所の近くにある橋に「琵琶湖タワーへ行ってきたよ!」的なラクガキが刻まれています。また、イーゴスの姿は今も地域周辺のマンホールに見ることができます(新しいマンホールはデザインが違います)。歴史を感じますね。
アトラクションというものはやはり、持ち主の方やメンテナンスをされる方が並々ならぬ愛情を持って接しておられるようですね。
「ここよりずっとたかいところ」では観覧車のことを覚えていてくれる人・愛情を持ってくれる人が乗客の少女1人だったような書き方がしてありますが、おそらく現実はもっと愛情溢れる世界かと思います。観覧車のことを好きな人も多いだろうし、観覧車に関わる仕事をされていた方との絆は永遠かもしれません。観覧車と夢の中で会い続けるとしたら、実際には観覧車と深く関わった方かもしれませんね。
こういうところも私の実体験と想像力不足でやっぱりズレてしまいます。遊園地の機械の造りとかメンテナンスのことが分からず取材もできない私に想像できるのは「乗客との絆」までです。
しかし「動物園の動物と飼育員の絆」とか「楽器と楽器奏者の絆」といった特別な人の特別な絆ではなく、「普通にどこかに転がっていそうな非日常への扉」を描きたいということもあり、リアルではちょっとあり得ない非日常・幻想に惹かれます。
そして結局物語中の少女の状態はどうだったのかということですが、最初のストーリーのイメージとしては「会社で忙しく働いている女性(30台くらい?)が、子どもの頃好きだった観覧車があった場所にできたお店のフードコートで、景色を見ながらうたた寝している。すると子どもの頃に戻って懐かしい観覧車に乗る夢を見た。女性は夢に元気づけられ、いつかまた夢の中で会えることを願いつつ現実世界へ戻ってゆく」という話のつもりでした。「ここよりずっとたかいところ」というのは、眺めの良いフードコートよりも観覧車の方が高くて眺めが良かった、というイメージです。
しかしそれはもう裏設定の一つ(そうかもしれないしそうじゃないかもしれない)になったので、今は「ここよりずっと『あったかい』ところ」と読み間違うようなイメージとして残してあります。
また、ストーリー案変更後のタイトルが表す「ここ」というのは現世かもしれません。
少女が言ったように地球は滅んでいて、何らかの理由で少女と観覧車だけが精神世界に取り残された、あるいは二人が表の世界で命を終えて何千年も経ち、家族や他の人のことは忘れても、なぜか少女と観覧車は惹かれあいお互いのことを忘れられなかった、という感じでも良い気がします。
あるいはもっと寂しい捉え方として、少女のことを忘れられなかった観覧車が少女の夢を見ている、あるいは観覧車のことが忘れられなかった少女が観覧車の夢を見ているという可能性もありますね。
または少女が現実世界で意識を失ったり、また取り戻したりといった状態を繰り返しているのか……
でも全部「ああです、こうです」と決めてしまうのもつまらないし、やっぱり少女が今どうしているのかは読者様の想像にお任せで良いかもしれませんね。フードコート云々の話だともうちょっと現実的で意味や設定のある話になったかと思いますが、今回は意味やストーリーのない話が書きたかったので、あえて訳が分からない感じにしてみました。
それと迷ったのはタグ付け。「物と人の友情ってなんて呼ぶんだろう? カテゴリーで言うと何だろう?」と気になり、思いつくワードをあれこれ検索し、一番近いものが「対物性愛」かと思いました。しかし対物性愛は建物や物に「性的に」惹かれることらしいのでちょっと違うかと思いました。性的にということはアダルトな解釈ですね。この物語は精神的・ノスタルジック・幻想的、そして子どもっぽい雰囲気にしたかったような。
対物性愛は対物擬人化共感という言葉と関係があるそうですが、対物擬人化共感については検索してもあまり情報がありませんでした。
ちなみに人形を愛することはピグマリオンコンプレックスと呼ばれるそうです。心のある人間に幻滅して人形を愛するようになることも含まれるそうで、ちょっと「物への愛」のイメージに近いかも?(実際は人によりそうですが)
人型ロボットへの愛情だともう物とか機械とかいう域は越えてしまう気がしますね。どちらかというと創作上では物より人間に近いような。
結局タグは適当に決めましたが、もうちょっと「これだ!」というカテゴリーがあったら知りたいところです。
その後人外萌え・無機物萌えといったワードで検索し、無機物擬人化とか無機物BLといったジャンルにたどり着き、「だいぶ近いところまで来た」という気がしました。
無機物BLがあるなら無機物NLもあるかと思ったらヒットしません。マイナージャンルなので画像検索で少しでも近い画像を選んでいった方がたどり着けるようです。
無機物BLについては以前「繰繰れ! コックリさん」で読んだので、「あのネタはこのことだったのか!」と今更ながら納得しました。
その他、人間の体に無機物などの頭が付いているキャラクターは「異形頭」というそうです。
異形頭は画像検索するとたくさん出るので人気みたいですね。多少人間的要素がある方が好きな方が多いのかな。そういえばケモナーで検索しても獣人さん型が多くて、ヨツケモは検索してもやや少ない気がしますね。
それにしても無機物ってなんて可愛いのでしょう……と、検索かけているうちに気づいてしまいました。Siriの珍回答とか道具の擬人化とか微笑ましいですね。無機物フェチという言葉もあるようです。
ちなみに無機物萌え的な意味で私の記憶に残っている作品は、「ウォーリー」「ザ・ドラえもんズ ロボット学校七不思議」「ナイト ミュージアム」などです。
「ウォーリー」はピクサーのロボット映画ですね。出てくるロボットたちが人型じゃないところが魅力です。みんな可愛い。
「ザ・ドラえもんズ ロボット学校七不思議」は、小さい頃見たときはトラウマになりそうな感じだったので、萌えの観点ではなかったのですが、今見たらたぶん萌えです。
ナイト ミュージアムは博物館の展示物たちが動くし、展示物との交流がメインというところが最高です。話も面白くて、みんな可愛いです。
「おもちゃのチャチャチャ」や「おもちゃの兵隊の観兵式」、学校の七不思議のように、夜になると物が動き出すというイメージはなんだか馴染み深いですね!
あとポケモンも良いです。動物的なキャラが多いイメージですが、無機物や人工物的なビジュアルのモンスターも多くなってきています。シロデスナ・クレッフィ・エアームド・レアコイル・ギギギアル・ギルガルド・ゴルーグ・ポリゴンZ・シャンデラ・シンボラーなどなど可愛いモンスターがいっぱいです。
それと、設定は無機物ではないのですが、ディズニーシーの過去の夜ショー「ブラヴィッシーモ!」も素敵でした。ディズニーキャラクターは冒頭のミッキー以外登場せず、火の精プロメテオと水の精ベリッシーが恋に落ちるというストーリーになっています。ディズニーリゾートのオーディオアニマトロニクスはシンドバッドやミシカなどみんな可愛く、パレードのフロートも可愛らしいのですが、「ブラヴィッシーモ!」のプロメテオとベリッシーのデザインはやや異質です。なんだかシンプルで無機質な感じがあり、初見では「えっこれ本当にディズニーのショー?」と思ったような。しかしショーを見ていると惹き込まれてゆきます。無機物に魂が宿り表現する様子はまさに「ブラヴィッシーモ!」です。
時々プロメテオさんが出てこないとか止まってしまうといったハプニングがあるようで、実際私が見ていたときも一回途中でプロメテオさんが出てこずショーが中止になりました。
アトラクションなども時々不具合やお客様側の事情(何か落としたとか?)で止まるみたいですね。
不謹慎かもしれないけれどアトラクションのアクシデントや不具合の動画はつい見てしまいます。物が物として動くことはつい当たり前のように感じてしまうけれど、それは皆様の努力あってのことで、物自体も一生懸命頑張っているように見えます。
マジックキングダムのフェスティバル・オブ・ファンタジー・パレードのフロートが燃えた動画など、燃えているのにプログラム通りずっと動き続けるフロートの様子になんともいえない気持ちになりました。
さて、大幅に話がそれましたが、物語の話に戻ります。次は残留思念についてです。
「ここよりずっとたかいところ」の文中に「残留思念のように……」という言葉がありますが、意識が取り残されている観覧車は残留思念ではないのでしょうか?
実は幽霊には2パターンあると言われているそうで、1つは魂がそのまま残るもの、もう1つが「強い思いがその場に残ること」らしいです。
1つ目は意識や心がある幽霊なので、死後も自分で考えたり動いたりするでしょうが、2つ目がいわゆる残留思念であり、そこに魂はなく、強い思いがその場所に焼き付けられたようになっているようです。オカルトやスピリチュアルに詳しくないので定義や概念についてはよく分かりませんが……。
「ここよりずっとたかいところ」では2人の魂が存在して会話しているため、定義的に残留思念ではないと思われます。
そしてこの物語(?)、どう終わらせようかと迷っていたのですが、結局意味があるのかないのか分からない締めくくりの文章で終わることになりました。
前述の通り「ここよりずっとたかいところ」は元々、女性が現実世界で夢を見ていたということに関連するタイトルであり、それ以外のことは私の意図したところではないのですが、「たかい(=他界?)」が入っているので、様々なニュアンスを含みそうな曖昧な感じにしてみました。
「何かがぷつんと途切れたような」は、少女が元の世界で目を覚ました(=夢が終わった)ことを表すのか、少女が現実世界から観覧車の世界に行ってしまったことを表すのか、それとも特に意味はなく、寂しい世界観の描写なのか……。
と、ラストは一旦そのような終わりにしたのですが、物語の軸というかテーマは二転三転しました。そもそも確かなストーリーが決まっているわけではないのですが。
今は、「少女が念を込めたために観覧車に自我が宿った→観覧車は過去の姿に縛られ、観覧車に念を込めた少女は縛られた魂を迎えに行くことにした→観覧車は過去の形から解き放たれ、人間や動物と同じ『魂』となった」というピノキオ的(?)解釈もできるようになった……ような。
あるいは少女が観覧車に対し「消えないでほしい、夢で会いたい」と願ったから、表の世界から姿を消すと同時に消えるはずだった観覧車の魂が消えなかった、という可能性もありますね。
また、少女と観覧車はどちらも一人称が私、二人称があなたで、少女に話しかけた知らないお姉さんも二人称があなたであることから、全員同一人物であり、やはり少女が自分以外のものの中に自分を見ていた=すべては少女の夢であり会話ごっこであるという可能性もあります。
それにしても少女は壊れたゲーム機を大切にしているようですが、少女のように物を大切にする人のゲーム機がなぜ、修理不能なほどに壊れているのか……。
誰かから壊された? 事故で落としたか水没した? 元から古かった?
あと今回本編では使いませんでしたが、作品のタイトルに「たかい」が入っていることから「たかいたかい」を連想し、「少女が小さい頃に亡くなっていた父親が、観覧車に乗り移った」という案もありました。その場合父親は記憶喪失だけれど、最後に少女との関わりをおぼろげながらに思い出すということですね。
そっちの線でストーリーを進めなかったのでこの説は矛盾が多そうですが、観覧車がすんなり人間と喋れたのも、人語を理解できているのも、少女が夢の世界へ来たときに現実に帰そうとしたのも、元が父親だからかも。すると少女の宝物のゲーム機も、昔お父さんがくれたものなのかも?
また、知らないお姉さんがゲーム機の魂だとすると、それが観覧車に乗り移った……つまり観覧車の前世がゲーム機という可能性もありますね。お姉さんと観覧車では話し方が違いますが、「性格だって話し方だって変わっていい」と少女が言っていることから、魂は変化していくということを表しているのかも。
観覧車は男性説だったり女性説だったり。観覧車って丸くて綺麗な感じと、頑丈そうで逞しいイメージが混ざっている気がします。
お姉さんは「物」の意識の集合体、という可能性もありますね。物の神様とか。
要するにこのお話のテーマや解釈は何でもありで定まっていない感じです。
色んな解釈ができれば嬉しいです。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!