うだつの上がらないエッセイ集(2)

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月澄狸
月澄狸

「好みじゃない」のは悪いことじゃないのに

公開日時: 2022年3月7日(月) 08:04
文字数:1,404

 自分の好きなマンガやアニメ映画のレビューを見ていると、批判的なコメントが多く付いていて凹むことがありました。自分の作品にも、やや批判的なコメントが付くと凹みます。

 批判コメントというのは、言っている内容は長い説明だったりしますが、要するに「好みじゃない」ということだと思います。


「好みじゃない」。悪いことではないはずです。


 私はけっこう好みがあるので、好みのもの以外は「好みじゃない」ことになります。

 でも、自分の作品に批判が付くと、「タグに◯◯って書いてあったのに、◯◯が好きじゃないみたいなコメントしてくるなんてどういうことよ~。タグとあらすじ見れば大体分かるでしょうよ」って思ったこともありました。


 相手は相手の基準で作品に「期待以上」を求め、「期待ハズレ」だとガッカリするのでしょう。

 好みなど千差万別で、辛いものが苦手な人もいれば甘いものが苦手な人もいるように、一々合わせようとしてもキリがなく、発信する側は、これはこういうものですと言うしかありません。


 もう今更、トトロを見て「バトルシーンがないなんてガッカリ」と言う人はいませんよね。自分の発信も、「この作家さんのはこういうものだ」って固めていきたいです。


 作家にも「キャラ」がある。それを出していけばファン、理解者が付くかもしれない。

 逆に作者に「らしさ」というものがなく右往左往していれば、何か言われ続けるのかもしれません。まぁ、天下のジブリやディズニーにも「好みじゃない」コメントは付くでしょうが。


 ……しかし。

「好みじゃない」って本来悪いことでも何でもないはずなのに、自分が言われる側になると、ひどく傷つきそうな気がするのは何なのでしょう。


 皆様にも思い当たること、あるでしょうか……。買ったパンがまずかったとか、見た映画がイマイチだったとか、人が作ったものについては好きに言うのに、自分が作ったものに辛口のことを言われると「そんなこと言わなくて良いじゃない」と思ってしまうとか……。


 批判を恐れ、言い訳したり凹んだり批判を避けようとしたり、最悪「認められない」と思うと投げ出したくなってしまうのは私だけでしょうか。別に相手の好みでも好みじゃなくても、自由なのに。


 もしかしたら、「好みじゃない」じゃなく、ああだこうだと理屈がついてくるから、それに凹むのでしょうか。

 でも一言「好みじゃない」「面白くない」ってバッサリ言われても傷つくような。うーん、難しいです。


 けど自分が受け取る側だと、ちゃんと好みは好み・好みじゃないものは好みじゃないって言わないと、好きでもないものに囲まれて、「すっごく素敵ですね!」と相槌打ち続けて、本音も言えず、他の人に合わせるような人生になりそうなイメージがあるので、言いたいことズバズバ言ってしまいます。セールスとかでも「いりません」って言わないとなかなか終わりませんよね。


「好みじゃない」のは悪いことじゃない。そして一人や二人から好みじゃないと言われても、それが世界のすべてではない。けど人の範囲は限られているから、世界に自分が「買う」商品より「買わない」商品の方が多いように、ドンピシャで自分の作品を「好みです」と言ってくれる相手に巡り会うのは難しい。


 どうして、言う側の自分と言われる側の自分が分裂しているのでしょう。もっと優しく大らかに、どっしりと活動できたら良いのに。

 分かっちゃいるけど、今日も結論出ず。右往左往しています。




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