時間が無限にあれば良いのに、そういうわけにいかないから、いつも時間の使い方に迷っています。
私は人一倍のろまです。そのせいもあるのでしょう。なかなか思うように時間を使えません。
たとえばSNS等のアカウント。私は、あちこちに登録しています。
一カ所に登録していても、なかなか成果が出ず、実験的にアカウントを増やしたためですが。結局、アカウントが少なかろうと多くしようと、私の言う「成果」にはなかなかたどり着きません。
目指すところが大きすぎるのでしょうか。私の夢は、毎日好きなことをして生きること。即ち好きなことの収益化です。生きていけるくらいの。
でも今はお小遣い程度。通信や道具にかかる費用を思うと赤字ですね。創作で暮らすなど、夢のまた夢のまた夢です。
数万円のカメラを買ったときも、これで元取るぞーって思ったのですが、取れるわけもなく……。
アカウントを増やしてしまったため、お世話になった多くの人のところを回りきれません。
あっちでもこっちでも、いつも親切にしてくださる方がいたなぁと……。
なのに、あっちもこっちもアカウント放置で申し訳ないです。
だったらこんな駄文投稿していないでアカウント回って、お世話になった人に会いに行けばいいのに、というところではありますが。会ったり話したり活動したり、そのすべてに時間がかかるのが悩ましいところです。
活動は繋がりを生むのか、アカウントを動かしていると、初めましての方が話しかけてくださることもあります。
それはものすごく嬉しいのですが、現在、いつもお世話になっているフォロワー様のところも回りきれず停滞しているので、冷たいような対応になってしまったりします。もっとお話ししたいのに……と、申し訳ないです。
全員と喋れたら良いのに。その上で、創作時間も無限にあれば良いのに。生活上の様々な作業、舞い込んでくる面倒な手続き等、なければ良いのに。時間がどうとかケチくさいこと言わず、好きなことを好きなだけ、自由に、おおらかにやりたいです。焦って必死な雰囲気になるのは嫌です。もっと楽しそうに遊んでいる、好奇心旺盛で元気で、声をかけたくなるような雰囲気であれたら。
一体どうしたら、この状況を打破できるんでしょう。
それは、読み専になるか、書き専になるか、というところでしょうか。
読み専になれば、お世話になった人、会いたい人、以前繋がっていた人、検索で見かけて気になったページ、全部見に行けるかもしれません。停滞することもなく、余裕かもしれません。
ただ、読み専だと、ずっとテレビを見ているのと同じでしょう。投稿している今でも何も起こりませんが、創作しなければ更に何も起こりません。……試していないのでそうとも限りませんけれど。
何より私は書きたい、創作したいのだと思います。頭に浮かぶ世界を一つでも多く出したい。放っておいたら忘れてしまう、消えてしまうのが嫌だから。創作をやめられません。
じゃあ、コメント欄もいいね欄も閉じるか放置で、書き専になる?
けれど読むのも好きで、また人恋しくて、投稿を読んでいるとコメントしたい、話したいとなるのです。
私はネットで話すのが好きで、以前から、ゲームのコメント欄やら無料チャットやらSNSやら小説投稿サイトやら、あちこち回ってきました。
話すのは上手くなかったからしょっちゅう人と喧嘩し、荒らしみたいなこともやり、通報されそうにもなりましたが、それでも話したかったのです。
ということで、書き専にもなりたくありません。
以前ブログで更新していたときはいいねがメインで、ずっといいねを返しながら、いいねだけ押すのに空しさを感じたりもしました。コメントが好きなのです。
結局、書くのも読むのも交流も遊びものんびりもしたいから、今の停滞状態を続行することになりそうです。
が、削れるところはあるんじゃないか? と思っています。
それは、無差別いいね・フォローへのお返しです。
なんかよく分からないアカウントからのいいねやフォローもつい返してしまいます。自分の作品のアクセス数を見ると低く、いいねに比べてアクセス数が少ないです。作品に興味もないのにいいねを付けてくる人がたくさんいると思われるのに、誰が本当に興味を持ってくださっている人で、誰がそうじゃないのか分からない。嗅ぎ分けられない理由はまず、自分が受動的であることだと思います。
私は自分からいいねは割と積極的にするのですが、フォローはしません。私はお近づきになりたいけど、相手に嫌われていたらどうしようと不安になるためです。相手からフォローされた場合は、嫌われてはいないんだろうとホッとして、フォローを返します。
知らないアカウントからのいいねやフォローは別に返さなくてもいい気がするのですが、私は人を覚えるのが苦手なため、知らない人からいいねやフォローが来ても「以前どこかで……?」と思ったり、これが出会いかもしれないと思って返したりします。
ただ実質、アクセス集めのいいねやフォローも多いように思い、それに反応しているとキリがないのではないかと思い始めました。
コメントが好きで、いいね返しに若干疲れ、成果が出ないことにもモヤモヤした私は、以前ブログのいいね欄を閉じ、いいね返しをやめました。結果アクセス数はガタ落ちし、本当に読みたくてブログを読んでくださっている人なんて少なかったんだと思いました。
いいねがくると「読んでくださっているんだ!」と嬉しくなりますが、そうとも限りませんね。読んでいなくても、暇つぶしでも、いいねは押せます。そういったいいねやらフォローに反応しすぎで時間がないのかもしれません。
思えばブログとかのコメント欄で、「いいねありがとうございます!」というコメントがいくつか付いていて、返信のない記事とかありますが。あれは読みもせずの無差別いいねか、コメントしない主義かのどちらかでしょうか。ネット音痴なもので、何も判別つかなくて困ります。
できることなら、いいねやフォローくださった人に、「なんでいいね・フォローしてくださったんですか?」と聞いて回りたい。でもそんなの自意識過剰だし、また本当に気になって読んでくださっていた場合、コメントするとそこからコメントしあう仲になったりします。それはとても嬉しいことですが、今のフォロワー様のところも回りきれていない私には手一杯です。
そもそもいいねやフォローを返すとかいう発想が間違いなのか……。
こちらも好きな投稿を読み、相手の方も好きな投稿を好きなように読み。それは「お互い」にはならないかもしれませんが、その方が健全かも。でも趣味の違う友達から刺激を受けるように、価値観の違う様々な人と繋がることにもきっと大切な意味があるような。
けど私、底辺作家なので、ブログで自分の作品のリンクを貼って宣伝しても、作品のアクセス数がほとんど上がらなかったことはショックでした。宣伝投稿にいいねは付くのに、作品が見られた形跡はない。いつも記事を見てくださるフォロワー様はいるけど、私の作品に興味はないみたい。いいね返しするから、それ目当てで人が来てくださるのかな、なんて。皆様忙しいのでしょうが、なんか、いいね返しがこなすべき作業みたいになっていて、本当は私の投稿や創作になど何も興味を持たれていないとしたら悲しすぎます。
でも、「この人と繋がりたい」と「この人の作品を読みたい」は別物なのかもしれません。趣味や価値観の違う友達、みたいな。
家族でも友達でも、相手のやりたいことに共感・応援するとは限りませんよね。時には「やめたら?」と、夢を諦めさせようとすることもあるかもしれません。子どもに「絵ばっかり描いていないで勉強しなさい」と言ったり、パートナーに「趣味にお金や時間つぎ込むのやめて、もっと働いてよ」と思ったり。フォロワー様もそういう感じで、「理解者」「ファン」というよりは「身内」寄りの方が多いのかも。私の場合、今のところ。
繋がりの作り方が下手なこととか、あと、やっていることが多すぎてアカウントがごちゃごちゃになっているところもあるかも。「小説」一本で投稿、とかなら、小説のファンの方が付いてくださるかもしれませんが、私の投稿はごちゃ混ぜなので、「絵が好きで見てくださる」けど「小説には興味ない」とか、そういう可能性があるのかも。
で、私の行動の仕方として、正しいのは何でしょう。
趣味が違うことには一切反応しない? いや、そんなに世界が狭いのは心が狭いことであり、もっと世界が広がった方が良いような。いやいや、もっと狭めた方が良いのか。
うーん……。まず優先順位や目的が定まっていないのでしょう。
私がウインナーの試食を配る人だとすると。私のまわりに色んな人が来ます。ただ通り過ぎるだけの人。無料の試食が目当てで、買うつもりはない人。「ウインナーよりこれを食べてください!」と、別の試食を勧める人。ここに集まる人を利用してポケットティッシュを配る人。ウインナーには興味ないけどいつも話しかけてくれる人。特に何も考えずに受け取る人。そういった方たちの本音をどう見分け、どう関わるか?
私の目的って、理想って、やりたいことって、一体何なのか。何がしたいんでしょう。私に分からないのだから、読者様から見れば余計分かりませんね。
分からなさすぎて、でも時間は流れていって、相変わらず作品は評価されず、アクセス数も上がらず、好きな表現をしたら「それは苦手かな~」「それよりこうしたら?」みたいな反応をいただくこともあり、迷います。
みんなもっと、心から好きなことにだけアクションしたらいいのに。それは私もか。
うおー、まったくもって心の整理がつかーんっ!!
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