あさイチの「女性のひきこもり」特集(?)見ました。
女性ならではの「子を産み育てろ」「ちゃんと家事をしろ」といった圧が女性を追い詰めていること。改めて「そういう概念がひきこもりと関係するのか」と知りました。
ひきこもりは男性が多いと言われていたけれど、実は女性のひきこもりも多いという実態。そしてひきこもりの集いには女性は来づらかったことなど(やはり男性が怖い女性が多いのでしょうか)、新鮮な情報がたくさんありました。
私も生きづらいので、そういった人の味方のような発信ができれば良いのですが、私は口汚くて怒りや人間不信が強いので、生きづらい人に寄り添うどころか言葉のトドメを刺し、新たなトラウマの種になってしまいそうです。
言葉は刃なので気をつけなくてはいけないですが、ストレス発散のために吐き出しもしたい……。「みんなの陰口が嫌だったけど、陰口吐かなきゃやってやれないんだな」と気づいた今日この頃。難しいもんですね。
*
今まで「ひきこもり」という言葉は怖くて避けていました。どちらかというと、「まわりの人が困っている」「当事者をどう立ち直らせるか、働かせるか」という焦りを含んだ「支援」の話ばかりで、「問題」「欠陥」であるように言われ、責められているように感じたから。
「ニートはクズ」みたいな話題もネットに溢れています。いじめや性犯罪や、発達障害・グレーゾーンのような何らかの「まわりと噛み合わない」状態を苦に「働けない」人も多いだろうに、それを本気で怒る人、クズだと笑い物にする人、「死ねばいい」「強制労働させろ」などと冷酷な人が多く、人は人を助けようなんてしないんだなと思いました。
近年では、一生懸命日本のために働いてきた高齢者にまで「働けなくなった穀潰しは安楽死させるべき」というようなニュアンスの言葉が、当たり前のように書かれています。
「役に立つか、立たないか」という恐ろしい視点の風潮が世間を追い立て、それを恐れていじめや差別や冷酷な意見が蔓延。止まらない環境破壊に災害、病気。これにより、本来なら普通に生きていけたはずの人まで精神を病み、引きこもりとか、診断名が増えていくんじゃないでしょうか。ストレスが多すぎる。過激な意見をおとなしい人が怖がっているのでしょう。
いじめられても「お前が悪い」、性犯罪に遭っても「お前が悪い」、引きこもりになったら、いじめや性犯罪を容認するような悪人のみならず、真面目な人にまで「お前が悪い」と言われるのです。
「社会」の言う通りにし続けたらどうなった? 戦争、環境破壊、異常気象。どう考えても正常ぶってる社会が悪いのです。このままじゃ虫達が滅びてしまう。「人間社会なんか少子高齢化が進み、互いに憎しみ合い、口汚く罵り合ううちに滅びてしまえばいい」とさえ思ってしまいます。そうすればまだ、地球は助かるかもしれない。人が滅べば環境は復活するかもしれない。このままじゃ人類どころか生命が危ないです。
人間社会などクソです。正論なんてない。正論ぶって責めてくる人なんか、先見の明もなんにもない。新人や部下を追い込んで心を病ませて退職させるバカ上司みたいなものが世界に溢れている。そうなると会社の人手不足が悪化。みんな疲れて怖くなってしまって、社会の人手不足も悪化。そりゃひきこもりもニートも増えるでしょう。
「育てる」力がない。まったくない。虐待親が虐待子を産み、人格の腐った人々が嬉々としてマウントを取り合い、社会は滅びてゆく。
役に立つとか立たないとか、お金があるとかないとか、こんな馬鹿馬鹿しい応酬のために人間社会が存在するなんて泣けてきます。世界に愛しかなければ、誰も誰かを問題呼ばわりなどしなかったはず。
今まで誰かに正論ぶった感情をぶつけられたら、夜に泣いてストレス発散して済ませてきましたが、これからは「殺してやるぞ」くらいの意気で生きていこうと思います。相手も辛さや怒りを本気でぶつけてくる。こちらも全力でぶつける。戦争です。
といっても、本当に殺したくはない。私も至らなくて、誰かにトラウマや怒りを植え付けたことは多々あると思うので。人も失言するし、自分も失言します。私の言葉もどこかで誰かに「こんなひどいことを言われた」とトラウマとして語られていることでしょう。私は残念ながら器が小さすぎて、誰の味方にもなれない。
人ってデリケートな生き物ですね。
やっちゃったことを棚に上げてでも。都合よく解釈してでも。今はすべてを忘れても。とりあえず生きていきましょう。生きてて偉いのです。「私のせいじゃない!」で良いのです。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!