「世の中がつまらいんじゃないの、あなたがつまらない人間になったのよ!」
ある作品の、ある少女が無い胸を張って言っていた。
その作品と僕が産まれた年が数年しか変わらないんだ、今の人には伝わらないのだろう。でも、それでも僕は昔からこの言葉が引っかかる。
確かに、世の中がつまらないと思うこともあるだろう。それは、世の中がつまらないんじゃなく、そう思ってる自分がいるだけ……。
僕は陰キャだしひとりで登下校してるけど、常に楽しいと思ってる。もちろん、この考えている時間もだ。
しかし、傍から見れば僕の人生はつまらなく映るのだろう。無理はない、自分でもそう思う。
でも、客観的に見たときと主観的に見たときの意見が異なるということは日常茶飯事。これに関しても同じことが言えるだろう。
傍から見ればつまらない人間、しかし中身はこの状況を楽しんでいる……。
実際に楽しんでいることを他の人に伝えてもその考えは否定されるだろう。
「こっちのほうが面白くね?」
「えーでもひとりとか嫌じゃん」
みたいな感じで。流石に万年陰キャな僕でもわかる。
周りの価値観を人に押し付けるということは、相手を知ることができると同時に意見の衝突も起こる。
僕は面倒事も人と関わることも嫌いだから意見は押し殺す。自分が嫌な思いをするほうが、関係性が壊れることよりよっぽどマシだろう。
話がそれた。まぁ、この件について何も言うことは無いが、それでも一つ言わなければいけないというのなら頑張って捻り出してみよう。
……。
………。
…………。
駄目だ、全く仰る通りで御座いますぐらいしか思いつかない。この回答は流石に面白みがないな。
……面白みがない。これは、自分の何処かがつまらない人間になっているのか?考えれば考えるほど沼にハマりそうになる。ので流石にこれに関しては考えるのをやめよう。
現実的なことを考えると、つまらない人間になったという自分が変わったところとつまらない世界になったという世界が変わったところ、両方が作用してつまらなく感じるのだと思う。
運動が好きな人でも受験期で運動の時間が減ってつまらなく感じることもあるだろうし、友達と楽しく過ごしていたら絶縁されたりしたらつまらなくなるだろう。
世の中は変わるし、自分も変わる。相互作用ってやつなのかな、違うかも。
ま、正直僕には関係ない話だったね。つまらなくても楽しくても、生きていればそれでいい。そういう考え方だから。
死んでたら、つまらないも楽しいも無いからね。
あ、折角だし最後に自己紹介をしておこう。僕は鴨川《かもがわ》 宗介。高校2年生。加茂川じゃなくて、鴨川なのが陰キャっぽくていいよね。
じゃ、また生きてたら会おう。今度は陰キャ仲間でも見つけたいところだけど……ボッチだからね、無理かも。
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