「形あるものはいつか壊れる」
どこかの作品で見た気がする。これも、仰るとおりだ。
どれだけ大事にしても、どれだけ取り繕っても、存在する限り変化しないわけがない。
例えばテセウスの船。船の一部が壊れてしまった。その部分だけを新しい素材で補う。これを繰り返していき、元の素材が無くなる。果たしてこれは同じものと言えるのか……。
そうだな、最初に取り替えた部分から全てが変わる前に補った部分までは『最初のテセウスの船』と同じ日々を過ごしたはずだ。しかし、最初の素材ではない。じゃあ同じ船とは言えないかという話だが、僕的にはそうでもないと思う。
少し話が変わるが、最初の言葉は形あるものだけでなく関係性にも当てはまるだろう。同じ行動を繰り返すわけでもない、毎日違うのだから、変化は避けれない。
例えばあるコミュニティがあるとする。最年長のリーダーが抜け、その代わりに次のものがリーダーとなり、新しい者を招き入れる。こうして全世代が交代したとき、同じコミュニティと言えるのか。そう、これはテセウスの船の人間関係バージョンと言えるだろう。
この2つだけだと「いやいや、同じとは言えないんじゃないの?」と思う人もいるだろうが、このコミュニティの名前が『日本』だと考えたらどうなる?
全国統一した豊臣秀吉から徳川家康へ、その子孫から朝廷へと支配が受け渡され……そうやって日本は変わっていった。
しかし、今も昔も日本は日本。昔と今の境目なんてないし、ましてや別の土地というわけでもない。
だからこそ僕は、テセウスの船は素材が変わったとしても、テセウスの船であるという事実は変わらないと思う。
……何の話だったか。そうだ、形あるものが壊れることの話だ。何故テセウスの船になる。
そういえば、この言葉の続きがあったな。覚えてないので調べてみる。
「じゃがそれは同時に、思い出に光が灯る瞬間でもある。本当に大切なものや美しいものは、目には見えない。心の中にあるものじゃからな」
……なるほど、確かに失ってからこそ気付くものだってある。いや、そっちのほうが多いんじゃないだろうか。
しかし、心の中にある……か。これもいつか壊れてしまうと考えてみると、少し悲しくなるな。
壊したくないのなら、他の人に同じものを伝えればいいのではないか、そう思うかもしれない。だが実際に経験し、そう感じたのは自分自身ただ一人。
この場合の『テセウスの船』はその人の心にあるんだから、それはただの『テセウスの船』の模造品にしかならない。
この世に存在してしまったらいつか壊れる終わりがあるからこそ生き物は進化しているのだろうが、やはり悲しいな。
「確かに私も昔のソウスケくんがもういないとなると寂しい……が、これも『テセウスの船』だ。今のソウスケくんと昔のソウスケくんは肉体が変わっても精神は変わってないな。もちろん変わってるように見える子もいるだろうが、それは昔は表に出てなかっただけだろう。
……自覚があるなら少しは私と話そうと変わってみてはどうだろうか」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!