「あー、良かった。これで何とかなりそうだ」
「思い切ったことをしますな、クレイン様」
「縁談はまとまったんだから、いいだろ?」
アースガルド領には取り立てて特産品もない。が、交通の要所ではある。
王国の東部地域と中央を繋ぐ玄関口になっているので、通行料で稼いでいたものの。それはそれほど大きな金額でもない。
ラグナ侯爵家の襲撃に備えるなら、少しでも資金力を付けたいところだった。
新しい産業はもちろん必要で、今クレインが一番欲しがっているものは――ヨトゥン家の畑だ。
縁談を進めているヨトゥン領は食料生産高が国内でもトップであり。
穀倉地帯の他でも各種の野菜や家畜を大規模に育てている、非常に豊かな領地なのだ。
「くくく……今年は冷夏の兆しがあるからな。北から仕入れている寒冷地対応種を、義実家で育てて高く売るんだ」
「はは……畑を借りるために婚姻を急ぐとは。先代も驚きますな、きっと」
クレインは今年が冷夏になることを知っている。秋には不作で食料不足になるのだ。
しかしアースガルド領は山がちなので、食料の大量生産には不向き。
だから畑と農家を借りて、冷害に強い作物を大量に育てようとしていた。
食料の値段が高騰するため。商売にはそれほど詳しくないクレインでも、十分な儲けが出せるだろう――という目論見だ。
ヨトゥン家に指定した品種の作物を生産してもらう代わりに、場所代と、あらかじめ決めておいた作物代を支払う契約は既に結ばれている。
「婚約の話し合いと平行して進めていたんだが、快く許してくれたよ」
「ですがクレイン様。北方種は味が悪く……その、冷夏が来なければ、恐らく赤字ですぞ?」
「大丈夫だ爺、俺を信じろ」
値上がりした食料を買い付けるには結構な金がかかるので、台所事情が苦しくなる家が増えるのは事実なのだ。
それを多少安く売れば。食料を売って儲けられるついでに、周辺の家に恩も売れる。
例年とそれほど変わらない価格で販売するだけでも、恩義を感じてくれる家は多いことだろう。
そんな計画を立てていた。
「四月の段階で、行商人に買い付けは頼んであるからな。いや、本当に無駄にならなくてよかったよ。……そろそろ帰ってくるんじゃないか?」
「行商人と言うと……トムですか? そうですな、そろそろかと」
今年の夏に間に合わせるため、婚姻が成立していない段階で種芋などの買い付けを始めていたのだ。
もしも縁談に失敗すれば、行き場の無い苗を大量に抱えるギャンブルではあった。
が、何にせよ、領主の結婚相手については執事長のクラウスも気にしていたので、肩の荷が一つ降りたし。
クレインとしても明るい未来が見えてきた気がする。
ということで。彼らは初夏の日差しを浴びながら、穏やかに笑い合っていた。
しかし、そうしていたところ。
衛兵隊長のハンスが大慌てでクレインの前にすっ飛んできて、スライディングするような勢いで平伏してきた。
「ご注進! ご報告申し上げます!」
「なんだ、騒々しい」
礼儀にうるさい執事長はむっとした顔をしたが、ハンスとしては彼の小言を聞いている場合ではなかった。
慌てた様子で、先ほど届いたばかりの手紙をクレインに差し出す。
「と、東方のヴァナウート伯爵家より、当家に宣戦布告が為されました!」
「…………え? は? どういうことだ!?」
ヴァナウート家はいくつかの領地を挟んだ先に居る大物だ。
東の伯爵なので、東伯と呼ばれている。
――しかし今のクレインはもちろん、前世のクレインですら一切面識はない。
「ま、待て待て、開戦の理由はなんだよ!」
ラグナ家は領地関係のいざこざがあったからまだ分かる。
しかしヴァナウート家とは本格的に何の関わりもない。
どうしてそうなるのかと、使者が届けに来た手紙をハンスの手からひったくり。乱雑に開封したクレインだが。
そこに書いてあった文言とは。
「私が縁談を進めていた花嫁を横から奪い取るなど、当家に対する侮辱である。その罪は血で贖ってもらおうか」
という内容だった。
伯爵家現当主からの、しかも直筆のお手紙である。
「……これ、ヴァナウート家から届いたのか? 東伯の?」
「…………はい、間違い無く」
手紙は全て読んだが、クレインの頭は理解を拒んでいた。
ヴァナウート伯爵は今年で四十三歳になる男だが。十一歳の女の子を妻に加えようと三年頑張っていたらしい。
手紙ではそう力説されているし、激流の如くのたうつ文字からは本気の恨みが感じられる。
四十歳の男が、七、八歳の少女に本気で懸想していたわけだ。
手に入れるためには、戦争も辞さないレベルで惚れていたらしい。
つまり、この超スピード婚約劇の裏には。
愛娘をロリコンの魔の手から守るべく、さっさと年代の近い男と婚約を結ばせたい。
という目的もあったのだとクレインは察した。
結果としてメンツが丸潰れになった東伯が激怒して、怒りの矛先をアースガルド領へ向けたわけだ。
伯爵の獲物を横からかっさらった弱小貴族に、目に物見せてやる。
という流れらしい。
「んなもの、予想がつくかよ……」
手紙――滅亡のお知らせ――を受け取った数日後。
間にあるいくつもの領地を強引に踏み越えて、伯爵家の軍勢が怒涛の進撃を見せた。
ヨトゥン家が間に入ったり、援軍を送ったりと対応する暇もなくアースガルド領内へ進軍し。
クレインが送った使者も全て無視されて。
両軍はアースガルド領の東側を流れる、川を挟んで対峙した。
現れた敵軍は二万ほどだ。
伯爵家は主力部隊を揃えており。兵たちはこんなアホな戦いでも文句を言わずに、一糸乱れぬ動きを見せている。
対する味方は、かき集めた民間人を入れても三千人。
東方異民族との戦いで名を馳せた東伯ご自慢の騎馬隊が、戦場を縦横無尽に駆け巡り。
そんな精鋭部隊に素人の防衛部隊が敵うはずもなく。
アースガルド領はあっさりと陥落することになった。
王国歴500年6月5日。
この日アースガルド領は、領主の痴情のもつれによって滅びた。
これ以降、ガンガンクレインが死んでいきます。お楽しみに!(白目)
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