「……しかし、動機は分からず仕舞いか」
ここで時は、毒殺を防いだ直前に巻き戻る。
サーガの謀反を片付けて屋敷に帰還したクレインは、気味の悪さを感じていた。
一見した限りではヘルメスもグルに見えたが、証拠は何もないのだ。
「密偵とかも育てておくべきだった。仕官希望者の中に、そういう仕事ができる奴はいたんだし」
有能な人材を集めようと大金をエサにした時。志願者の中には、一芸に秀でた人間もそれなりの数がいた。
鍵屋一筋三十年、王宮の宝物庫でも開けてみせる。などと豪語する危ない男。
どこにでも潜入して、どんなネタでも掴んでくると言う。自称敏腕新聞記者。
その他にも足を洗った元コソ泥や盗賊紛いのチンピラたちと、本当に色々いた。
別に色物を集めたかったわけではないクレインはスルーしたが、何人かは雇っても良かったのかもしれないと思い始めている。
「盗賊は論外でも、潜入に長けた奴らは雇っておいても良かったかな……。まあ、次があるなら考えるか」
現状でクレインに動かせる駒は少ない。と言うよりも、信頼できる人間が少ない。
内政面では執事長のクラウス。
防衛面では衛兵隊長のハンス。
経済面では労働者の頭であるバルガス。
細々した案件で小間使いに使えるマリー。
その他にも、古くからアースガルド家に仕える生え抜きの家臣はいる。
しかしクレインが家臣たちの顔を思い浮かべて行っても、何か特殊な技能を持っている者はいないように見えた。
「どこかのタイミングで人材を増やさないといけないんだ。俺の意思に従う、俺だけの人材を」
王宮から派遣されてきた人材は、少し風向きが変わるだけで離れていくだろう。
第一王子の考え一つで半数が離脱し、国王の意向一つで全員いなくなる。
そうでなくとも王宮の息がかかっている人間ばかりなのだから、気を抜けば領地を乗っ取られるかもしれないのだ。
つまるところ、他所(よそ)から人材を借りるというのは諸刃の剣。
領地を効率良く強化できる代わりに安定感が無くなり、スパイも入り放題になる。
「はぁ……まあ、そうは言っても無いものねだりだ。今は俺が動くしかない」
最終目標はラグナ侯爵家の侵略を防ぎ、領民と己の命を守り抜くこと。
それを達成するために色々と対策を講じてきたクレインだが、まだまだ課題は山積みになっている。
目下、配下を増やすためにできそうなことと言えば、献策大会に来ていた在野の士に声をかけて回るか。
それともトレックを筆頭に、信用できそうな商人を囲い込むか。
それくらいしかできないなと、クレインは溜息を吐いた。
「まあいい。俺には最大の武器があるからな」
クレインは死んだとしても過去に戻ることができるのだ。
そのメカニズムはまだまだ不明だが、使える武器はそれだけである。
ブリュンヒルデに殺されているうちに、命を懸けた実戦で戦闘技能が少し上がっているし。第一王子とのやり取りなどで、人の顔色を窺う技術も身についてきている。
「どれだけ鍛えたってあの騎士様に勝てる気はしないが。……まあ、俺が一騎当千の荒武者になる必要もない」
ラグナ家がアースガルド領に派遣した兵力は三万ほどだ。
クレインが達人級になるまで鍛えたとして、絶対に勝てないのは目に見えていた。
領地を大きくする方向で動くのは正しいと結論付けて、彼は更に考える。
「このままのペースでアースガルド家が順調に発展したとして、三年後の兵力は一万前後になるだろう。……多めに見積もれば一万三千くらいはいけるかな」
急ごしらえで作った一万の軍。
ラグナ侯爵家で長年鍛え上げられ、動乱の中で転戦を重ねた歴戦の三万の軍。
この戦力差で対抗できるかは怪しいが、アースガルド領の元々を考えれば上出来すぎるくらいだ。本来ならば領内の戦える者を全部かき集めても、二千人ほどの兵士しかいなかったのだから。
つまり今までのやり直しの成果として、兵士を八千人から一万人ほど増やせる見込みが立った。
クレインが一人で一万人分の働きをすることなど到底できないので、個人の武力はあったらいいな、くらいの認識になっている。
「けど、もう少し欲しいな。せめてラグナ家が送ってきた軍隊の半分、一万五千の兵を集めて……それを指揮する将を用意すれば足止めはできるだろう」
クレインに逆侵攻の野心はなく、彼らが去ってくれさえすればいい。
領地さえ守り切れたら勝ちなのだ。
最悪の場合は持久戦に持ち込み、時間を稼ぐだけで撃退は可能かもしれない。
そもそもラグナ家は新しく手に入れた西の領地で、常に謀反の恐れがある。
三万もの兵をこんな子爵家に張り付けていれば、どこかの家から本拠地を急襲されるハメになるかもしれないのだ。
「てことで、ここからは安定志向でいきたいね。不安要素は排除だ排除」
そう言いつつ、彼は夜の街を駆ける。
目的地はヘルメス商会のアースガルド領本店だ。
まだ一店舗しかないのに本店と名が付いていることから、店舗を増やす意思はあるのだろう。
善意で領地の発展に協力してくれるのなら歓迎しただろうが、暗殺を試みるような勢力が成長しても嬉しくはない。
さて、少し遠回りにはなったが。
これら諸々の事情を考えた時に、クレインが取った行動は少しばかり常識から外れた。
「……領主自らが密偵に来るなんて、夢にも思うまい」
ということで。
今現在、時刻は夜の一時過ぎ。クレインは黒ずくめの恰好で路地裏に居る。
暗殺事件の時に怪しい動きを見せていたヘルメス商会へ、総大将自らがガサ入れに来たのだ。
今現在、諜報に使える部下はいないし育てる時間もない。
だったら発想の転換だ。クレインが密偵のプロになればいい。
繰り返すがブリュンヒルデから殺される度に、彼は剣を避ける技術がどんどん向上している。
剣を振る方はからきしでも、どういう攻撃をされたら防げないのかをその身で学んできたので、多少の心得はできていた。
何度も同じことを繰り返しているうちに身に着いたのだから、密偵についても何度か繰り返せば上手くなるだろう。という話である。
情報の総量は決まっているのだから、クレインにも不安はない。
クレインが手を入れなければ全く同じ時期に、全く同じ展開が訪れるのだ。
誰が敵で誰が味方か。裏事情はどうなっているのか。
最初から失敗を覚悟で、背後関係まで残さず洗い切ってしまえばいい。
もっと言えば裏切者が裏切るタイミングまでバッチリ分かるのだから、相手が調査を警戒していない段階から対策を打てる。
疑われていると知らない相手へ、逆に不意打ちを仕掛けることもできるのだ。
「さて、ヘルメスを拷問して吐かせるか。それとも証拠になりそうなものを見つけるか――酷い話だけど、非人道的なコトもやりたい放題だな」
クレインが死んでも時間が戻るだけなので、危ない橋も渡り放題だ。
どんな手段を採ろうとリセットが可能な以上、悪評が立つこともない。
手段を択ばずに何度も調べれば、最期には必ず正しい情報に行き当たるだろう。
「表は流石に警備がいるよな。……そうだ、窓から入ろう」
現地の路地裏から通りを見たクレインは、商会の前に強面の見張りが立っていることを確認して、正面からの侵入を諦めた。
路地に積まれていた木箱を集めて塀によじ登り、少し高い位置にある窓へ手を掛けてみる。
「当然鍵は閉まっているわけだが、対策済みだ。ここでコレが役に立つ」
ここでクレインは、献策大会で元コソ泥から聞いたこぼれ話を活用していく。
盗みのプロ曰く、粘土を窓に張り付けてからハンマーで割ると、音が立ちにくい。
飛び散る破片も少ないので、家主にも気づかれにくいというのだ。
本当ならもっと下準備が必要になるし、専門の道具を使った方が確実なのだが。
すぐに用意できたのが、これしかないのだから仕方がない。
「失敗したらまた別な手段を考えよう」
そう呟きつつ窓に粘土を貼っていった。
窓ガラスは鈍い音を響かせながら、何度も軋み。小さなハンマーで四回叩いて、ようやく割れた。
「うーん、意外と力加減が難し――」
声はそこまでしか出ず、クレインの視界がぐるりと一回転していく。
気づけば視界が地面へ真っ逆さまに落ちて行き。
最早、見慣れたブーツを拝むことになった。
「悪いお人ですね。……いえ、クレイン様ではなく殿下の方が、ですが」
残念そうな声色で呟くのは、もちろんクレインの天敵であるブリュンヒルデだ。
彼女は血の滴る直剣を手にしているが、その血は誰の物か。
もちろんクレインの血だ。
「何にせよ、これで命令は果たしました。これから――ああ、まだ息がありましたか。苦しませてしまいましたね」
ブリュンヒルデは穏やかな微笑みを浮かべて、クレインにしっかりとトドメを刺す。
薄れゆく意識の中でクレインが襲撃者の口元を見れば。極楽往生を祈り、小声で何かの祈りを捧げていた。
どうやら窓枠と格闘しているうちに、背後から斬られたようだ。
又しても彼は、ブリュンヒルデに殺害されたのである。
クレインにも状況は把握できたのだが――
――俺、なんで殺されたの?
という感想を抱きながら、クレインの意識は闇に沈んでいった。
王国歴500年8月22日。
この日領主が行方不明になり、後にアースガルド領は王家の直轄地に編入された。
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