東方に不穏な動きあり。
それを知ったクレインはヘルメス商会を叩き。
蔵の金と引き換えに、敵を弱体化することには成功した。
前回より拡大された砦の建築も終わり、防衛の準備は整っている。
あとは敵がいつ攻めてくるかだけだ。
「何? 王都まで来てほしい?」
「はい。侯爵も一度王都に参りますので」
「そうか」
さあ、いざ決戦を。
という段階になって、北候からの使者が来た。
伝達の内容は王都にて、南伯も交えての作戦会議をしたいとのことだ。
「宮中政治が上手くいった、ということでいいのかな?」
「はい。次に東伯が兵を挙げれば、謀反人として討伐令を下す用意があります」
「それは頼もしいことだ」
その前段階として。
東方の領地のいくつかが、ラグナ侯爵家の飛び地として与えられると決まった。
これは王宮から下された決定事項だ。
そしてこのあと何が起こるかは、クレインも知っている。
「では、東方の領主たちは後腐れなく処理をするのかな」
「ええ、そうなります」
「それなら来月の頭に合わせようか。その頃にはある程度落ち着いているだろうし」
王都で第二回の粛清が起き、東方の領主が何名か暗殺される。
本来の歴史通りに行くならば、ラグナ侯爵の謀略は成功するのだ。
――しかし今はイレギュラーな歴史を歩んでいる。
果たして全てが上手くいくか心配になるクレインだが。
失敗したとしてやり直せばいいのだから、彼には余裕があった。
「畏まりました。ヨトゥン伯爵家にも使いは出しておりますので、会談のご用意をお願い申し上げます」
「承知した。話が終わりなら……使用人に案内をさせる。ゆっくり休んでくれ」
北候からの使いを下らせると。
クレインはすぐに寝室へ戻り、旅の支度を始めた。
寝室のクローゼットから上等な衣服を抜き出し。
領内の職人が仕上げたカフスボタンなどを選んでいく。
「えっと、タイはこっちの方がいいか? いや、でも袖の色と合わせるなら……」
相手が上流階級とあって、普段よりも気合の入れた服装をする必要がある。
普段はそれほど気を使っていない部分だけあって、彼はかなり悩んでいた。
そうして、唸りながら準備をすること十数分。
「クレイン様もお忙しいですね」
会合の服装をどうしようか色々と検討をしていれば。
使用人を背後に連れて、アストリがやって来た。
付き人たちを部屋の入口に待たせて一人、彼女はクレインの傍に近寄る。
「これが終われば落ち着くと思うんだけど……そうだ、アスティも一緒に行くか?」
「いえ、私は留守を守っていようと思います」
折角王都に行くのだから、一緒に演劇の観覧でもしようと思ったクレインだが。今は領内全体が決戦の準備で大忙しだ。
決裁ができる人間は一人でも多い方がいいだろうと、アストリは留守居役を選んだようだった。
「そうか……じゃあ、お土産は買ってくるよ」
「ええ、期待しています」
「じゃあ俺の印を渡しておくから。もしも留守の間に何かあれば、クラウスとマリーを頼ってくれ」
アストリは意外そうな顔でクレインを見て。
「マリーさんはお連れしないのですか?」
そう聞いたが、クレインにはこの質問の意図が彼には分からなかった。
今までも、少数の護衛だけを連れて王都へ上っていたからだ。
「え? ああ、うん。連れては行かないけど」
「……そうですか」
「えっと。いつも旅の間は自分で支度をしているけど。どうしてマリーを?」
今回に限って何故?
そう思い、クレインは聞いてみる。
もしかすると、彼女を連れて行った方が有益になる場面がくる。
と、アストリが考えているかもしれないからだ。
そう聞かれたアストリは目線を上に送ってから。
何でもないような口調で言う。
「マリーさんは、お妾さんではないのですか?」
「えっ?」
「単身赴任の時は妻と離れて楽しめるので、連れて行くのが常と教わりましたが」
ヨトゥン伯爵家では、様々な角度から貴族教育を施している。
一般的な礼儀作法、教養から。
少しばかり常識から外れた裏ルールや不文律まで、全部だ。
しかしクレインは、娘に何てことを教えているんだ。
と、南伯の。
いや、ヨトゥン伯爵家の教育方針に少し引き。
「俺に妾はいないよ」
「ふふ、隠さなくても大丈夫ですよ。私も、そこは理解していますから」
愛人などはおらず、恋人や夫婦の関係にあるのはアストリだけだと素直に答えた。
だが彼女は、その言葉を冗談だと思っているらしい。
「いや、あの。本当に違……」
「彼女は私たちにも良くしてくださいますし。何でしたら、クレイン様の夫人にしても気にしませんので」
理解があるのは助かるだろうが、理解があり過ぎても困る。
そう考えて、クレインはフリーズした。
高位貴族の常識。
妻や夫が複数人などという話は当たり前。
法的な関係の無い事実上の妻が、二人や三人はいて当然という認識のアストリ。
一方、田舎貴族の常識。
近辺の領主は一夫一妻がほとんどだ。
後継ぎに困った場合に、二人目の妻を迎えるのがいいところ――という立場にあったクレイン。
一流の名門貴族と、そこら辺にいる中小貴族。
倫理観以前に財力の問題がある。
生活レベルの点からして、認識の齟齬が発生していた。
「こういうところも、価値観の違いか」
「……?」
真の上流階級であるアストリと、一応の上流階級だったクレイン。
育ってきた環境の違いから発生した問題であった。
確かにクレインも今や一流の域には来られたが、心根は田舎貴族のままだ。
別に酒池肉林やハーレムなど求めていない。
彼も、そういった部分からすれ違い、離婚に発展する場合があるとは聞いている。
しかしデリケートな話題だ。
ここをすぐにどうこうするのは無理だろう。
「まあ、将来のことは分からないけど。今のところは妾も愛人もいないよ」
不思議そうな顔をするアストリから目を背けつつ。
クレインは一旦、問題を先送りにすることを決めた。
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