馬車に揺られて、進むこと十五分ほど。
地価が高い王都にあって、クレインの屋敷よりも数段大きな邸宅が見えてきた。
玄関で執事と思しき老人に出迎えられ、彼は格式高い屋敷を歩いていく。
「主は先約と話しておられます。暫しお待ちくださいませ」
「構いませんよ。急にアポイントを取ったのはこちらですから」
応接室の前に待合室があるなど、クレインの常識では考えられない。
そこからして既に格の違いを味わっていた。
そして執事を始めとした使用人たちの動きは洗練されており、教育レベルが高い。
持て成しのための茶葉や茶菓子からして一級品だ。
出されたティーセットには銀のスプーンなどが付いているが。
銀で見破れない毒もあると――彼は、ブリュンヒルデから聞いたことがある。
「……はは。彼女から教わったことは、意外と多いな」
使用人たちが下がり、護衛たちも入口に置いてきた。
そうして一人になったクレインは考える。
第一王子との関係が続くことは、子爵家にとって好ましいことだ。
後ろ盾になってくれるのもそうだが、次代の王から目を掛けられているとなれば何事も有利に運べるだろう。
そして、彼の命令によっては裏切るとは言え。
ブリュンヒルデと共に過ごした時間も、もう五年を超えている。
それはクレインの主観であり、彼女からすれば一年半ほどだろうが。
殺害時に悲しそうな表情を見せるくらいの関係は築けているのだ。
恋愛感情などは抜きにしても。天敵に近い存在だとしても
情は確実にあるだろう。
しかしクレインはふと、思う。
もしもこの人生を進んだ先に、領地が生き残る未来があるとするならば。
果たして、その未来を失う可能性を受け入れてでも、彼女たちを助けるだろうか。
もしもこのまま平和な世が来れば、選択することになる。
「領民たちの命。アースガルド領。そして……俺の命か」
それらを再び危険に晒してでも、彼らを助けるか。
それとも見捨てるか。
これらを天秤にかければ、恐らく助けない。
クレインは薄々、そう考えていた。
「……王子とブリュンヒルデだけの問題じゃ、ないんだけどな」
その問いは、他の者にも当てはまる。
ランドルフやグレアム、ピーターやマリウス。
クラウスやトレック、マリーにバルガス。
主だった者の顔を順に思い浮かべて。
全員が生存したまま平和を勝ち取れなかった場合、どこまでなら許容できるだろう。
と、冷静に考えている自分に気づく。
「俺は、意外と薄情なのかもしれないな」
例えば今は、王子とブリュンヒルデ。
その他、王宮へ戻っていた数名の部下が消えた未来を生きている。
確かに暗殺を回避して、後ろ盾を継続してもらえた方が安泰ではあるだろう。
未来の王から重用されるなど、二度と来ない好機だ。
しかし今は南伯とも結べたし、領地の力は飛躍的に伸びている。
他の勢力と連携してラグナ侯爵家を退けることは可能なところまで来ていた。
――必要か不要かで分ければ、ここから先に王子の後ろ盾は不要かもしれない。
そんな考えに辟易としながら待っていれば、執事からお呼びがかかった。
「大変お待たせ致しました。先約様も同席されたいとのことで、主もそれを望んでおりますが……いかがしますか?」
嫌だと言っても意味は無いのだろう。
これはお願いではなく、あくまで確認だ。
そう思い、クレインは笑顔で頷く。
「私は構いませんよ。宰相閣下のご意向に従います」
「では、お通し致します」
執事に続いて客間を出ると、長い廊下を進み――応接室に通された。
赤い絨毯が敷かれた部屋で、机が三十は入りそうな部屋だ。
調度品はやはり一級品で、いくらの値が付くのかも分からない絵画などが飾られているし。
全体が落ち着いた茶系の色で統一されており、気品も感じる。
横に連なる大きな窓からは、庭園が一望できた。
外は生憎の雨だが、それすらもシックな雰囲気に一役買いそうだ。
そんな部屋で、二人の男が待っていた。
「子爵、お待たせして申し訳ない。そして、同席する無礼を許してくれたまえ」
「何分、話が終わらなくてな」
まずは、初老の宰相。
そして彼の正面に座っていたのは、金髪をオールバックにした男だ。
どこかの貴族だとはクレインにもすぐに分かったが、服の仕立てからして超一流の着こなしをしている。
年の頃は中年と青年の中間。
しかし歳不相応な貫禄を兼ね備えた男だ。
凛々しい目元からは不思議な目力を感じるし、一見して有能そうに見える。
佇まいを見ても高位貴族だろうと判断したクレインは、まず一礼した。
「クレイン・フォン・アースガルドと申します。こちらこそ、急な申し出に応じていただき、感謝を申し上げます」
「ああ、そう硬くならないでくれ。形式ばった会話は好みではないんだ」
宰相ではなく、同席していた男がそう言いながら手を振る。
「有難いお言葉ですが、礼節を尽くすのは当然です」
「……ふむ、もう少し気楽にいきたいのだがね。ダメかな、宰相」
この場の決定権は、王宮の序列トップであり屋敷の持ち主である、宰相が持つはずなのだが。
男はまるで自宅のような気楽さで、楽にしろと言う。
そして聞かれた宰相が、ため息を吐きながら答えるには。
「そなたが良いというのであれば、まあ良いだろう」
「なっ……。いえ、では、少し砕けた言葉で話すとしましょう」
普段なら宰相とて、初対面に近い中堅貴族を相手に楽な態度など取らせない。
金髪の男の意向を、宰相が尊重した形になる。
国政のトップですら遠慮しなければいけない相手は、そう多くない。
であればこの男は誰なのだろう。
そうは思うが、彼とクレインには面識が無かった。
「では、ええと……」
本来なら高位貴族の名前も顔も有名なのだが。
クレインは領地へ籠っているため、社交など満足にしていない。
身分が下の者は、上流階級の顔を知っていて当然なのだ。
名前を尋ねることすら無礼に当たる。
「ああ。アースガルド子爵とは初対面だからね、まずは自己紹介といこう」
「お気遣い、痛み入ります」
男はそこに気づいたようで、笑みを浮かべていた。
そして、彼がにこやかに告げた一言で――クレインの目が見開かれる。
「私の名はヴィクター。……ヴィクター・フォン・アマデウス・ラグナと言う」
ラグナ。
その名を冠する貴族家は、王国に一つしかない。
「北候と言った方が通りはいいかな? よろしく、アースガルド子爵」
別名は、北侯。
国内で最も巨大な領地を持ち、王国の北西から北東までの全てを牛耳る家。
紛れもない、王国の最大勢力だ。
それはアースガルド領を滅ぼした、仇敵にして怨敵。
クレインの宿敵で、天敵でもある。
打倒すべき仇と予想外の邂逅を果たしたクレインは、二の句を継げず。
強くなった雨脚が窓を叩く音だけが、ただ室内に響いていた。
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