「失礼。取引先を増やすのか?」
「え? ああ、これは失礼を。ようこそスルーズ商会へ」
トレックも客前だと気づいたのか、気を取り直して笑顔を作った。
貧すれば鈍するというか、前世ほどのキレがあるようには見えないクレインだが。
さりとて、彼としては話が優先だ。
「ありがとう。それで、少し話がある」
「どのようなお話でございますか?」
そう言えば初対面の時は慇懃に対応してきて、堅苦しいのが苦手と言ってから態度に遠慮が無くなったのだったか。
そう思いつつ、クレインは続けた。
「我々はアースガルド領から来ているんだが、領主様が付き合いのある商会を増やそうとしていてね」
「なるほど。東方面には出店しておりませんでしたが、いい機会かもしれません」
お忍びの旅なので、あくまで身分を隠しつつ。
しかしトレックからすれば、貴族の側近か縁者、又は本人だろうと気づかれつつ。
そんな中で、言葉を交わしていく。
「経済規模は大きくないが、精々が行商人との付き合いしか無い家だ。出入りを増やしてもいいんじゃないかな」
「左様でございますね。ええ、検討させていただきます」
突然目の前に現れた少年からの提案だ。
アースガルド領の規模が大きいわけでもなく。
陰謀から身を守るために、銀山の開発もしていない。
今後伸びていくとは思えない斜陽の領地だろう。
しかも第一王子の後押しが無いので、これですぐに動くわけはない。
そうと予想しつつ。
たまたま会えたのだから、勧誘だけはしておいた。
それも大事なこととは言え、クレインにはもう一つ目当てがあった。
「ああ、それから北に居る知り合いへ薬を渡したいんだけど。取り扱いはあるかな」
「探させてみましょう」
「奥を見てきます」
クレインが求めたのは、ランドルフの妻へ渡す治療薬だ。
取り扱いがあることは未来で確認している。
トレックの部下と思しき男が在庫を確認しに走れば、すぐに見つかったらしい。
「少々高値ですが、よろしいですか?」
「構わない。……ついでに、お近づきの印だ。不良在庫の商品があれば買い取るよ」
そう言った直後、横に立つマリーが小さく咳払いをした。
まあ、やり過ぎるなという意味だろう。
クレインもそう察しつつ、追加で条件を加える。
「雑貨以外で、何かあるかな?」
「不良在庫をお求めになる方も珍しいですね」
そう苦笑するトレックではあるものの。
在庫が余りがちなものを購入する代わりに、値引きを期待しているのかと推測し。
それなら遠慮なく提案しようと、すぐに切り返した。
「近頃仕入れすぎましたものですと、傷薬がございます」
「傷薬?」
「ええ、薬草を煎じて軟膏にしたものです。打ち身や切り傷によく効きます」
常備薬として売れ線の薬ではあるが。
同じ薬をヘルメス商会が叩き売りしたため、中々売れずにいた。
いくら長持ちすると言っても使用期限があるので、早めに捌きたい不良在庫と言えば真っ先にそれが思いついたらしい。
「あちらにアースガルド家お抱えの行商人がいる。布を買うと言っていたが、それも買わせよう」
「ありがとうございます。数はいかほどで?」
「他のものとの兼ね合いで、馬車に乗るだけかな」
今の荷馬車は空に近い。
商会の人間が空きスペースを見て、買えるだけ買っていくという形にした。
結構な量になるので、スルーズ商会としてはかなりの売り上げになるのだが。
「値引きは一割でいかがでしょう?」
「それでいいよ」
値引き交渉が前提の価格をトレックが出せば、クレインはあっさりと受け入れた。
これには少し驚いたトレックだが。
貴族の関係者だから値引きの意識が希薄なのかと思いきや、少し違う。
「お近づきの印と言っただろ? そこで大きな値引きを期待してどうするんだよ」
足元を見て、品物を買い占めていく。
なるほど、これから関係を作っていこうとする人間がやることではない。
「はは、これは一本取られました。ええ、その通りですね」
堂々と正面からそう言える人物が交渉口に立つなら、信頼はできるだろう。
しかも現れたのはまだ若く。
少年と青年の中間くらいの歳に見える男だ。
領地の商売にいくらか関わるとして、現役を引退するまでに三十年はかかる。
長く取引を続けていける相手かもしれないので、これにはトレックも上機嫌だ。
「では、布の方を勉強させていただきます」
「気にしなくてもいいのに」
「どちらかに借りがある関係は健全ではございませんので、これも誠意です」
アースガルド子爵家か。
全くツテは無いが。まあ、一度くらいは話をしてみてもいいだろう。
それくらいの温度感で、トレックは東にあるアースガルド領での商売も視野に入れた。
その後、トムの方で進めていた商談を少しばかり有利にして。
契約が終わり、搬入も終えて。
見送りに来たトレックは、深々と頭を下げる。
「では、今後ともご贔屓に」
「ああ。それと次に会う時はもう少し気楽に接してほしい。堅苦しいのは好きじゃないからね」
また会うこともあるだろう。三年後に滅亡しなければ、その先にも未来は続いていくのだから。
数年後に平和を勝ち取ったら、その時は。
領内に支店の一つでも開いてもらい、友好的な関係を築いていきたいものだ。
そんなことを思いながら店を後にして。この街で一泊したクレインは、翌日から再び北へ向かい始めた。
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