「クレイン様ーッ!」
「おお、どうした爺」
それなりに大きな屋敷の庭で、ハーブの栽培に精を出していた青年がいた。
彼の名はクレイン・フォン・アースガルド。
乙女座の十八歳だ。
大して広くもなく、特産品があるわけでもなく。
かといって極端に寂れているわけでもない普通の領地を、ごく普通に治めている男である。
彼自身も平々凡々で、特段何に優れているというわけでもないのだが。
とにかく統治は上手く回っているはずだった。
少なくとも今日、この日までは。
「一大事でございます!」
「はっはっは、なんだなんだ。牛が産気づいたか?」
この平和な街の一大事などたかが知れているとばかりに、クレインは笑顔のままなのだが。
息を切らせて走ってきた初老の執事長がもたらした一報。
その報告で、全ては崩れ去ることになる。
「そのようなことではございません!」
「どうしたんだよ、一体」
執事長はそう言いながら、一枚の紙きれを手渡す。
クレインが内容を確認してみると、それは宣戦布告の手紙。
言い換えれば、アースガルド子爵家滅亡のお知らせだった。
「ラグナ侯爵家より、宣戦布告を受けました!」
「はぁ!?」
ラグナ侯爵家はクレインと同じ王国に属している。
王国の北西から北東にかけて、広大な領地を持つ生粋の名門貴族だ。
クレインの領地は国の中心である王都から見て東の方角にあるため、北部に本拠地を置く侯爵家との接点などない。
話したことがないどころか、手紙のやり取りをしたこともなかったのだ。
全く知らない家からの暴挙に、クレインは度肝を抜かれていた。
「な、何かの間違いじゃないのか?」
「使者はもう帰ってしまいましたが、通知はお預かりしております。すぐにご覧ください!」
「あ、ああ」
クレインが届いた手紙を開封してみれば。
開戦の理由は「交易路の計画を妨害したから」と書かれていた。
「……えっと、全く身に覚えがないんだが」
しかし彼はもちろん、そんな命令など出していない。
そもそもラグナ家が東方に交易路を開通させる計画など、今知ったくらいだ。
訳の分からない通知を見て、クレインはひたすら困惑していた。
「そもそもウチに、侯爵家を妨害できる力があるわけないだろうに」
突然の事態に混乱していたクレインだが。
彼がラグナ侯爵家の評判を思い浮かべると、何となく話は見えてきた。
まず。ここ数年のラグナ侯爵家は、領地の拡張速度が凄まじい。
没落した家の領地や、利権を根こそぎかっさらうことで有名になっている。
彼は噂話しか知らないが。
当代の侯爵はやくざ者も真っ青なやり方で、次々に土地や産業を奪い取っているとも聞いていた。
少し時間を置いて、難癖を付けられた理由を思い浮かべて。
冷静になった頭で考えてみれば、すぐに答えへ思い至る。
「……ラグナ家が東の領地をいくつか併合したから、間にいる俺たちが邪魔になったか」
「……なるほど」
さて、つい先日に王宮で事変があり、いくつかの貴族家が粛清されたのだが。
没落した貴族から巻き上げた東方の領地。
そのいくつかが侯爵家に割り振られたという話は、クレインも聞いていた。
よくよく考えればクレインの領地はラグナ家の支配圏と、彼らが新たに手にした領地の間にある。
クレインの領地を挟んで、ラグナ侯爵家にいくつかの飛び地が出来たのだ。
確かに、間に存在しているだけで妨害になっているとは言える。
「交易の邪魔って……そりゃ侯爵の領地、俺たちのせいで陸の孤島になっているけどさ」
「侯爵にも、色々と黒い噂がございますからな……」
執事長にも事態は飲み込めたらしい。
自分の領地内で子飼いの商人に商売させるなら、他家に関所の通行料を払わなくてもいいのだ。
関税がかからないのもそうだし。
何より、荷物を検査されるようなことはない。
ラグナ侯爵家は麻薬を始めとした、ご禁制品で荒稼ぎしているという噂もあった。
侯爵領と新侯爵領の間にクレインたちの領地があるので。
彼らがいなくなれば色々と自由にできるだろう。
「つまり因縁をつけて、脅しをかけて。最終的には自由に商売したいわけだな」
「ええ、それは、その。お間違いないかと存じます」
と、そんな連想ゲームを続けていくうちに。
クレインも諸々の事情を何となく理解する。
「……しかしこれ。攻め滅ぼされたくなければ、何か譲歩しろって話なんだろうけど」
侯爵家の矛先が自分たちの方に向いた理由は、推測できた。
しかしクレインが腑に落ちないのは。
手元の手紙に書かれている内容だ。
「クレイン様。侯爵家は何と?」
「それが、要求らしいものは何も書いていないんだよ。ただ宣戦布告を知らせるだけの手紙なんだ」
彼に考えられる線は。
「俺たちの要求を呑め、さもなくば痛い目を見るぞ」
という流れである。
脅した上で、何か利益を引き出そうとしているのだろうとクレインは思った。
だが。
手紙をどう意訳しても。
「痛い目を見せてやる」
それ以外のことは一切書いていない。
要求も主張もない。
このことが逆に、彼の不安を煽っていた。
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