「ピーター大隊長、行軍速度が落ちております」
「慌てることはないですよ。遅い方に合わせれば、落伍者は出ませんので」
「え、は、はぁ……?」
クレインからそれなりに信頼されている護衛係。
元は王都の名門道場で師範を務めていた男。
首狩りのピーターは軍勢を率いて――山を登っていた。
「いい頃合いですね、小休憩にしましょうか」
山道というよりは獣道で、何十年もロクに整備されていないような悪路であり。
体力に自信がない兵士が何度も脱落しそうになっている。
しかしその度にピーターは行進速度を緩めて、のんびりと登山を楽しんでいた。
そのせいで、全力で走れば三日とかからず反対側へ抜けられる山道なのに。
四日目に入ってもまだ道の半ばまでしか進めていない。
小休憩や大休憩を頻繁に挟み、彼らは遅々とした行軍を続けていた。
「遅い奴らは置いていけばいいのに」
「どうせ大した槍働きもできねぇだろうにな」
腕自慢たちは文句を言っているが、ピーターはまるで意に介さず。
彼はのんびりと、山の景色を眺めている。
「行軍中でなければ、ゆっくりしていきたいものですが、ね」
暢気なことを言いつつ。
三十分ほどの休憩を取り、またゆっくりと歩き始める。
険しい道で馬の体力を消耗しないようにと、全員が徒歩での移動だった。
彼らが今居るのは、新しくアースガルド領へ加わった北東部の領地。
元小貴族連合の領地から見て、東の方角にある山だ。
この道は地元民ですら知らない者が多く、反乱勢力を調べ上げていたクレインが偶然発見した場所である。
「ピーターさん、この速さでいいんですか?」
山から一番近い領地の準男爵が保有していた地図を引っ張り出し。
何十年も前に打ち捨てられた道を、彼らはノロノロと進んでいる。
軍事行動は素早い方がいいに決まっているので、武官たちは誰もが不安か、不満を抱えたような顔をしているとして。
ピーターは余裕のある微笑みで答える。
「ええ、いい塩梅です。時には遅さと、余裕が重要になるものですよ」
「そういうものですか」
「そういうものです」
ピーターは緑がかった黒髪を一本に縛ってまとめており、行軍中でも小綺麗な恰好をした男だ。
目は細く、緩やかなカーブを描いているのだが。
人によっては温和そうな人。
人によっては胡散臭い人。
と、評価が全く分かれる見た目をしていた。
まだ三十歳だと言うのに、老紳士のような雰囲気を持つ男でもある。
そのせいで、クレインからは若年寄などと呼ばれることもある。
が、武官からの評価は主に、主君の傍に控える「怪しい護衛」といったところだ。
「斥候も放っています。焦らず騒がず。ま、のんびり参るとしましょう」
「いいのかなぁ……」
急かそうとした若武者を軽くいなしつつ、彼らはまた亀のような行軍を続けた。
◇
更に二日後。
そんなこんなで、えっちらおっちら進んでいると。
後方から駆けてきた早馬より、緊急の報告が入った。
アースガルド軍本隊と、ヴァナウート軍本隊が交戦間近という報せだ。
「早く進撃しましょう!」
「このままでは間に合いませんよ!」
強行軍なら三日で踏破できるはずの山だ。
しかし六日経ってもまだ、彼らは降り口の半ば辺りに居た。
だから早馬にも追い付かれて、中隊長たちはかなりのストレスを溜めているのだが。
「ふむ。……いえ、今日はここまでにしましょうか」
詰め寄ってくる中隊長たちを前にして、ピーターは何を思ったのか。
――今日の行軍はここまで。という宣言をした。
「何を言っているんだアンタ!?」
「急がないと、戦が始まっちまうだろうが!!」
「いえいえ。ここで一日使います。皆さん、野営の準備を」
連絡が届くまでのタイムラグを考えれば、既に主君が戦闘を始めている頃だ。
しかし彼は山を降りず、中腹辺りで野営の指示を飛ばしていく。
「背信行為じゃないのか!?」
「ピーターさん!」
「恐らく、明日の昼に下りればちょうどいいかと思いますが。はは、明日は嫌でも歩いてもらいますので」
血の気の多い兵士たちは不満そうな顔をしていたが。
ピーターは、とにかく余裕な態度を崩さなかった。
◇
「報告! 前方、三十分ほどの位置に――行軍中の敵を発見!」
「ふむ、全隊に停止の合図を。見つからないようにしてくださいね」
目と鼻の先に敵がいるのに、何故止まるのか。
今なら奇襲攻撃で大打撃を与えられるのに。
と、兵士たちの不満がいよいよ頂点に達しようとしていた頃だ。
ピーターは詰め寄って来た中隊長たちの多さを見て。
折角だからとそのまま会議を始めようとしていた。
「報告にあったのは、ヴァナウート伯爵家の歩兵ですね。後続部隊でしょう」
「ならば、ここで一撃を加えねば!」
「そうです! あれが味方の方に流れる前に対処をしないと!」
遠征に出てきたのだから、配下たちは当然、誰もが攻撃案を唱えた。
それでもピーターは慌てない。
「それは私たちの仕事ではありませんよ」
その発言からして非難轟々だったのだが。
近くの沢で汲んだ冷たい水を飲みながら、あっけらかんとピーターは言う。
「もしも勝手に攻撃を仕掛ける者がいれば。どれだけの戦功があっても死罪に処すので、そのつもりで」
しかし、そんな言葉で納得する武官はいない。
中隊長たちは、ピーターに掴みかかるほどの勢いで詰め寄っていく。
「で、では、我々は何のために山越えを!?」
「そうだ! これに何の意味があるんだ!」
敵を攻撃せず、後詰を見逃し、何故自分たちは休憩しているのか。
彼の行動が意味不明でしかない。
諸将の我慢は、本当に限界へ近づいていた。
「まあ、その辺りは……追い追い話すとしましょうか」
しかし彼には、何かを説明する気は無いらしい。
「いい加減にしてくれねぇかな!」
「きちんと説明をしろ!」
「……ふむ」
――二時間だ。
二時間あれば、全てを手遅れにできる。
そう考えたピーターは。
少し間を置いてから、こう言った。
「ま、三時間後くらいにお話ししますよ」
荒れ狂い、水筒を地面に叩きつける者までいる中で。
大隊長のピーターは、暢気に居眠りを始める。
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