「あっちはまだ建築中か? ってことは、こっちかぁ?」
朝早くから、荷馬車に乗った老人が屋敷の前に現れた。
解体予定の旧館を覗き込み、建築中の新館との間をうろうろしている。
「ん? ここは領主様の館だが、何者だ」
「ああ、出入りの商人なんですがね。クレイン坊ちゃんはどちらに?」
彼には朝番だったランドルフが対応したのだが。
「ぼっちゃ……まあいい。アポイントはあるのか?」
「アポイント?」
今や大物であるクレインに大して気軽に坊ちゃん呼びする者は、もうバルガスくらいだと思っていたランドルフだが。
目の前の老人は古ぼけた服装の一般人にしか見えず、気軽にクレインと会えるような風体をしていないので。
古くからアースガルド領に出入りしている行商人ということは察しがついた。
「むぅ。ならば名は」
「トムだぁ。行商人のトム」
「分かった。ここで待て」
ランドルフが部下を使いにやり。
数分してすぐに、クレインから通していいと許可が出た。
「ランドルフ様。顔見知りとのことでした」
「うむ。では案内をしよう」
曲者の可能性は低いとして、一応ランドルフも同行することにした。
アースガルド子爵邸の様子が激変していたからだ。
「ああ、助かりますわ。しばらく来ないうちに、屋敷が新しくなってんだもんなぁ」
「まだ外観しかできていないがな」
「そっかぁ。にしても、庭がおっきくなったなぁ」
古い館の北側に空いていたスペースへ新しい館を建築し、棟上げまでは終わっているが。
そちらはまだハリボテであり、客人は旧館の方へ通すことになっていた。
「館を解体すれば更に広がるぞ。大工たちが、庭に噴水を付けるとか言っていたな」
「へぇ。まるで貴族様のお屋敷だぁ」
「お前、クレイン様のことを何だと思っているんだ……」
古い屋敷を解体して庭にする前に、外柵の辺りから順に庭園を拡張していたため。
周囲を見ても、半年前から大分変わっている。
例えば屋敷の枠にあった畑。
ハンスが野菜を作っていたり、クレインがハーブを育てていたりした場所は新しい屋敷の東側に場所を移動して、温室まで建築中だ。
厩の場所もその近くに移設され、空いたスペースは全て庭園となる予定だった。
「まあ見事なもんですわ。三年前からは考えられんほどですよ」
「そうか。まあ、仕官した二年前からしてもかなり変わったからな……」
街並みはかなり変わったし、その中心部である屋敷中心は特にだ。
工事の資材が積んであったり、厩の場所が移動したり。
古い館の中は変わらないとして、外の景色はかなり違う。
トムにしても、よく見れば今までの館に訪れて、普通に商談ができると気づいたのだろうが。
周囲の変化に圧倒され、混乱から思考停止していたらしい。
「まあいい。今やクレイン様は要人中の要人だ。失礼の無いようにな」
「へ、へい。そりゃあもう」
「そんなに気にしなくてもいいのに」
「む! クレイン様!」
館の二階から手を振って、クレインは気楽な態度をしていた。
彼としてはトムも。執事長のクラウスや労働者の頭であるバルガスと同じく、古くからの家臣と同じくらいの。身内として見ている。
だからまあ、偉くなったからこそ変わらない人間がいてほしいという願いもあるのだが。
それ以上に、親戚の爺様のようなトムから。
今さら堅苦しい態度を取られたら笑うと分かっているからこそのフランクさだ。
「久しぶりだな、トム爺。北はどうだった?」
「まあ、ぼちぼちかなぁ」
玄関まで出迎えに来たクレインは早速話を始めたのだが。
好々爺のように笑うトムは、少し声を潜めて言う。
「……そうか。まあ、マリーの茶でも飲んでいってくれ」
「ええ、馳走になりますわ」
知り合いの表情から、それなりに重要な話があると察し。
クレインはランドルフも伴って、屋敷の応接室へ向かった。
◇
部屋に入ると、クレインの背後にランドルフが立ち。
少しして、マリーがティーセットを運んでやってきた。
「あ、来客ってトムさんだったんですか」
「おお、おお。久しぶりだねぇマリーちゃん」
「随分遠くまで行ったみたいですね」
クレインは三年ほど前から、彼には北への行商を頼んである。
彼としては、別にどこで商売をしてもいいと引き受け。
各地の情報をそれとなくアースガルド家に持ち帰ってくる存在となっていた。
「ああ、にしても今回は長旅で、少し疲れたねぇ」
「そろそろ歳ですしね」
「こりゃ厳しい」
「冗談ですよ。ごゆっくりー」
途中途中で商いを続けて、今回は王国の中央東側にあるアースガルド領から。
今までの最長である、王国の北西――ラグナ侯爵領西部――までのルートで頼んでいた。
さて。そんな長旅を終えたトムから報告があるという。
マリーが下がってすぐにクレインが頷くと。
トムは真剣な顔で切り出した。
「さて、頼まれていた北候の動向だけどなぁ。どうもよろしくない」
「どんな具合なんだ?」
「西候との戦いが、上手くいっていないみたいで」
「なに?」
本来の未来。クレインが生きていた初回の未来では。
北候は西候と戦いつつ、北の街道の先にいる東伯に備えつつ。
それでもなおアースガルド領へ、三万の兵を送る余裕があった。
仮に東伯への備えに三万を割いていたとすれば。
全員は無理でも、その半数は西の戦いに回せるだろう。
「俺が想定したよりも有利な状況なんだ。北候が負ける未来は予想できないんだが」
アースガルドが味方に付いた以上、南への備えも減らしていい。
南側の手下から集めた兵力も自由に使えるのだ。
そうして浮いた兵力は総勢で四万以上になるはずなので。
西候を相手に苦戦しているというのは、クレインには意外な報告だった。
一体何があったのか。
まさか、本来の未来と外れたことで、何か不利になる要素でも生まれたのだろうか。
そう考えて顔が険しくなるクレインへ向けて。
土産の茶菓子を広げつつ、トムはぽつぽつ語り始める。
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