「驚かせてしまったかな」
衝撃でクレインが動きを止めていれば、ラグナ侯爵は余裕の笑みでティーカップを持ち。
優雅な所作でそれを口元に運ぶと、一息入れてから対面を指した。
「まあ座りたまえ。自分の家だと思って寛ぐといい」
「そのセリフは、儂が言うべきだと思うんだが……」
「まあまあ、いいじゃないか」
苦笑いを浮かべる宰相に、イタズラ小僧のような微笑みで答えるラグナ侯爵。
突然の状況に、クレインは戸惑った。
しかしいつまでも黙って立っているわけにはいかない。
少しの間を置いてから、クレインも素直にソファへ座ることにした。
「では、失礼します」
「予定とは少し違うが、この形でもいいかな?」
「ええ。構いませんよ」
宰相が執事と同じ確認を入れて、クレインも了承する。
そうすれば今度は、クレインの分の紅茶も運ばれてきた。
「ありがとうございます。……いい茶葉ですね」
「ああ、南部の初摘みだよ。私の領地で栽培するには気候が向かないようだが、これが好きでね」
ティーセットの中身は、ラグナ侯爵が土産に持ち込んだものらしい。
茶菓子と共に、彼は砂糖が入った小瓶をクレインに差し出した。
しかしクレインにとってはその発言すら、「いずれ南部の領地も欲しい」と変換して受け取れる。
会話の端々から不穏な空気を感じるのは先入観のせいだろうか。と思いながらも。
しかしクレインには、ここで退く理由も無い。
「普段は砂糖を入れないのですが、折角です。今日は使ってみましょう」
小瓶を受け取り、大匙一杯ほどの砂糖を入れ、溶かして飲む。
ただそれだけの動きで侯爵は感心するような声を出し、笑顔になった。
「私が用意したと聞き、それでも迷わず飲むか」
「ええ。ご厚意ですので」
クレインは突然に敵と遭遇して、まだ気持ちの整理がついていなかった。
怒りを持って対応するのは悪手。
恐れを抱いて話をするのも悪手。
怯えなど見せても意味は無い。
楽しさや喜びは当然無い。
どんな心境で対峙していいかも分からないので、まずは紅茶を飲む。
「ふふっ、私の評判はかなり悪いようだが……恐れないのか?」
暗殺を警戒しないのか。という話だろう。
そう判断したクレインは、しかしその問いをあっさりと躱す。
「恐れたところで結果は変わりません。ならば、普通に話すだけです」
「普通に、か」
「ええ」
目の前の男がその気になれば、クレインの命は一瞬で潰えるだろう。
この場を切り抜けたとて、殺す気になればいずれは殺される。
仮に屋敷を無事に出られたとして、王都から脱出できるかは怪しい。
領地まで逃げおおせたとしても同じことだ。
今すぐに進撃されればアースガルド子爵家に、ラグナ侯爵家の侵攻を退ける余裕はない。
ある種の開き直りではあるが、この状況で開き直れる人物はそう多くないだろう。
珍しいものを見る目で、侯爵はクレインをまじまじと見た。
「肝が据わった人物のようだね」
「いえ、ただ己の判断を信じるのみです」
「判断とは?」
「今の時点では殺されない確信がございますので」
当然、そんなものは無い。
ここまで来れば向こうの出方次第だ。
しかし死ぬことがないクレインにとっては、好機でもある。
核心に切り込み、彼の真意を探る機会はそう多くないのだ。
興味深げに見ている侯爵の目を真っ直ぐに見つめ返して、クレインは言う。
「問答を続けるのは楽しそうですが、早速、本題に入ってもよろしいですか?」
「……む」
「いいじゃないか宰相。話は早い方がいい」
貴族特有の長ったらしい美辞麗句を孕んだ会話や、そこから言葉の裏を探り合うのはクレインの好みと合わない。
王都の貴族である宰相は顔をしかめたが、この点ではラグナ侯爵との方が話は合うようだ。
味方の可能性がある宰相と、敵対していたラグナ侯爵。
これでラグナの方が自分の思考に近いとは。と、クレインは皮肉を感じていた。
「……はぁ、まあ良かろう。近頃では、時間がいくらあっても足りぬからな」
宰相としても、本題の時間を増やせるならと素直に受け入れた。
そして、襟を正して問う。
「既に知れておろうな?」
「ええ。その真相、お聞かせ願いたく」
皆まで言うほど野暮ではない。
宰相も、話すとなれば話は早い。
「くっくっく。そうだ、こういうやり取りの方が、実りはあるものだよ」
ラグナ侯爵も楽しそうに見ている前で、宰相は零す。
「誰が、かのお方を殺めたか。それは語ることができん」
「では、その理由は」
「それも言えぬ」
「なるほど」
一見して、何の情報も無い会話に見える。
しかしこれだけでも、かなり可能性が狭まった。
宰相は、言わないのではなく言えない。
つまり事情は知っていて、その事実を語ることができない状況にある。
「では、侯爵はご存じですか?」
「もちろんさ。あれは――」
「滅多なことを口に出すなッ!!」
ラグナ侯爵は何事もないかのように語ろうとしたが、それは宰相が止めた。
怒気どころか殺気を感じさせる声色だ。
つまり、横に居る侯爵を恐れているわけではない。
脅されているわけでもないのだろう。
侯爵に遠慮して何も言えないというのであれば、本人の発言を怒声でかき消す必要は無いからだ。
この二人は事情を知っていて、宰相は話せないがラグナ侯爵は話せる。
結局は無意味な会話から真意を探すことになるが。
王都の貴族が相手なら、この十倍は時間をかけて、ゆっくりと、ねっとりとした会話から探ることになる。
まだ難易度は低い方かと感じたクレインの前で、ラグナ侯爵は笑顔のまま言う。
「ダメかな。子爵なら構わないと思うのだが」
「子爵はかのお方と昵懇であった。どう出るか分からぬ」
「本人を前に言ってはダメじゃないか」
今の発言で、宰相が第一王子と敵対関係だった――と判断するのは尚早だろうか。
そう逡巡するクレインだが、彼に王都の勢力図は分からない。
ここは口が軽そうなラグナを相手にすべきかと、彼は向き直る。
「結構ですよ。世の中、言えないことなどいくらでもありましょう」
「それは違いない。で、私からも一つ聞きたいのだが」
「ええ、どうぞ」
できればこのまま別な角度から切り出したかったクレインだが、侯爵の発言を遮るわけにもいかない。
だから先に質問をさせてみれば――
「真実を知って、君はどうしたい?」
と、彼は独り言のように呟いた。
真相、真実を知ってどうしたいのか。
それはクレインにも分からない。
ただ裏舞台を知ることが目的だったのだ。
今後どう動くかなど、まるで不明瞭なまま。暗中模索で進もうとしていた。
言い換えれば何も考えずに、その場の勢いで動いていたと言ってもいい。
だから彼には、咄嗟に返しが思いつかなかった。
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