「さて、ここで二つ困ったことがある」
執務室に戻ったクレインは、深刻そうな顔で呟いた。
彼の前にはブリュンヒルデと執事長が立っているのだが、執事長は横に控えているだけだ。
領主の目線は秘書官だけに向いていた。
「困ったこと、ですか?」
「ああ、毒殺を仕掛けてきた犯人が分かった。そこまではいいんだが……」
執務をするための席に座ったクレインが顔を上げて、少し言い淀み。
目の前のブリュンヒルデを見据えて言うには。
「ヘルメス商会長も黒だな、あれは」
「……根拠を、お聞かせくださいますか?」
ブリュンヒルデは優しい顔をするばかりで、クレインにはまったく感情が読み取れないのだが。
何はともあれ。執務机に両肘をついて、溜息を吐いてからクレインは言う。
「一つ。サーガを追い詰めた時、ヘルメス商会長の方を見た」
「命乞いをするならクレイン様へ直接。そうでないなら、まとめ役のヘルメス商会長へ取りなしを頼むのが普通では?」
確かに道理は通っている。
しかしクレインが気になったのは、死に際に見せたサーガの態度だ。
「いや。ヘルメスの方を向いたサーガは完全に「裏切るのか? 信じられない」って顔をしていたからな。共犯か、ヘルメスに命じられたかのどちらかだろう。むしろ俺はヘルメスの方が主犯に見えた」
領主の暗殺を命じられた。又は協力したのに、依頼主が梯子を外した。
サーガが死ぬ直前の反応は、そういう関係を連想させるものだった。
それは当然ブリュンヒルデにも理解できたのだが、彼女は首を横に振る。
「それだけでは、弱いですね」
「……じゃあ二つ目。あのレストランはヘルメス商会の出資で運営されている」
「なるほど。つまり、クレイン様へ毒を仕込むのは容易ということでしょうか」
「そうだ。サーガの独断では不可能で、絶対にヘルメスが関わるはずなんだ」
給仕もシェフもソムリエも、全員がヘルメス商会に雇われているのだ。飲食物を用意する側なので、どこにどう毒を仕込むのかは自由自在である。
逆にサーガは店に対して何の権限も持たないので、協力関係が無ければ難易度は高いだろう。
「可能性はありますが、もう一押しでしょうか」
「……じゃあ三つ目。人の商会が運営している店へ、事前に毒入りワインを持ち込んでいたんだぞ?」
「ええ」
「最弱の商会が、勝手にそんな真似をできるわけないだろ。グルだよ」
ヘルメス商会に睨まれれば、サーガ商会などいつでも簡単に吹き飛ぶ木っ端でしかないのだ。
仮に毒殺が成功したとすれば、その後「ヘルメス商会の店で毒殺が起きた」という話が広まるだろう。
クレインがヘルメスの立場にいたのなら、自分の庭でそんな狼藉を働いた者を許してはおかない。確実に潰しに行く。
仮に協力関係が無かったとしたら。後の報復で破滅することなど、サーガにも分かり切っていたはずだ。
「そうでなくともヘルメス商会の店が領主のお墨付き、御用達のブランドを得る好機だったんだ。あの男に、それを邪魔しにいくような度胸があると思うか?」
「いえ。見るからに小物でした」
「そうだろ? そもそも提供されたのは食前酒じゃなくて、メインの料理に合わせるワインだぞ? そんな割り込みをさせるような爺さんかよ」
自分が経営する店に、領主のお墨付きをもらうチャンスが来た。
そうであれば、最高の食事を提供してご機嫌を取るだろう。
肉料理には最高の素材を使うが、ワインは他人が持ってきたお土産を提供する?
店をアピールしたいなら、そんなことはあり得ない。
コース料理は酒まで組み合わせるのが普通なので、ワンセットになるはずなのだ。
――そう語るクレインに対して、ブリュンヒルデはなおも問いかける。
「そうは言っても、サーガ商会が持ち込んだワインも一級品でしたね。子爵に献上する品としておかしくないくらいに」
「店にそんな品を用意してるってのもセールスポイントだろ。何もなければヘルメス商会長は同じ物か……もっといいやつを持ってきただろうさ」
品揃えが豊富で、その日の気分や都合に合わせられる便利な店。領主にそんな印象を持たせれば、経営はまずまず安泰だろう。
クレインがどこかの貴族とお忍びの密会で使うようになれば、そこから新しい人脈の獲得もできる。
ただでさえ新規に出店するエリアなのだから、ヘルメス商会長がそれを逃してまで弱小の商会に恩を売る理由が見当たらない。と、クレインは語った。
そして最後に溜息を吐いて、やるせなさそうに目を逸らす。
「ワインってところがいやらしいんだよな。サーガが勝手に持ち込んだもので、私どもは存じませんでしたって逃げ道まで使える。……アイツは相当なタヌキだぞ」
俗に言う、トカゲのしっぽ切りだろう。
主犯がヘルメスで、サーガがいいように利用されていた。
その形が一番しっくりくる推理だと、クレインは言う。
「仮に彼らが手を組んでいたとして。何故ヘルメス商会長は自分の店で毒殺を計ったのでしょうか? 間違い無く疑いはかかると思いますが」
「例えば土産にワインボトルを貰ったとして、俺がいつ飲むかは分からないだろ? 目の前で飲み干すところを見たかったんだよ、多分。多少怪しまれたとして、現状だと排除は難しいと踏んだんじゃないか?」
仮にクレインが毒入りワインを受け取ったとして。
何かの記念日が来るまで取っておくかもしれないし、最悪の場合は数年寝かせてから飲むかもしれない。
一度持ち帰ると、いつ飲むかは完全にクレイン次第になってしまうのだ。
クレインが晩酌に一本開けて、一人で楽しめばそれでいいが。例えば他の貴族がやって来た席で提供されたら最悪だ。
狙ってもいない貴族まで集団で毒殺して、とんでもない大事になるかもしれない。
そんなリスクを背負うくらいなら、自分の庭で戦えばいいのだ。
スケープゴートを用意したのだから、どう転んでも致命傷にはならないだろう。
「確実に飲ませようとしたら、会食の席が一番いいんだよ。どうせ仕込まれていた毒は遅効性――だろうしな」
そして色々と語ったクレインだが、最後に慌ててそう付け加えた。
実際には毒を何度か食らって確認済みなのだが、今のクレインはそうではない。
中身を確認したわけではないので、その場で死ぬような即効性の毒だったことを否定はできないのだ。
「まあこれが、奴らがグルだって推論の根拠だよ。四つも根拠があれば十分だろ?」
「ええ、十分かと」
従業員に指示を出しておけばいいだけなのだから、それは会食に商会長が出てこなくても毒殺は実行可能だ。
手下に犯行をさせていたのだから、会食のメンバーを変更したところで無駄だった。
回り道が徒労に終わって疲れているクレインに向けて、ブリュンヒルデは思い出したかのように手を合わせた。
「ああ、そう言えば、困ったことは二つあると仰いましたね。主犯がヘルメス商会長だという懸念が一つ目だとすれば、もう一つは?」
「…………これで、殿下の合格点に達したかなって。採点基準は分からないからさ」
クレインがそう零せば、ブリュンヒルデは今日一番の笑顔でにっこりと笑った。
どうやら合格点らしい。と、クレインは胸をなでおろす。
彼が疲れ果てているのも無理はない。
何故ならクレインは、無事に犯人を見つけたあと、二回ほどブリュンヒルデに殺されていたからだ。
そのせいで、再びブリュンヒルデがクレイン殺害記録の首位に躍り出た。
結論を言ってしまえば、ジャン・ヘルメスとドミニク・サーガは裏で手を組んでいたし。
そこには第一王子の思惑まで絡んでくる。
王子の試練は面会の席だけで終わらず、これが第二関門だったらしいのだが。
ここから先は、死に戻りで未来を確かめてきたクレインしか知らない裏事情だった。
次回から、毒殺事件の舞台裏解明へ。
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