「えっと、東地区の決裁書がどこかに……」
「こちらにございます」
大して豪華でもないが質素でもない、クレインの執務室。
今、ここには二人の男女がいたのだが――言うまでもなく領主と微笑み騎士だ。
「あ、ありがとう。じゃあこれが終わったら、鉱山の陳情書を――」
「私の権限で処理が可能でしたので、そちらは対処済みです」
クレインとブリュンヒルデは二人がかりで決裁書類を回していた。
そしてクレインの予想を遥かに超えて、ブリュンヒルデの実務能力は高かったらしい。
「王都で会った時は騎士服を着ていたが、騎士団では事務方だったのか?」
「いえ、閣下。私の本職は殿下の護衛――のようなものです」
「……そうか」
彼女が凄腕の暗殺者なことを、クレインは知っている。七度も斬られたのだから、その実力が王子の護衛に足る腕前だというのも知っている。
が、ここにいるクレインはそんなことを一切知らないことになっているし、下手につつけば藪から蛇を出すだろう。
「まあいい、午前中の仕事はこれで最後にしようか」
だから何でもない顔で、秘書官として扱っていた。
表面だけを見れば、王都から来た美しい女性騎士だ。
しかも仕事ができるバリバリのキャリアウーマンということで、メイドのマリーなどは彼女に憧れの目を向けているのだが。
「……世の中、知らない方がいいこともあるよな」
「何かございましたか?」
「いや、何でもない」
ブリュンヒルデと共に仕事をしつつ。
政務の合間に、時折世間話を挟みつつ。
彼女のことをそれとなく探ってみれば実家は伯爵家で、彼女個人も男爵の位として叙爵されていると聞いた。
そんな事実を知ったクレインは敬語を使おうとしたのだが。
『領主が秘書官に敬語を使うのは不自然です』
と、優しい瞳で真っ直ぐにクレインを見据えながら、ブリュンヒルデは訂正を求めてきた。
拒否をする理由もないので素直に従ったクレインだが、何気ない日常からして既に緊張が高まっている。
一日の大半で行動を共にしているので、今や気が休まる瞬間は眠りにつくまでと、朝目覚めてからすぐの時間しかない有様だ。
そうして疲れ切った領主に向けて、秘書は淡々と午後の予定を告げていく。
「昼は商会長たちとの会食になります。街のレストランで、正午に待ち合わせです」
「ああ、分かってる。……そうだ。ついでだから、トレックにまた薬をもらおうっと」
ブリュンヒルデはクレインの屋敷に逗留しているので、トイレに行く途中や、朝食をとりに食堂へ向かう道すがらで、バッタリと出くわすこともある。
その度に謎の緊張が走り、クレインはもう用法用量の限界を超えて胃薬を使用していた。
残量が心許なくなってきたことすらストレスに感じるようになったが、今日の会合にはトレックも出席する予定だ。
少しの安心感を得ながら、彼は仕事を片付けていった。
◇
「さて、このメンツが一堂に会するのも久しぶりだな」
招待客が集まったクレインは、まずそう切り出した。
「そうですなぁ。此度も儲け話を期待しておりますぞ」
「まあまあ、そう明け透けに言うものではございませんよ」
この場に居るのはいずれも王都で幅を利かせる大手商会の責任者であり。
四ヵ月前のクレインでは面会すら叶わなかっただろう顔ぶれだ。
「おっと、これは失敬。登り相場に心が躍っているようですな」
「はははは。御大もまだまだ現役ということか」
アースガルド領は今、非常に勢いのある領地だ。
子爵領としては小さい規模で、裕福な男爵レベルの経済力しか持っていなかった。
そんな領地に突如として銀山が開発されたのだ。
元が栄えていなかった分、開発する土地はいくらでもあり。
商人たちが食い込める利権などいくらでもある。
未発展のエリアに未曽有の好景気が訪れた結果、持ち込んだ商材が何でも飛ぶように売れている状態だ。
利益の匂いに敏感な彼らも、今が稼ぎ時だと考えていたらしい。
「はぁ……こちらは田舎者だから、少しは手加減してほしいものだ」
「クレイン様は話術に長けるともっぱらの噂。謙遜が過ぎますよ」
何の後ろ盾も無い子爵が王家に取り入り、第一王子と急接近して力を得た。そんな話は既に知られている。
目の前の利益を捨ててでも将来の繁栄を獲りに行く姿勢は、商会長たちから見てもやり手に見えたらしい。
実際にはただの命乞いだったのだが。
まあ謙遜して評価を下げることもないだろうと、噂話をそのままにしているクレインだった。
「それはいいとして、スルーズ商会が王家の銀山から最後の設備を持ってきてくれた。これを使い、新規に銀山を増やそうと思うのだが」
「規模はいかほどで?」
「前の二つと同じくらいだ」
銀鉱山は既に稼働しており、今は銀の延べ板として他領に輸出されている。
銀食器や銀細工を作る技術力は無かったので、主に南のヨトゥン家へ売ることになっていた。
しかし銀貨作りの技術指導が始まっていることから、そろそろ産出量を増やし。貨幣鋳造にも手を伸ばそうという算段だ。
「輸出は順調だが、まだ金庫の中身は少ないのでな。配当は前回と同じにして、諸君から出資を募ろうかと思う」
「そろそろかと思い、出資比率を調整しておきました。ご確認くだされ」
「……予測済みか」
クレインから出資の話を持ちかけられる前に、談合は終わっていたらしい。
この場に集まった商会が共同で出資することになっており、あとはクレインが書類にサインするだけ。というところまでお膳立てがされている。
「よろしい。ではこれで進めよう」
「……取り分の交渉はご不要ですか?」
「一見して適正価格だ。儲けさせてやるから存分に働いてくれ」
クレインも子爵家の御曹司ではあるが、大商人との交渉などできるはずがない。
最初からある程度諦めて、儲けさせる代わりに全力で働いてもらう方針である。
「剛毅と言いますか、豪胆と言いますか……」
「目先の小金に釣られて利益を逃すような二流は、ここに居ないと信じるよ」
もちろんノーガード戦法ではない。
欲をかいた提案をしてくれば、それを主導した商会への特権を取り下げる方向で動く予定だ。
今やクレインは巨大な利権を動かす男であり、談合やワイロ、裏取引など当たり前の世界に来てしまった。
本人にもその自覚はあり、以前よりは慎重に動くようになっていたのだが。
「そう言えば、いい絵が手に入りましてな。子爵の屋敷に似合うかと思います」
「では当商会からもこちらの焼き物をお受け取りください。北方製の名品です」
「ああ、ありがたく受け取ろう」
今日も今日とて、商人たちからは友好の証として、クレインに個人的な贈り物がされている。
この程度なら捕まることはないし、何も受け取らない清廉潔白な領主というのは、裏を返せば融通が利かない石頭という評価で嫌われるのだ。
ブリュンヒルデからそんなレクチャーを受けたクレインは、清濁を併せ吞む方向で進める方針を固めていた。
「まあ、全ては生き残るためだ」
改めてそう決意したクレインは、陶器のコップへ注がれたワインを一息に飲み干す。
最近では領内に回る品物の質が高く、酒も食事も上等になったものだ。
などと思いながら、彼らは上機嫌で商談を進めた。
その晩のことである。
「む、腹の調子が、少しおかしいな」
「大丈夫ですか? クレイン様」
「ああ、少しいい物を食べ過ぎたかもしれない。トレックから貰った胃薬をくれ」
パタパタと廊下を駆けて行くマリーを見送りながら、クレインはボヤく。
「最近は過労気味だしなぁ……。下手に死んで、最初からやり直しとか絶対嫌だぞ」
戻るにせよ、何かを得てから戻りたいと願うクレインだが。
ほどなくしてマリーが薬と水を持ち、寝室に帰ってきた。
それを飲み干した彼はさっさと眠りにつき。
――そのまま、永遠に眠った。
王国歴500年8月22日
この日、領主の病死によりアースガルド家の歴史は終りを告げる。
彼の領地は後に、ヴァナウート伯爵家に吸収される形で滅びた。
末尾に付いているクレイン死亡後の流れを、クレインは当然知りません。
これは読者だけが知っている情報となります。
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