北の街に来てから、ちょうど一ヵ月。
この日もクレインは夢を見た。
血だまりの中で笑う亡者たちの姿。
そして、苦難の末に結ばれた少女のことを。
「……また、この夢か」
夢見が悪く魘され、起きて数秒後。
まだ日が沈んですぐの時刻で、眠りについてから三時間も経っていないと気づく。
今回の人生が始まってから、もうすぐ半年。
馬車で旅をしている間も、ずっとそうだった。
そして、北の街で生活を始めてからもだ。
彼は前回までの人生で見てきた光景を、夢で見ていた。
同じ状況を再現して、違う未来へ変えるまで。
そうするまで、それは恐らく一生引きずっていく。
「でも、違う。発展することだけが、生き残る道じゃない」
そう頭を振って、今回の目標は何かを思い出す。
何事も起こさず、陰謀に巻き込まれないような弱小領地のまま。穏便に北候の傘下へ入ることだ。
それが恐らく、最も平和的に生き残れる道となる。
そうは決めたが。
自分はあの地獄から逃げているだけなのかもしれない。
そう思えば、起きてからも心は沈んだ。
「……夢を見るのは、罪悪感からかもな」
道順を覚えているので、もう一度同じ状況に辿り着くことはできる。
しかしその過程では、どうしても同じことが起こり。
周囲の人間、全員が自分の死を望み。
自分が死ねば歓喜の声を上げるような状況。
それをもう一度作ることになるかもしれない。
そうならないために行動しようと思っても、何をどうしていいかは未だに分からず。
むしろ前回の人生のことを考えるのを、頭が拒否していた。
考えないようにすれば夢に出るようになり、夢に出てくれば考えざるを得ない。
「酷い悪循環だ」
しかし心情的なものなので、これはどうしようもない。
気持ちの上で言えば、あの狂気的な笑みを浮かべた者たちをもう一度配下にしようなどとは考えられなかった。
「……ダメだな、寝られない」
もう一度眠りにつこうとしても、飛び起きたばかりだ。
すぐに寝るのも難しかった。
だからクレインは枕元のベルを鳴らして、マリーを呼ぶ。
甲高い音が響いてから数秒後。
廊下をパタパタと走る音が聞こえ、彼女はすぐにやってきた。
「お呼びですか?」
「酒を持ってきてくれないか。種類は何でもいい」
「……分かりました。すぐにお持ちします」
ランドルフと出会った際には、酒を飲んで眠りにつけばすぐに眠れたし。その日は悪夢を見ることもなかった。
だから眠れない時には、酒の力を借りるようにしていたクレインだが。
ワインを持ち戻ってきたマリーは、栓を抜いてグラスに開け。
クレインに差し出してからも、退出しようとはしなかった。
しかし何を言うわけでもない。
「明日は何も無かったと思うけど、そろそろトム爺がもう一度来る頃だろ? 早く寝た方がいいよ」
「クレイン様が眠ったらそうしますね。……あ、また子守唄でも歌いましょうか」
「……やめてくれ、威厳が無くなる」
例外としては、マリーが添い寝して子守唄を歌った時だ。
その時は寝起きなはずなのに、ぐっすりと熟睡できた。
それは事実として。
幼馴染のメイドにそれを命じるのは羞恥が咎めたらしい。
「むぅ。でも最近のクレイン様、前よりは良くなりましたけど……まだまだ暗い顔をしてるじゃないですか」
そんなクレインを見て、マリーは口を尖らせていた。
「そうかな」
「そうですよ、今も眠れなくてお酒を飲んでますし」
「飲みたい時もあるよ。マリーも飲んだら?」
クレインがそう言うなり、マリーも予備のグラスを用意して。
彼に注いだワインを手酌して、一気に飲み干す。
「いい飲みっぷりだな」
「私はお酒に強いからいいんです」
それはクレインからすれば羨ましくもあるが、そうであれば酒に逃げることができなくなる。
自分が酒に弱くて、むしろ良かったと思うクレインだが。
少しの間が空いて、マリーがグラスを寝室に備え付けられたテーブルへ置き。
何気なく呟いた。
「私たちには、クレイン様が何で苦しんでいるのかが分かりません。だから、見守ることしかできないんです」
「マリー?」
いつになく真剣な顔をした彼女は顔をクレインに近づけて。
目をじっと見つめて言う。
「旅に出てからも、ずっと辛そうな顔をしていますよ」
「……そうかな」
確かに夢見が悪い日が多く、トムとマリーが心配そうな顔をすることは多かった。
しかし体感としては、徐々に心の傷は癒えてきている気がしていた。
今回の人生で北候と縁を結べず、領地が滅びるようになれば。
その時はまた立ち上がれるだろうか。
彼はそう考えていた。
「大丈夫だよ、俺は。やらなきゃいけないことは、沢山あるんだし」
もし次回があるなら。
その時にはもう諦めて王子とも交渉するし、配下たちとも上手く付き合う。
ブリュンヒルデの生い立ちは分からないにしても、殺されるような事態はもう回避できる。
だから、少しの恐怖と不快感さえ我慢してしまえばいい。
クレインがそう割り切ろうとしていれば、マリーは唐突に話を変えた。
「ねえクレイン様。私のことをお嫁さんにしたいって言ったこと、覚えてます?」
「え? ああ、五歳くらいの時だったかな」
幼い頃に、クレインはマリーに向けてそう言った。
しかしそれは子どもの口約束だ。
その約束をしてから、十年も恋仲に発展していない。
どうして今その話を。
と、クレインが意図を考えようとすれば。
彼の口に、何か柔らかいものが触れた。
「……え?」
すぐに離れたが。
クレインにそっと近寄り、マリーはキスをしていた。
「えへへ、ファーストキスだったりします」
「ちょ……な、なんで?」
「こんな別嬪さんの前で難しい顔とか、悲しそうな顔ばかりしているからです」
多少恥じらいながらそう言う彼女は。
もう一度。
少しだけ顔を近づけると、クレインの目を真っ直ぐに見つめて聞く。
「今、クレイン様の目の前にいるのは私です」
「え、うん」
「……少しは、意識しましたか?」
マリーとしては。領地を離れて少し元気になったクレインが、また落ち込もうとしているのを見ていられなかった。
多少庇護欲や母性をくすぐられたところもあるが。
しかし、遠いところで起きている問題を考えて、辛そうな顔をするくらいなら。
目の前のことだけを見てほしい。
少しは自分のことも見ろ。
そんな思いもあった。
そして、彼女は真面目な顔をして聞く。
「ねえ、クレイン様。このまま逃げちゃいませんか? 誰もクレイン様が貴族だって知らないところまで――二人で」
逃げる。
それは生き延びること。
立ち向かうことをだけを考えてきたクレインにとって、初めて与えられた選択肢だった。
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