そしてスタート地点は、ヨトゥン家の使者が詰め寄ってきた時にまで巻き戻る。
クレインは過去と全く同じ流れをなぞり。
一択問題が出題される直前にまでやってきた。
「では、家臣たちとも協議の上で……」
「いいえ! 今、この場で! 子爵ご本人のお考えを聞かせていただきたい!!」
婚姻という重要な話。
人生と領地の行く末を決める話だというのに、考える時間すら与えてくれないようだった。
「え、ええ……?」
「さあ。返答や、いかに!」
しかしこんなもの、考える余地は無い。
彼は結局、婚姻の申し出に対して首を縦に振るしかない。
「そうですね……では、婚姻の話はお受けします」
「よろしい、それでは――」
「ただし!」
ここで終わってはまた全面戦争に突入するので。
今回のクレインは一旦、戦争を避ける方向に舵を切った。
「今はあくまで婚約でお願いします。それも、秘密裏の話として」
「……と、言いますと」
完全に東伯と荒事を為すつもりだった使者は、怪訝そうな顔をクレインに向けて。
トーンダウンしながら聞き返した。
「私がお嬢様と結婚することになれば、東伯は激怒するでしょう」
「ですから、万が一の場合は当家からも援軍をお出しすると申しております」
「援軍を送っていただいたとして、防衛設備が無いのですよ」
「む……」
事実として。多少の援軍を呼んだとしても、野戦となれば蹴散らされる。
城は無理でも、砦を築くぐらいの備えは必要だ。
しかし。婚姻の話が東伯の元に届いた時点で、即、軍事行動が始まる。
速攻で攻め寄せてくるため、防戦のための準備時間がそれほど確保できない。
だからクレインは考えた。
南伯との関係を強化する道を選びつつ。
東伯と揉める時期を先延ばしにする。
という方法を。
「東伯が本腰を入れれば、異民族との闘いで鳴らした強兵が攻め寄せてきます。野戦で戦えば不利は明白なので、準備が整うまでは発表せずにいてほしいのです」
「しかし、東伯からは既に再三の要請があり……これ以上は難しいかと」
東伯との因縁を知っているから、高位貴族たちは婚姻に消極的。
しかし東伯からの圧力は日に日に強まっている。
だから選択肢を広げてみた結果が、己への縁談だったのだろう。
取り繕うこともせずに困っている様子を見せたことから、クレインにもそう予想はついたが。
彼としても、ここは曲げられなかった。
「畑の間借りから始まり、無理な申し出の数々を快諾してくださったのですから……ヨトゥン家には恩があります。ヴァナウート家と秤にかけるならば、考えるまでもなく貴方がたを選びますよ」
この二家を比べれば、一目瞭然だ。
多少遠いと言っても領地が隣接している上に、重要な交易相手である南伯の機嫌を損ねる方がマズいとすぐに分かる。
というか東伯が攻めて来ると知っているから悩んでいるものの、本来なら悩む必要はない。
飛び地にいる伯爵を怒らせたところで、然して怖くもないのだから。
――冷静に考えてみれば、普通は東伯が挙兵すること自体があり得ない。
未来を知っているクレインからすれば、ヴァナウート伯爵家の行動は常軌を逸しているとしか言えず。
そこまでの執念なら、ヨトゥン家への圧力も相当なものなのだろう。
そう推測しつつ、彼は続きを言う。
「ですから、こちらとしてもヨトゥン家との縁談は進めたいと思っています。ただし時間を稼ぐという条件付きで」
「……時間を稼ぐことが条件、ですか」
「ええ。それができないほど危険な橋ならば、お断りさせていただきたい」
これも本来なら、格下な上に食料を依存しているアースガルド子爵家が言い出すのはおかしいのだが。
そこだけは譲れないと、クレインは断固とした態度で言い切った。
「……ぐ、ぬぅ」
先ほどの興奮がぶり返してきたのか、使者の男は顔を赤くしているが。
理は自分たちに無いということを理解して唸っていた。
一見して良縁に見えても、武断派の大勢力から睨まれるというリスクを背負わせるのは間違いないし。
クレインがヴァナウート伯爵家との事情を知らなければ、何も言わずに進めていくつもりでもあった。
つまりクレインにとってみれば。
世話になっている親戚からの打診で。
格上からの提案で。
弱みを握られながらの交渉である。
ヨトゥン側は、徹底的にクレインの退路を塞いでから話を持ち掛けていた。
言い換えれば、ハメるつもりであったと言われても仕方がない。
企みと言えば聞こえは悪いが、信義に反する行いであることは間違い無かった。
「いかがでしょうか。こちらが必要なものは、時間だけです」
使者からすれば、クレインがリスクを大袈裟に主張していると思っている。
しかし実際に大軍を送ってくるかと聞かれたら疑問が残るものの、小競り合い程度であれば十分に起こり得るのだ。
おおよその裏事情やリスクを分かった上で「時間さえくれたら話を飲む」と言っているのだから、まだ義に溢れた回答だろう。
そう判断して呼吸を落ち着けた男は、先ほどよりも低い声で問い返す。
「時間とは、どれくらいの期間ですかな?」
「そうですね。最低でも三か月、できれば半年ほどは」
「半年……」
南伯と東伯の間には距離があるので、直接的な武力での脅しは無い。
しかし何故だかヘルメス商会が東伯を後押ししているため、農業生産に振り切ったヨトゥン家は雑貨や嗜好品、貴金属などの流通を止められる可能性が出てきていた。
どうして今まで良好な関係を築いてきた王都の大商会が、急に東伯の肩を持つのかは分からないとして。
その締め付けに対しても、三か月程度ならば何らの影響も出ないだろう。
そう判断して、使者は切り返す。
「婚姻を結んでからは、すぐさま協力体制を構築できますか?」
「水面下で関係を強化するだけなら、今のうちからでも始められますよ」
「なるほど、それはありがたい」
アースガルド領は各種の鉱山を持っており、無いのは金山くらいだ。
金ならヨトゥン家の金山でギリギリ賄えるし、西方から輸入してもいい。
アースガルドにはまだまだ発展の余地がいくらでもあるので。ヨトゥン家に足りない分野を伸ばしてもらえれば、今後の圧力にも怯えずに済む。
彼は頭の中で目まぐるしく考えを巡らせ、各種の試算を同時に行っていく。
「すると……いえ、やはり半年は無理ですな。可能な限り早い方がいい」
そうして出てきた結論は「時間稼ぎ自体は可能」であり、「ここは縁を結ぶべき」だというものだ。
しかしそれは、ヘルメス商会の出方次第でもある。
どの程度の攻勢を仕掛けてくるかによって、耐えられる時期が変わってくるのだ。
不測の事態が起きた時のことを考えれば。
やはり早いうちに縁を結びたいのが本音だった。
「厳しいですか」
「ええ。この話を伏せる期間は三か月――そこが落としどころかと」
東伯との関係を決定的に拗らせて、ヘルメス商会から嫌がらせを受けたとしても。
他の御用商との取引を増やせばリカバリー可能な範囲ではある。
だが、半年後まで耐えた挙句にクレインが梯子を外せば、とんでもないダメージを受けることになる。
家の利益を考えても、できる限りの短期間で縁を結び。
早期に協力体制を作ることが最上という結論になったらしい。
「承知しました。三か月後と言えば十月の終わり頃ですからね。十一月の頭に婚約を発表したとして、その知らせがヴァナウート家に届くまでに一ヵ月ほど」
今度はクレインが考える番だ。
多少早く、十一月の終わり頃に婚約を知られたとして。
そこから兵を集めても、彼らの出陣は十二月の半ばくらいだ。
ここ数回の戦場を考えるが。
毎回、アースガルド領の領都から東へ二日ほどの距離にある、四方を山で囲われた平野で開戦する。
東伯軍がそこまで到着するのに十日はかかるので、ちょうど年越しくらいの時期に対峙することになるだろう。
凍死する可能性まであるので、普通は真冬に進軍などやらないが。
しかしあの伯爵は、時期がいつだろうと進撃してくるはずだ。
それなら一番雪深い、一月から二月の間にまで予定をずらしたい。
そう考えたクレインは。
話がまとまりそうなところでも妥協せずに、粘りを見せた。
「いえ、やはり三か月半。それでいかがです?」
「その半月に、何か意味が?」
「ええ。欲を言えば四か月を希望したいのですが……それこそ、落としどころです」
東伯が進軍を春まで待つならそれでも良し。
即座に攻めて来るなら、一月の半ばに対峙することになる。
その時期なら東部でも豪雪が降るかもしれないので、場合によっては敵に雪中行軍を強いることができるだろう。
本拠地が近いアースガルド軍は万全の態勢で臨めるが、寒い雪道を長旅してきた敵兵は弱っているのだ。
弱っていると言ってもアースガルド軍よりは格段に強いとして。
雪のダメージは一月に入ると跳ね上がる。
だからその僅か二週間が、勝敗の行方を左右することになりかねない。
今までは正面から野戦をしていたが、ここで発想の転換だ。
アースガルド領へ通じる道を塞ぐ砦を建設することができれば、砦を利用した籠城戦ができる。
砦なら防寒対策を取りやすく、長期戦になれば継戦能力にも差が出る。
兵数を増やしたり兵の力量を上げたりと、味方が強くなる努力はもう頭打ちだ。
これ以上自軍をレベルアップさせることは、急にはできない。
だからクレインは味方を強化すると共に、敵を弱くする作戦も行おうとしていた。
「それから……大量の食料を買い付けたい」
「大量。それはどれくらいの」
そう言いながら彼は計画書を取り出した。
1月の後半に到着する予定で、ヨトゥン伯爵家の穀物などを。
「ヨトゥン伯爵家に出せるだけの食料を全て、限界まで当家で購入したい」
まとめて、全部。
アースガルド子爵家の財力が許す限り、無限に買いたいという要望書だ。
「それは、調整が必要ですな」
「そうでしょうね。こちらからはスルーズ商会を派遣するので、輸送の労力は少ないと思いますが」
使者と領主。
互いに必死だったため、その後は白熱した議論を交わす場面もあったが。
婚姻関係を結んだあとの具体的な内政案にまで話が及び――
――本格的な同盟が締結された。
状況に流された初回の縁談から始まり、前回までは婚姻を了承するに留めている。
あっても駐留軍を置くように願うだけで、具体的な取り決めなど無かった。
しかし踏み込んだ結果。
今までよりもずっと細かく、細部まで詰めた同盟案ができたのだ。
ここまではほぼ、クレインの理想通りに進められている。
「……はぁ。タフな交渉だった」
そしてどうにか三月半という時間を得たクレインだが、やることは山積している。
疲れた様子の使者を見送ったあと。
今度こそは生き延びてやると決意を新たにして。
早速、方々へ指示を飛ばし始めた。
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