「アースガルド子爵のお屋敷は、こちらに相違ないかーッッ!!!」
日の出と共にクレインの屋敷の前に訪ねて来て。仁王立ちしながら、大声で呼びかけている男が一人。
この迷惑な男こそ、三回目の人生でクレインが開催した献策大会。
――そのオマケで開催された武術大会で優勝した男、剛槍のランドルフである。
彼の顔には右の眉毛からアゴまで刀傷が走り、精悍そうな顔つきをした男だ。
身長は二メートル弱の大男。
肩幅が広く、分厚い筋肉で覆われた逞しい胸板をしている。
「何だ貴様はッ!」
「おい待て。確かクレイン様が客分を招くとか言っていただろ」
「いかにも! 拙者はアースガルド子爵の招きに応じて馳せ参じたッ! お目通りを願おうかッッ!!」
誰がどう見ても歴戦の猛者といった風体の男は、左手に朱槍、背中に風呂敷だけを持って馳せ参じた。
しかし、連絡を入れてから到着するまでの速さには。朝っぱらからマリーに叩き起こされたクレインもビックリである。
大会の時に確認した住所を目掛けて、クレインは手紙を出していた。
幸いにして彼は住所を変えずに、王都から少し北へ進んだところにある街へ住んだままだったようだ。
手紙を預けたヘルモーズ商会の職員には「二週間ほど必要」と言われたので、すぐに招聘へ応じたとしても到着は――再来週以降になると思っていたのだ。
「ず、随分と早かったな」
「馬を乗り継ぎ、最速で駆け付けた次第。このランドルフの武勇、存分に役立てられよ!」
手紙が届いた後、すぐさま身支度と旅支度を整えて。
馬車で向かえば一ヵ月、飛脚便でも二週間。天候によってはもう少しかかる道のりを、彼は一週間ほどで走破したらしい。
クレインはランドルフが士官に求める条件などを知っていたので、ヘッドハントに応じる確率は高いと思っていた。
しかし流石に、そこまで全力で駆けてくるとは思わなかったらしい。
「そうだな……ええと、これから朝食なんだが」
「であれば、玄関先で待たせていただこう!」
「いや、上がっていけよ」
近所迷惑だから。という言葉を飲み込んで。
クレインは自分に続いて屋敷から出てきたマリーに、茶の用意をさせた。
「……はぁ。いや、まあ、嬉しいんだけどな」
ドラフト一位の猛将が来てくれたのだから、それはもちろん嬉しい。
しかし朝からどっと疲れた様子のクレインは、いつもより二時間ほど早い目覚めへ怠そうにしながら。
来客を前に二度寝もできないので、何はともあれ朝食を取りにいった。
◇
「ではランドルフ。仕官に応じるということでいいんだな?」
「無論。今日からでも働かせていただきたい!!」
ランドルフは、熱意が空回り気味なようだ。
彼はもう前傾姿勢を通り越して、テーブルを乗り越える勢いで、クレインと握手しようとしていた。
「いや、待て待て。契約書は交わしておこう」
「む、あ、ああ。そうですな」
彼が求めるものは二つ。
まずは安定した賃金だ。
いかにも傭兵然とした、腕一本で一攫千金を狙いに行くような風体であるのに。彼は堅実な職を求めていた。
「衛兵隊を増やす予定だけど、まだ設立していないからな。まずは副隊長待遇から始めようか」
「では、それでお願い致す。サインはどこへすれば――」
「だから、話を最後まで聞けって」
彼は学が無くツテも無い。力自慢というだけでは仕官が叶わなかったらしく、先の動乱の際にも「どこに行けば雇ってもらえるのか」が分からずに燻っていた。
実際に戦うところを見れば、歴戦の武芸者を軽く転がす実力者だとはすぐに分かるのだが。
しかしその機会も無く。
工事の人夫などを務めながら、鬱屈した毎日を過ごしていたらしい。
「まずは賃金の交渉からな」
「う、うむ」
「給料だが、毎月金貨8枚の俸禄を予定している。そこに加えて危険手当だ。盗賊退治なんかがあれば、その都度の働きを見て賞与を出す」
そこまで破格の待遇というわけではないが、一家が食うに困らないくらいの収入にはなる。
小作農として働いても平均して月に金貨5、6枚なことを考えれば、経験も実績も無い浪人に与える俸禄としてはまずまずといったところか。
クレインから見てランドルフの実力は、伯爵家が抱える千人隊長クラスはある。
少なくともハンスと同レベルの相手ならば、二、三人はまとめて倒せるだろう。
周囲からの反感を避けるために段階は踏むが、ゆくゆくは将軍にと考えていた。
「信頼できそうなら俺の身辺警護係に変更するか、創設予定の軍で指揮官を任せようと思っているんだ」
「せ、拙者が、一軍の将に?」
弱兵を徹底的に鍛えてもらいたいという思惑とは別に、クレインには別な目論見もある。
そこには、「もしかしたらブリュンヒルデに対抗できるのでは」という、淡い期待も入っているのだ。
ブリュンヒルデと言えば。これまでは何か失敗すると、ペナルティとして死を与えてくる存在だった。
しかしこの先、彼女を一時的に足止めしたり、一旦殺害を思い留まらせる必要のある場面が出てくるかもしれない。
そうなった時のストッパーになれないかと期待していた。
少なくともハンスたちでは五秒も止められないので。
クレインは本当に期待していた。
「まあ、そこは勤務態度次第だな。腕っぷしだけでは任せられないから、少し勉強をしてもらうこともあるだろう」
「承知致した。励むとしよう」
うんうんと頷くランドルフは、雇用契約書にサインしようとしたのだが。
過去に彼の希望を聞いていたクレインは、テーブルの端に置いてあった薬へ手を伸ばした。
「あとはこれだな」
「これは?」
「奥さん、病気なんだろ? 効くかは分からないが、馴染みの商人から薬を取り寄せてもらった」
「……え?」
薬というものは意外と高価で、しっかりとした効き目があるものは、目が飛び出るような価格で売られていた。
実際にトレックから購入した治療薬も、それなりの値段はする。
ひと瓶、一ヵ月分で金貨3枚と、一般家庭ではおいそれと使えない金額のものだ。
「これはプレゼントだ。契約金代わりと言ってもいい。もしこの薬に効き目があれば、定期的に仕入れるよ」
「何故、拙者の妻が病だと……?」
武闘トーナメントに優勝したランドルフが、涙ながらに仕官希望の理由を語っていたことはクレインしか知らない。
ランドルフに、語った覚えがないという方が正しいか。
「噂で聞いただけだよ。で、どうなんだ?」
「た、確かに妻は、難病ではありますが……」
症状まで聞き取っていたので、それを基にトレックへ相談し。効きそうな薬を事前に用意しておいたのだ。
ランドルフが試してみたいと思っていた薬の一つではあったので、彼は領主の洞察力に驚いていた。
薬は薬師か、取引をしている商人のツテが無いと買えない。
治療薬が買える環境、それが希望条件の二つ目である。
生活が切羽詰まっており、ランドルフが重視したのはまず働き先を見つけることだった。
贅沢を言うまいと、今回は彼の方から条件を切り出して来なかったが。
薬一つで忠誠を買えるなら安いものだと言わんばかりに、クレインは笑顔で薬を差し出す。
「万能薬ではないが、何にでもそれなりに効くらしいからな。もし病気じゃなければ、常備薬にでもしてもらおうと思っていた」
トレックから薬は仕入れられるし。今は薬師見習いを育てて、公務員のような扱いにする計画も始動している。
安定した職があり、アースガルド領は療養の環境としても悪くない。
そして薬が安定して手に入る。
しかも領主が一介の平民を気遣って配慮までしているのだから、これで裏切る理由は無いだろう。
ランドルフの忠誠を高めて、恩義が重なるほどにクレインの身は安全になるのだ。
絶対に死にたくない領主様は、全力で猛将を囲い込もうとしていた。
そんな裏を知らないランドルフは、薬の瓶を抱えて号泣している。
「ぐ、ぐおおおおお!! 拙者如きにこのような、このようなご配慮をいただけるとはッ!!」
「うぉっ!?」
「粉骨砕身、全身全霊でお仕え致す所存ッッ!!」
「え、あ、ああ」
暑苦し過ぎるのは考えものだが、武力的には間違い無い。
腕っぷしが国内屈指の猛将を獲得したクレインだが。これによって様々な影響が出てくることは――もちろん、今の時点では想像できていなかった。
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