家臣たちの会議から三日後。
クレインは北に向かう馬車に乗っていた。
行商人のトムが御者を務め、マリーと共に北方を目指す旅に出ている。
「俺はもう大丈夫なのに」
「まあまあそう言わずに。私だってたまには旅行がしたいんです」
「マリーはブレないなぁ」
状況を飲み込めた彼は、今では多少落ち着きを取り戻していた。
時期は王国歴500年4月。
つまりスタートラインへ戻ってきている。
何故最初からやり直しとなったのか。
それは人生の最後に、「平和で何事も無い日」に戻りたいと言ったからで。
確かにこの時期は毎日が平穏そのものだ。
もちろん彼も、ここまで戻りたいとは思っていなかったが。
今では諦めもつき、状況を受け入れることができていた。
「……変なところで、融通が利くんだもんな」
具体的な日付を指定せずとも、状況を指定して過去に戻ることができる。
新しい発見だ。
何かに生かせるだろうか。
そうは思いつつ。
二年半も全力を挙げて発展させた領地が、元通りになっている様を見て。
積み上げてきた全てが、唐突にリセットされたところを見て。
彼はかなり凹んでいた。
二週間ほど呆然としたまま、何もやる気が起きなかったほどには。
そんな彼を心配して、家臣たちは気分転換と勉強を兼ねた旅を勧めたのだ。
クレインは自分が犯した致命的なミスを振り返り。
また気落ちしたが。
隣に座るマリーは彼の独り言を耳ざとく拾い。
何のことだろうと首を傾げている。
「融通? クラウスさんのことですか?」
「いや、まあ。そっちもそうだけど」
「そうですよねー。一生に一度レベルの甘やかしっぷりですし」
領地は安定しているので、好きなだけ旅を続けていい。
期限は最長で三年。
そう言って、クラウスたちはクレインを送り出した。
クレインも最初は「よくもまあここまで太っ腹な条件を出したな」と思ったが。
しかし行商に付き合いながら、荷馬車でゆっくり進むのなら。
北候の領地へ到着するまでに一ヵ月以上はかかる。
そこから東候の領地を行くルートで一周すれば、移動だけで半年はかかるだろう。
もしも南方まで見るなら、一年近く使うかもしれない。
それを考えれば、どこまで見るかを自分で決めることも勉強。
という考えを念頭に。
かなり大がかりな計画が立てられていたのかと、クレインは思う。
憎悪の目を向けられ、精神的に参っていたこと。
今までに積み上げた全てが、一つのミスで崩壊したこと。
その二つが重なり、放心状態になっていたクレインだが。
半月が経った今では、ようやく思考が現実に戻ってきている。
しかし、決戦までの二年半。
その中の貴重な一ヵ月を無駄にしたのだ。
もう一度四月からやり直し、再度領地の発展を、と。
そう考えたが、手が止まった。
領地を発展させる過程ではまた第一王子と手を組み。
一時的にでも、彼らを配下へ加えることになる。
クレインを殺せたことを喜び、狂気的な笑い声を上げる死人たち。
彼らともう一度、一緒にいなければいけない。
そう考えれば、恐怖で一歩が踏み出せなかった。
三年後に侯爵家が攻めて来たときまでは平和に過ごせるのだ。
今回はしばらく大人しくして、静養期間に宛てようか。
そう思い、よくよく考えてみれば。
今の状況は今の状況で、そう悪くはないと気づいてしまった。
中小規模の領地のまま、北候の傘下に入る。
その選択肢を取れるからだ。
「……これが、平穏の道か」
何事もなく三年間を過ごせば、悪意や害意に晒されることはない。
領地が陰謀に巻き込まれることもない。
北候の傘下には。疎遠でも、南の備えに置かれている小貴族家がいくつかあったことは確認済みだ。
従属する道を選べば、扱いが多少悪くなったとしても生き残れるだろう。
何より、今すぐ銀鉱床を発見して、また王宮で交渉して。
という動きをするには、気が重かった。
今回のループでは既に三回ほど、最後の光景を夢に見ていて。
寝つきが悪くなった彼は、浅い眠りを繰り返すようになっている。
王子や配下たちと再び顔を合わせることを想像するだけで、吐いてしまいかねないほど気分が悪い。
あの光景がトラウマになっていたのだ。
だからそちらは、一旦放置することにした。
銀山があるだけで陰謀に巻き込まれるのだから、大森林も手つかずのままだ。
「どうされました?」
「いや、何でもない」
横に座るマリーが顔を覗き込んできたので、クレインも一旦思考を止める。
最初は今までのループで試していなかったことを何か試そうともしたが。
旅行を提案されたあと、強引に馬車へ押し込まれ。
流されつつも、今では家臣たちからの提案を受け入れていた。
「まあ、のんびりいくか。時間は……三年もあるんだし」
「本当に長期休暇いっぱい使うつもりですか」
「ああ、いや。そうじゃないんだけど」
生存戦略など要らなかったのかもしれない。
そう考えれば。
持ち直してきたメンタルは再び低空飛行を始めようとしていた。
ただ中堅の地方領主として、大勢力の傘下に付くことを考える。
それだけで平穏無事な毎日を送れるだろう。
しかし。もしもそれが成功してしまえば、今までの努力は全て無駄だったことになる。
そう考えてしまえば、熱意など湧かない。
彼も今回の人生では、取り立てて情熱を燃やしていなかった。
やることと言えば、冷害による飢饉を避けるくらいだろう。
ヨトゥン伯爵家へ送る契約書だけは仕上げてから出て来た。
トムと行商仲間へ、北方原産種の野菜や穀物の入荷も頼んである。
今回の人生における特別な内政は既に終わったと見ていい。
そのトムに同行することになったため、クレインとマリーも北へ向かっているのだが。
進む予定でいるのは、王都に向かう道を途中で北に逸れる予定のルートだ。
そんなことを考えている間にも、荷馬車はゴトゴトと音を立てて進む。
「のんびりするのも、久しぶりだな」
三年という時間制限の中で、数十倍の戦力を持つ相手から生き延びる選択肢を探してきたのだ。
クレインは全ての日程を限界まで詰めて、限りなく忙しい日々を送ってきた。
あのまま数年働けば、死因に過労死が加わった可能性すらある。
何も考えずに。
ゆっくりと進む荷馬車から空を眺めるなど、数年はしてこなかったことだった。
「何を言っているんですか。いつも昼寝ばかりしていたのに」
「んだなぁ」
しかし、周りから見ればそうでもない。
彼女たちは、もうクレインが忘れかけている、初回のクレインとずっと共にあった。
取り立てて忙しそうな場面を見たことがなかったので、何かの冗談か。という顔をしている。
「これで結構大変だったんだよ」
「まあ、それは分かりますよ? だからクラウスさんも許可を出したんですし」
勉強も兼ねて、各地の視察を。
クラウスが彼らを送り出した名目はそんなところだ。
しかし別に目的地があるわけでも無く。
買い付けに向かうトムに全てを任せている状態になる。
これは家臣たちの好意、或いは厚意からの提案なのだろう。
陰謀と悪意を叩きつけられ続けたクレインからすれば、その提案だけで嬉しかった。
まだ本調子とは言えないまでも、精神的にいくらか楽になったのは事実だ。
「そうだよ、今回は急がないんだ。……久しぶりに。少し、ゆっくりしてもいいんだ」
今までを振り返れば、静養は必要だと自覚はしていた。
何をしてもすぐに殺されるような事態になったり。
何をしても大勢力が敵に回ったり。
劣勢の中で極限の戦いを強いられ続けて、色々と限界は来ていたのだ。
今回はたまたま、分かりやすく虚脱感を感じる事件があったので。
それが引き金となり、今までに溜めたものが一斉に溢れてきたのだろう。
クレインは自分の精神面について、そう分析をしていたところだった。
「辛気臭い顔ですねぇ。空はこんなに青いのに」
「ああ、いい天気だな」
一方でマリーは、旅の解放感に似合わない顔をした彼の姿を、渋い顔で見ている。
愉快そうではないが、彼女は絶対に自分を暗殺したりしない。
なので、素直に安寧を感じることができたし、安心して気を緩めることができた。
生え抜きの家臣で、古くからの友人でもあるマリー。
そして、親戚の爺さまのようなトム。
この二人が一緒なら多少安らげると言わんばかりに、彼は荷馬車の床に寝ころんだ。
「……少し寝るか」
「まだ寝るんですか!?」
いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖で、眠れない夜を過ごすこともない。
緊張で胃を痛めることもない。
しかし気掛かりなことならいくらでもある。
結局心労があるのは変わらないが、この旅が終わるまでには万全に整えておこう。
そう思いながら、クレインは寝入り始め。
年季の入った荷馬車は、ゆっくりと旅路を進めていった。
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