美少女と結婚できる代わりに、東伯と呼ばれるヴァナウート伯爵が騎馬隊を率いて攻めてくる。
ヨトゥン家との縁談を受け入れたら、そんな状況に置かれることは確定していた。
「え、縁談とは。恐れ多いことです」
「何をおっしゃいます。クレイン様とてヨトゥン家の血を引くお方ではございませんか」
「そういえば、そんな話を聞いたことはありますね」
己が南伯の遠縁に当たる血筋だということは、クレインも既に知っている。
しかし家同士での交流は一切なく、去年の春にクレインが貿易を始めるまでは疎遠もいいところだった。
そしてクレインの身分は、伯爵より一つ格下の子爵だ。
別に東西南北の各侯爵家、又は伯爵家でなくとも高位の貴族はいる。
王都には領地を持たない法衣貴族がそれなりにいるので、家格が上の家はいくつかあるのだ。
普通に考えればこんな縁談が来ることすらおかしい。
そう、普通の状況であれば。
例えば王都の伯爵家辺りと婚姻が成立しなかったのは、東伯との関係を知られていたからだろうか。
などと考えつつも、クレインはまず牽制から入った。
「は、はは。しかし、何故このようなお話を私に?」
四十過ぎの伯爵が、当時七歳の少女に本気で恋をして。
恋敵を殺しに来るレベルの執念を持っていることは、まだ明かさない方がいいだろう。
そう判断したクレインは、一旦遠回しに聞いてみた。
「先代がアースガルド家のことを気に掛けておりまして、前々から婚約の話が出ておりました。昨今の隆盛ぶりを見た当代も、アースガルド子爵ならばと首を縦に振りましたもので」
「……左様でしたか、はは」
適当に相槌は打つが、クレインはもういっぱいいっぱいだ。
先代の伯爵がクレインのことを気に掛けていたのは知っていた。
しかし。現当主の当代ヨトゥン伯爵は、そこまで乗り気でも無かったらしい。
そこを説得してきたというなら、断れば先代のメンツが丸潰れである。
端的に言うと、凄く断りにくい状況だった。
むしろ初回の人生でよく断ったなと、己に感心するほどの状況だが。
断って何が起きるかを理解していなかった辺り、やはりその頃はただのお坊ちゃんだったのだろう。
クレインの相槌をどう受け取ったのか。
使者は窓の外を見て、ひと昔前と比べればまるで別物の街並みを眺めつつ言う。
「アースガルド領は銀山を持ち、今では様々な産業が芽吹いておりますな」
「ええ、おかげさまで順調ですよ」
「ですが農耕地は一向に増えず、民を食わせていく食料にお困りのご様子」
いいだけ食料を輸入させてもらっているのだから、嘘を吐いても意味がない。
クレインもこの言葉には頷くしかなかった。
そして、その前置きをした相手が何を言いたいのかは分かりきっているので。
クレインの頬はもう引きつっている。
「ま、まあ。そこは今後とも、変わらぬお付き合いを――」
「当家の輸出売上で、アースガルド家が一位になろうとしています。ここまで比重を割くのですから、今後はより親密なお付き合いが必要かと」
「……ですよね」
ヨトゥン家から近く、輸出の大口取引先となったクレインの重要度は高いだろう。
アースガルド家も急に取引を打ち切ることはできないが、商売でトラブルになれば伯爵家とて大打撃を受ける。
そうならない保険を打っておきたいと考えるのは自然なことだ。
筋は通っているというか、むしろ断るだけの理由が無い。
だからクレインは困っていたのだが。
「……あまり、乗り気ではないご様子ですな?」
ヨトゥン家の使者が、何か探るような眼差しで見つめてきたので。
もうダメだ。
これ以上の言い逃れはできない。
そう思いながら、クレインはここで一気に切り込んでみた。
「あの、お嬢様には東伯からご縁談が来ているのでは?」
「む、どこでそのお話を?」
「噂に聞いただけですが……そう聞き返されるということは、事実のようですね」
ここまで遠回しにジャブを入れてきたが、勝負の時が来たのだ。
使者の顔色と反応を慎重に伺いつつ、クレインは攻めていく。
「確かに東伯は四十過ぎ。お嬢様を嫁に出すのは気が引けることでしょう。しかし、伯爵家同士の争いに巻き込まれれば、当家はひとたまりもありません」
どうして縁談を持ち出してきたのか知っているんだぞ。
というカードを切り、クレインは正直なところを堂々と言い放った。
すると使者は思案するような素振りを見せてから、身を乗り出して言う。
「万が一揉めることになれば、当家が間に入ります」
「間に入れますか? ヴァナウート家からの縁談を蹴って親戚のところに嫁がせたのですから、この場合はむしろ、ヨトゥン家が当事者だと思うのですが」
「……それはそうですが」
厄介なことになった。
と、クレインは内心で嘆息する。
このまま断れば南伯側へ角が立つし、受ければ東伯へ角が立つ。
クレインから見れば南伯との方がずっと繋がりが強いので、東伯と多少関係が悪化するくらいなら受け入れられる。
全面戦争で領地が滅ぶような事態にならなければそれでいい。
しかし問題は東伯が激怒して、攻め込んでくることが確定している点だ。
「東伯の性格上、名誉が傷つけば即座に兵を起こす可能性が高いと思います。この点はどうお考えですか?」
「その場合、正義はこちらにございます。兵を集めて戦いましょう」
アースガルド周辺の地理を考えれば南伯と東伯の距離は同じくらい。
むしろ、やや南伯が近いくらいだ。
東伯側から見ればいくつかの貴族家を間に挟んでいるが、南伯とアースガルド家の間に他の家は無いことからも、行き来はしやすい。
確かに、普通に考えれば援軍は間に合うとして。
やはりここでも普通ではなかった。
「恐らく、間に合いません」
「……と、言いますと?」
「彼らの主力は騎馬部隊です。本気になれば、ヨトゥン家の倍速で行軍できるはず」
事実として東伯軍の構成はほぼ騎馬隊であり、行軍速度が恐ろしく速い。
東伯が兵を挙げたと聞いてすぐにヨトゥン家が兵を集めても、集合する前に攻撃が開始されるだろう。
二度目の人生でも結局援軍は間に合わなかったので、今回も単独で戦うことになる可能性は高い。
その点がクリアされればなと、クレインが一旦目線を切れば。
次に目を合わせた瞬間、使者の顔は怒りに打ち震えていた。
そして、次の瞬間。
裂帛の気合と共に彼は言う。
「それなら全面戦争です!!」
「え、ええっ!?」
――失敗した。
クレインがそう悟り、「言い方が直球過ぎたか」と思った次の瞬間。
目の前の男は応接室の机を拳で殴りつけて、更に吠えた。
「最初から、東伯と事を構えるつもりでやろうではありませんか!」
一瞬アースガルド家を滅ぼしに来るのかと仰天したクレインだが、どうやら相手は東伯のようだ。
そこはいいとして、ヨトゥン伯爵家の家臣で最高権力者とも言える男がそんなことを言えば。
東伯ヴァナウート家 VS 南伯ヨトゥン家&アースガルド家。
そんな戦争が現実に起きる可能性が高い。
規模からすれば、本当に全面戦争だ。
思っていたよりも血の気の多い使者に驚きながら、クレインが目を丸くしていれば。
初老の使者は本気の怒りを感じさせる、震えた声で心中を吐露した。
「当家のお嬢様を……私どもの孫のような存在を、小児性愛者などに渡せるかッ!」
「あの、気持ちの上ではそうでしょうが。しかし政治としては――」
おろおろしつつクレインが止めようとしても、使者はもう止まらなかった。
「それが全てです! 政治の駆け引きでお嬢様を引き渡すくらいなら、いっそ戦争も止む無し!!」
「お、落ち着いてくださいよ!」
言いたいことは分からないでもないが。
思っていた流れと大分違うことになって、クレインは困惑している。
しかし使者は間髪入れず、怒涛の勢いで彼に詰め寄った。
「アースガルド子爵! この際だからもうハッキリと申し上げますが、婚姻を結ばぬならば取引の規模を縮小させていただきます!」
「そ、それは困りますが、ええと」
「東伯に義理立てするか、我々に義理立てするか二つに一つです。ご決断を!」
どうしてこうなった。
クレインの思考は最早、その単語で埋め尽くされている。
今朝はまったくいつも通りの朝だった。
まさかこんな究極の二択を選ぶ日になるとは、思ってもみなかったクレインだが。
まずはもう一度逃げを打とうと、できる限りのスマイルで言ってみる。
「で、では家臣たちとも協議の上で……」
「いいえ! 今、この場で! 子爵ご本人のお考えを聞かせていただきたい!!」
婚姻という重要な話。
人生と領地の行く末を決める話だというのに、考える時間すら与えてくれないようだった。
「え、ええ……?」
「――さあ。返答や、いかに!」
しかしこんなもの、一択問題である。
東伯が相手なら、まだ軍事的な立ち回りで何とかなるかもしれないとして。
南伯との貿易が縮小すれば今度はアースガルド家で食料危機だ。
それにここで東伯に付きますと言ったところで、東伯がアースガルド家を助けるメリットはゼロだ。
助けてくれるワケがないどころか、南伯の点数稼ぎに滅ぼしに来るという、謎の動きすらあり得る。
だから彼は結局、婚姻の申し出に対して首を縦に振るしかなかった。
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