弱小領地の生存戦略!

俺の領地が何度繰り返しても滅亡するんだけど。これ、どうしたら助かりますか?
征夷冬将軍ヤマシタ
征夷冬将軍ヤマシタ

51回目 袂を分かつ

公開日時: 2021年7月2日(金) 01:01
文字数:4,731



 歩き始めて三十分が経った頃。

 小さな泉の脇に、開けた空間があった。


 半径五十メートルほどに森が開かれ、そこにいくつかの墓石が置いてある。


「ここか」

「ええ。ここは王家の私有地です。滅多なことでは使われませんが――と、先方も来たようです」


 墓の近くまで来たクレインが周囲を見渡せば。

 南の方から二十名ほどの一団が歩いて来るのが見えた。


 先頭に立っているのは。

 クレインの部下としてアースガルド領に派遣されていた文官の男だ。


「ご無沙汰しております。子爵」

「ああ、久しぶりだな」


 それは小貴族連合に引導を渡し、宰相への紹介状を書いた男。

 彼以外の面々も二十名ほどいるが、半数はクレインの部下だった者たちだ。


 そう、過去形だ。

 彼らは国王の命令で派遣されていた。


 しかし第一王子の周囲に居た人間であり。

 クレインからすれば。彼らの忠義は今も王子に向いているように見えた。


「閣下」


 そして、その中から。

 クレインと最も関わり深かった女性が進み出てくる。


「生きていたんだな、ブリュンヒルデ」

「ええ。生き長らえてしまいました」


 残念そうにそう言う彼女は。

 クレインの記憶と何ら変わらず、優し気な微笑みを浮かべている。


 彼女の死など想像もできなかったクレインだが。

 実際に生きて目の前に現れれば、驚きの気持ちと「やはり」という気持ちが入り交じり、複雑な顔をした。


「殿下の遺臣たちを集めたのは、君か」

「いえ、私も誘いを受けてのことです」


 そして話があるのは、彼女ではなかったらしい。


 宰相への紹介状を書いた男。

 クレインが以前屋敷を訪れた、文官の男が代表して切り出した。


「子爵。最近の動向は我々も聞き及んでおります」

「ラグナ侯爵家と手を組んだことを、か?」

「……はい」


 彼は気まずそうな顔をしてから、クレインに向けてすがるような目を向ける。


「子爵は殿下と共に北候を退け。王国を守ると誓ったのでは、ないのですか」


 顔を歪める彼がどういった意図で尋ねているのか。

 それはクレインには分からない。


「違うな。殿下と交わした言葉は、そうじゃない」

「では、何と」


 しかし。快いわけがないことだけは理解しつつ、彼は返答する。


「ラグナ侯爵家が拡張路線を続けるなら、アースガルド子爵領も危ないと思っていたんだ」

「……それで?」

「だから。殿下は殿下の目的のため、俺は領地のために共闘関係を結んだ」


 ラグナ侯爵家を放っておけば子爵領もどうなるか分からず。

 だからこそ第一王子と手を組むことにした。


 今後のため、共に対策を練りたい。


 それが全てであり。

 国のため、大志のためなどという話は一切出ていなかった。


「そうだろ、ブリュンヒルデ」

「……はい、閣下。その通りです」


 約定を交わした場には彼女も同席している。


 クレインはあくまで領地を守りたいがために協力すると言い。

 王子がそれを受け入れたからこその関係だった。


 そこに嘘は無い。

 実際に横で見ていたブリュンヒルデもそう言っている。


 理屈の上ではそうだとして。

 それでも、そんな言葉で遺臣たちは納得しなかった。


「しかし、これでは殿下が浮かばれません! 殿下の権威を利用するだけ利用して、用が済めば捨てるというのですか!」

「そうだ! そんなことが許せるか!」


 それでも文官の男たちにとってみれば、クレインの行動は不義理でしかない。

 そんなことはクレインも分かっていた。


 しかし当時と今では全く状況が違う。

 そう思い、クレインは冷静に返す。


「後ろ盾が無くなれば、別な勢力の傘下に入る。それが正しい領地持ちの貴族の在り方だ……違うか?」

「だからと言って、何故、北候を選ぶのですか」

「そうだ。同盟を組んだのが東伯や、東候であれば、我々とて……」


 東伯からは今年、一方的な戦争を受けている。

 しかも奇襲戦争で、戦後の講和もなし。


 王宮から裁かれていなければ、今も戦う用意をしている。


 もしも東伯と手を組んでいたら。

 などと考えるのは、「そうなったら嬉しい」という妄想でしかなかった。


「東伯とは、殿下の下にいた頃から戦争の用意に入っていた。あり得ない仮定をするのは止めてくれ」


 アースガルド家が裏切って北上すれば、北候は滅びる。

 その可能性は非常に高いし、彼らが取れる現実的な仇討ちの方法はそれしかない。


 彼らにとっての理想はクレインが北候を裏切り。

 東伯、東候との関係を修復して、共に北を攻めることだ。


 だから彼らも容易には退かない。


「私は東に縁故がある。仲裁してやろうではないか!」

「そうですよ子爵、今からでも遅くはありません」


 騎士の一人がそう言えば、周りは揃って追従した。

 

 だが、その提案は状況としてかなり無理がある。


 東側勢力はもう兵力を集めているのだ。

 早ければ来週か、遅くとも来月には攻めて来る見込みになっている。


「いや、もう遅いだろう」


 仲裁の使者が間に合うことを祈り。

 東伯、東候やその他勢力が話し合いに応じることを祈り。

 妥協点を探り、同盟を締結する。


 王都から東伯の本拠地までは二十日。

 この段階になり、そんな動きが間に合うはずもなかった。


「それに、裏切った瞬間に北候が兵を向けて来る」


 王子が死んでから何か月が経ったと思っているのか。

 同盟を結んだ直後ならいざ知らず、既に決戦の準備に入っている。


 ここに至りそんなことを言われても、クレインには無理としか言いようが無かった。


「やってみなければ分からないだろう!」

「賭けてみましょうよ。貴方とて不忠者の烙印を押されたくはないでしょう?」


 好き勝手に言うのは、王都に居た者たちだ。

 アースガルド領へ出向していた者たちは、ただ気まずそうな顔をして黙っている。


 彼らとしてはもうクレインを引き込む以外の道が無いのだから、どんな無理筋だろうと押す。

 だが、現実的には誰が見ても不可能だ。


 まず裏切ったとして、北候は即座にアースガルド領へ兵を送るだろう。

 次に南伯側は混乱して、援軍を送るどころではなくなる。


 そもそも第一王子派の残党が提案したことに、東伯と東候が乗るとも思えない。

 状況からすれば、裏切ることなど土台あり得ない話だった。



「北候は別に、うちの領地へ何かしたわけでもない。……だが、東伯は実際に奇襲をしてきた。これで手を切るなどあり得ないし、そちらの方が不義理だよ」


 可能、不可能の話を抜きにしてもあり得ない。

 クレインの心情としても、既に東と手を組もうとなどとは思っていないのだ。


 確かに、クレインとしてもラグナ侯爵家に思うところはある。

 領地を滅ぼされたのだから当たり前だろう。


 しかし、一度だけだ。


 侯爵家がクレインの領民を殺したのは、最初の一度のみ。

 五十回も前の人生で経験したことであり、恨みなど既に風化しかかっていた。


「先に友誼を結んだのは、殿下の方でしょうに」

「大した被害も出ていないのだ。先の戦のことは水に流せ、子爵!」


 そして遺臣たちとクレインの認識は、絶望的なほどすれ違っている。


 街が燃え、逃げ惑う人々が殺されていく光景を何十回と再現されれば。

 そこまで行けば、割り切ることは難しい。


 東伯は、二十回もアースガルド領を破壊し、民を虐殺している。


 確かに見えている分には、一度紛争を仕掛けて撃退された。ただそれだけだろう。

 少なくとも今回の人生では。


 だが、クレインにとってはもう、東伯こそが怨敵だ。

 彼の中では北よりも、東の方が許せない存在になっていた。


「……戦いの恨みを水に流せと言うなら、殿下の恨みを水に流した方が早い」

「な、なんだと!?」

「貴様! 撤回しろ!」


 状況が変わったから手を切った。

 王子の死後に起こった変化だとはいえ、それがクレインに罪悪感を与えていたことは間違いない。


 だからこそ。彼は今日、ここに来た。


「殿下がご存命なら、俺も北候と同盟を結ぼうなどとは思わなかっただろうな」


 憤慨した様子の遺臣たちから目線を切り。

 現実を確かめるように。クレインは目前の墓石を撫でて、呟く。



「だが、君たちが忠義を尽そうとしている人は――この墓石の下で、眠っている」



 性も家名も刻まれていない墓石。

 ただ、「アレス」とだけ刻まれた墓石に祈りを捧げて、クレインは上を向く。


「もういないんだ。未来のことだけを、考えていかなきゃいけないんだよ」


 次の戦いは勝てる。

 その算段がついた。

 恐らく、王子を助けに戻ることはない。


 彼らもクレインを仇討ちに参加させようとするだけで、死因や謀略のことなど語ろうともしてない。


 いや、情勢が見えていなさ過ぎる。

 この有様では、有益な情報など持っているわけがない。


 ならば、これで終わりだ。


 王子の死にどんな遺恨や陰謀があろうと関係ない。

 全てを過去にして、封印する。


 そう決めて。クレインはこのまま進むという決断に、納得しようとしていた。


「だからこそです。殿下を弔うためには、北候の首を取らなければならない!」

「……弔い合戦。なるほど、ピーターが言うところの、義というやつか」


 それが生前の、の望みだった。

 その悲願を達成して、侯爵の首を墓前に添える。


 それは今や、彼らの願いであり。

 崩れかけた心の寄る辺でもあった。


 なるほど、ピーターが亡霊と言うわけだ。


 今の彼らは死んだ王子の幻影を追いかけ。

 悲願を果たすためならば、どんな犠牲も厭わない者たちだ。

 こうなった以上、彼らと和解する道は無い。


「ああ、お前たちは憂国の士で忠義の遺臣だよ。そこまで真っ直ぐな生き様ができることは尊敬するし、羨ましくもある」


 彼らは家を捨ててでも、名誉を捨ててでも。

 忠義のために散る覚悟があるのだろう。


 いや、或いは忠義のために命を落とすこと。

 それこそが名誉であり、実益などかえりみないのかもしれない。


 しかしクレインは。

 彼らが語る忠義を、真正面から否定した。


「だが俺には、失いたくないものがある。仇を討ち、自分がすっきりするためだけに――守るべきものを全て危険に晒すような博打は、打てない」


 愛すべき人がいて。

 付いて来る者たちがいて。

 守るべき領地があり。

 守るべき人々がいる。


 それらは、侯爵家との同盟関係があって初めて救うことができる。


 現実を見れば。

 ここでクレインが北候と敵対の道を選ぶことは、絶対にあり得なかった。


「子爵、考え直してください!」

「……もう一度、言う」


 現実がそうだと知っていても。

 主君が目指した理想を実現したい者たち。


 現実がそうなら。

 現実に即した生存戦略を立てる者。


 クレインには元々、王子との間にそこまでの親交は無い。

 だから比べるべくもない。

 両者の主張は、最後まで交わることはなかった。


「俺が守りたいものは。アレス王子への義理立てと引き換えにはできない」

「それが、貴方の答えですか」


 彼らの助力でアースガルド領の発展は早まった。

 一時期とは言え、共に働いた仲間でもある。


 クレインとしても、できることなら関係を修復したいとは思っていた。


 だが、彼らは王子への忠義を果たすために。

 北候を殺すためだけに生きる、亡者へとなり下がったのだ。


 だからもう、クレインが掛ける言葉は分かれの台詞セリフしかない。


「……そうだ。俺は平穏な未来を掴み取る。それだけを考えて、進むよ」


 クレインは仇討ちに賛同せず。

 ラグナ侯爵家との同盟を維持すると決めた。


「これが平和な未来を勝ち取るための、唯一の道だ」


 彼がそう言えば、遺臣たちも諦めて。

 ――そして、クレインの横に立つ男に向けて言う。


「……ピーター殿。アースガルド子爵は我らと袂を分かった」

「かくなる上は、子爵から始末するしかない!」


 第一王子勢力の残党が、北候の首を狙っている。

 同盟を維持すると宣言したクレインがその話を知っていれば、残党狩りが本格化するだろう。


 なるほど、ピーターを抱き込んで話を付け。

 味方に戻るつもりがなければ、この場で殺す気だったのか。


 そう理解したクレインの横で。



「ふむ、やはりこうなりました――か。茶番ですな」



 ピーターは、片刃剣の鯉口を切った。



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