「ふわ……さて、皆さん。それではそろそろ、お話ししましょうか」
宣言してからきっかり三時間後。
人を食ったような態度のピーターは、のっそりと体を起こすと。
「まず。当初報告されていた東伯軍は、二万ほどだと聞きますね」
「……それが、何だと?」
「しかし南伯が援軍を送ったと知るや、兵が三万へ増えました。何故でしょう?」
イライラした様子の諸将に向けて、笑顔を振りまいてから。
――現状分析を始めた。
そして唐突に謎かけが始まり、困惑する者。更に怒りを燃やす者。
とまあ反応は様々だが。
上官からの問いなので、何名かは素直に答える。
「南伯が参戦するとなれば、それくらいは当然では?」
「うむ。防衛側が有利なのだから、少しでも兵数を確保しておきたいところだろう」
中隊長たちも武芸者なので、戦争の理くらいは分かる。
しかしピーターは、「全員視野が狭いな」と思いながら呟く。
「ええ。兵を増やすこと、それ自体は自然です」
「だったら何が言いたいんです」
「根本的に、計算が合わないのではないかと」
「け、計算……?」
ここにいる三千の軍には、百人の兵を率いる将が二十五人いる。
残り五百の兵はピーターが率いているが。
何にせよ計算という単語で、真意に気づけた中隊長は五名ほどだ。
「五分の一。まあ、良い方でしょうか」
「あの……大隊長殿、そろそろ種明かしを」
「時期的にも頃合いですからね、そうしましょう」
軍の中にも密偵は潜んでいるだろうし、早い段階で作戦を話すと敵軍に駆けこまれる。
しかしそろそろいいだろう。
今から馬を飛ばしたところで、敵の後続が引き返すことすら間に合わない。
今の段階でこの別動隊を発見するか。
東伯が予め手を打っていない限りは、手遅れだ。
そう判断して、彼は最初から話す。
「アースガルド家から南伯、東伯の本拠地まではどちらも。早馬で十日くらいですか」
「そうですね」
「では南伯軍が参戦すると分かったとして――何故、東伯の軍勢が増えるのですか?」
「あっ」
ヨトゥン家とアースガルド家の間で婚約が発表されると、東伯は即座に兵を挙げる。
だからクレインが事前に約束していた、南伯の駐留軍ですら。ギリギリで配備が間に合ったというくらいだ。
つまりは、ヴァナウート伯爵軍が編成を終えた段階で――兵は三万もいない。
最低でも本拠地を出立してから。
数日進んだ段階で、ヨトゥン家の援軍が間に合ったことを知ったはずだ。
であれば。
「東伯の軍勢のうち、少なくとも一万は東伯の兵ではありません」
軍議の席がざわめくが。
言われてみれば自然なことなので、諸将も納得する。
そして、これに気づいたのはクレインだ。
『どっから出してきたんだよその一万!』
と、急に増えた軍勢に嘆いてから。
出所を調べるために密偵たちを動員していた。
そして東伯の味方に付きそうな勢力を探してみれば。
東伯の影響下にある騎士爵から子爵までの寄子たちは皆、当然東伯の味方だった。
それは前々回の人生までで判明している。
そこで東伯の動きを事前に探らせると、彼らの動きが見えてきた。
東伯軍は先に出立させた早馬に参戦要求を持たせて、兵を補充しながら進軍していたらしい。
中核となる東伯軍は一万の後半であり。
残りはアースガルド家との間にある、手下の貴族家から兵を出させているのが実情だ。
「南伯の動きを東伯が知るには二十日かかるはずです。が、アースガルド家で知った情報を、途中の貴族家が知るだけなら数日で済みます」
だからアースガルド領までの途中に通った領地からは、予定よりも多めの兵を出させてきた。
それが兵力の増えたカラクリだ。
「そうか。南伯の動きを東伯が知ったところで東伯軍は増やせない」
「日数の計算が合わない、か」
勘のいい者は薄々、何が言いたいのかを分かってきたようだが。
取り合えず、ここまでの話に諸将が理解を示した。
ならばと、ピーターは次の段階に入る。
「物資も当然、配下たちに供出させています。だからこそ、あの進軍速度です」
「……なるほど」
食料や武具を積んだ荷車は、動きが酷く遅い。
歩兵の進軍速度は騎兵の半分以下。
荷車は、歩兵の更に半分程度の速さしか出ない。
歩兵が中心の南伯と比べて、倍以上の速さが出るということは。
東伯軍の本隊が歩兵も荷車も、全部置き去りにしているということになる。
その証拠に先ほど――騎兵から四日ほど遅れて――山の近くを、後続部隊の歩兵たちが進軍していた。
「まあ、アースガルド家の戦力を考えれば、騎兵の三万だけで十二分に攻略可能ですからね。むしろ後詰の歩兵を数千も出すだけ、過剰とは思いませんか?」
徹底的にやるつもりのようだが、今回はそれが仇になる。
そう思い、ピーターは微笑む。
「ここから先は予想ですが。東伯軍は兵士が二、三日分の食料だけを身に着けて行進を続け、道中で補給を受けてきた可能性が高いかと」
実のところ、その推測は当たっていた。
東伯軍は手持ちできる分の食料だけを持ち運び、道中では使った分だけを補給しながら進んでいる。
しかし、その話を聞いた配下たちからは当然の疑問が出てきた。
「進軍中はいいとしても、それでは長く戦えませんよ」
「そうです。補給部隊が付いていない状態で交戦を始めれば、二日も持たずに飢え始めます」
嫌がらせの小競り合いではなく、これは本格的な戦争なのだ。
一日や二日ぶつかるために出す兵数ではないので、彼らは混乱していた。
「ええ、ですから」
そこで一度言葉を切ったピーターは、簡易な机の上に地図を広げ。
諸将がそれを見つめる中で、ある一点を指し示す。
「ここからはアースガルド領の占領も見据えて、最も近い場所から武具や食料を運ばせるでしょうね」
最も近い場所。
そう前置きして。
彼はアースガルド家のすぐ北東にある、ヘイムダル男爵領を指した。
「ここからであれば荷車でも四日はかかりません。集積基地は間違いなくここです」
アースガルド家とは特に親交も無いが、敵対しているわけでもない家だ。
そこは東伯の影響圏内でもあるし。
ヘルメス商会が、何故か大量の食料を輸送する動きも確認されている。
そこまで分かれば話は早い。
「そうか、つまり我々の任務は!」
「ええ、その通り」
全員が理解できたと見て。
ピーターはようやく、作戦目標を告げる。
「我々の攻撃目標は男爵領。敵軍の兵糧を、根こそぎ焼き払います」
食料が無ければ、敵は二、三日で戦闘不能になる。
補給基地が消滅すれば、敵は撤退せざるを得ないのだ。
――男爵領に食料が無ければ、その一つ後ろにある騎士爵領に後退するか?
「否! 騎士爵領では歩兵も含めて、四万近い兵を養えない!」
「それなら……勝てる! 勝てるぞ!」
三万五千という大所帯を維持するのは簡単ではない。
補給部隊の人間まで含めれば四万人近い動員が為されているのだから、この補給能力の無さは明確な弱点となる。
敵の補給体制さえ破壊してしまえば。
結果的には、敵をヴァナウート伯爵領まで叩き返すことができるだろう。
そこに気づいた諸将が歓声を上げる中でも。
ピーターはやはり、ゆっくりと話す。
「途中の荷車も全て焼いていきましょうか。……最初の部隊を襲撃してからは、時間との勝負ですなぁ」
砦と森林が燃えて立ち往生している東伯軍は、恐らくそのまま補給を待つだろう。
ここで補給が届かないことを知り。
後方に兵を出すのであれば、三千の兵など全滅する。
だから、速攻だ。
補給に向かう部隊を壊滅させてから。
何人の守備隊が残っているかも分からない男爵領で、できうる限り大暴れする必要がある。
そしてここから先は敵地。
詳細な情報は無く、現場の判断と槍働きで全てが決まる。
「他の部隊も命を懸けています。しかし最も危険で、最も重要度が高く、絶対に失敗のできない任務を授けられたのが……我々です」
一万三千という総兵力の中から、三千という貴重な戦力を割いたのだ。
失敗すれば負ける。
圧し潰されて終わりだ。
そんなことは火を見るよりも明らかだろう。
つまりクレインは、彼らの働きに全てを預けた。
「まさに乾坤一擲、伸るか反るかの大博打。この作戦の成否で、戦の勝敗は決まると見ていい」
別動隊の詳細は、ループをしても分からない。
だからこそ、ここから先に策は無く。彼らの武力次第でしかない。
そして既に、マリウス以外の主だった将は作戦に失敗していた。
そのマリウスですら作戦目標を完全には果たせていないのだから。
ピーター隊が失敗すれば、根本的に作戦の見直しを迫られるところまできている。
クレインとしても、ここは本当に賭けだった。
「お分かりですか? この戦い。勝利の命運を握っているのは我々です」
「それは……責任重大だな」
そう聞けば、諸将も身震いが止まらない。
今までノロノロと進軍してきたのは、今日この時まで体力を温存するためだ。
おかげで脱落兵もいない。
体力に満ちた三千の兵は、今日から全力で走り通すことになるだろう。
「言うまでも無いことですが、改めて宣言をしておきましょうか。……大変お待たせしました」
立ち上がったピーターは剣を抜き放ち。
それを、東の空に向けて言う。
「――今こそ、戦いの時」
自分の腕に絶対の自信を持つ男の、安心感を誘う声だ。
至極落ち着いた声であり、心を揺さぶるような声色ではないはずなのに。
武将たちの闘争心は、激しく奮い立った。
この話を聞いた決死隊は気炎を上げ、士気が最高潮に達したアースガルド軍。
彼らは山を降りてからすぐ、怒涛の進撃を開始する。
「全軍、進め。――全ての荷車を破却しなさい」
歩兵から更に遅れて行進していた輜重隊を発見すると、彼らは即座に攻め寄せた。
これに驚いたのは敵軍の方だ。
「な、なんだ? アースガルド軍!? ど、どこから現れた!」
「この数じゃ勝ち目がない! 逃げろ!」
まさか主戦場から遠く離れた街道で、襲撃を受けるとは思っていなかったらしく。
混乱した彼らは満足に反撃もできず、一方的に追い散らされた。
士気の低い少数の護衛などあっさり蹴散らすことができたので。これでまず、前線の部隊に向かう補給が途絶える。
そして男爵領に攻め入れば、こちらも同様だ。
滅亡寸前の子爵家が逆侵攻してくるなどと、夢にも思っていなかったのだろう。
動揺と混乱で統率の取れていない守備兵、千名を散々に打ち負かすと。
「逃げる敵は追わなくてよろしい。一つ残らず、焼いてしまいなさい」
敗走する敵を無視して、支援物資を探し。
前線へ送る準備をしていたものは全て、根こそぎ焼き払っていった。
ついでとばかりに男爵領の倉庫まで火の海に沈めながら、彼は呟く。
「ふむ。大っぴらに輸送の準備をしている分、分かりやすくて助かりましたが……。なるべく一般人に被害を出すな、ですか? クレイン様は甘いですね」
折角なら男爵領の主要な街を全て焼き払い、侵攻の拠点を失わせた方が安全なのに。
と、ピーターはそう考える傍らで。
「これも、何かの策なのでしょうか」
とも思う。
実際にはクレインが虐殺を嫌っただけで、策ではないが。
しかし、それが分からないとしても。
彼は己がやるべきことをやるだけだと、思考を現実に戻す。
「ま、どの道食糧難で酷いことにはなるでしょうが。多少手心を加えるだけ有情な方ですな」
守備隊は蜘蛛の子を散らしたように逃げて行った。
目前の物資を焼いてしまえば任務完了だ。
しかし。
ここでピーターはふと、更に東の方角を見る。
「男爵領にある兵糧が、敵軍の全てというわけでもないでしょう。もう少し……欲張ってみますか」
騎士爵領にも食料が運び込まれていれば、敵軍の回復は早くなる。
こうなれば徹底的に飢えてもらおうかと考えた彼は、撤退せず。
勢いのまま、兵の進路を東へ取った。
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