弱小領地の生存戦略!

俺の領地が何度繰り返しても滅亡するんだけど。これ、どうしたら助かりますか?
征夷冬将軍ヤマシタ
征夷冬将軍ヤマシタ

55回目 今の人生を生きる

公開日時: 2021年8月14日(土) 17:14
文字数:3,061



「逃げるって、何から」


 クレインがそう聞き返せば。

 マリーは少しおどけた様子で答える。


「領主としての重圧から。お貴族様の義務から。あとは……何でしょうね。まあ、誰も知らない土地へ、二人きりの逃避行というのもロマンチックです」


 陰謀を仕掛けてくる勢力と一切関わらず、ただ時を待っているのだから。

 逃げるというなら、今が逃げを打っている状態に近い。


 しかしここで逃げたいと言えば、彼女だけはどこまでも付いて来てくれるだろう。

 それが分かるからこそ、クレインも迷う。


「駆け落ちってやつか」

「そうです。物語みたいでしょう?」


 本来の人生であと一年や二年が経てば、そのまま結ばれていたかもしれない。

 元々、彼女との間に恋愛感情はあった。


 これだけ辛い思いをしてきたのだから。

 一回くらい、幼馴染の彼女と二人で添い遂げて。


 幸せに一生を終えて、その次の人生で領民を救う道もある。


「何もかも忘れて、逃げる……か」


 己に過去をやり直せる力がある以上。

 どこまで行っても、いつになっても手遅れということはない。


 一度くらい。


 その考えが頭を過ったのは事実だが。

 しかしクレインは、その考えを打ち消した。


「それはそれで、幸せに暮らせそうだ。本当に、心から思うよ」

「でも、そうしないんですよね?」


 微笑むマリーを前にして、何となく手玉に取られているような感覚になったクレインだが。


 全てを投げ払ってでも守りたかったものを置いて、逃げる。

 彼にはその選択肢が選べなかった。


 それでは、今までに払ってきた犠牲に不義理と思ったからだ。


 そこに筋を通すこと。

 前回の人生で彼の配下が言った言葉は、この状況でこそ使われるべきだった。


「ああ。それが俺の、義というやつだろうから」


 初回の人生から、ずっとだ。

 無為に殺されることがあれば、戦いに付き合わせて死なせた領民たちも数知れない。


 今までの数十回を思い返せば。

 毎回、何らかの犠牲を払ってきた。


「逃げるにせよ、全部……やり切ってからだ」


 今も逃げる途上にいるのかもしれないが。

 初回と同じように、何も特別な手を打たないまま過ごし。

 北候の傘下入りだけに挑戦してみる。


 それを試している最中だと思えば、確実に前には進んでいた。


 平和な未来への道があると確認し。

 心に余裕を持ってから、最良の未来に挑んでもいい。

 まだ全てを投げ出したわけではない。


 そう整理ができれば、彼の迷いもいくらかは消える。


「義務というか、今ではそれが……俺のやりたいことなんだ」

「それって、貴族じゃなければできないことですか?」

「ああ、そうだ」


 犠牲にしてきた者たちに報いること。

 殺されてきた領民たちを、太平の未来に連れて行くこと。


 死んだことを、例えクレインしか覚えていなくとも。

 そこを曲げることは彼の矜持が許さなかった。


 そして裏事情を知らないマリーからすれば、彼が何を決意しているのかを知らない。

 ただ、彼に逃げる意思が無いと確認できただけだ。


「頑張りますねぇ」

「なるべく頑張らずに、やり切りたい」


 遠回りであっても、例え失敗しても構わない。

 あらゆる手を試すと決めた。

 それは宰相への宣言通りでもある。


 しかし彼の性根は怠け者だ。

 二度寝や昼寝は好きだし。元は上昇志向など無い、田舎の領主でしかない。

 今の状態は、久方ぶりに見せる素のクレインだった。


 そんな彼を見てマリーは、やれやれと言った様子で呆れている。


「ぐうたらで寝坊助ねぼすけさんなところだけは、相変わらずですか。……今のはちょっと格好良かったのに」


 今までの人生で見聞きしたこと。

 体験したこと。

 考えてきたこと。

 自分や誰かの、発言と行動。


 全ての経験が彼の新しい価値観を作り。今、また新しい人生を歩んでいる。

 それに引きずられ過ぎて、思考がマイナスに陥りがちだったが。


 マリーからの口づけで頭が真っ白になり。

 空っぽの頭で色々考えてみれば、整理はついたらしい。


「恰好をつけ損ねたかな」

「いいですよ。私は別に、カッコいいクレイン様なんて求めてないですし」

「なら、どういう俺だったらいいんだ?」


 先ほどよりも少し余裕のある表情でクレインが聞けば。


 マリーはクレインの横に腰かけると。顔を、にへらと緩めながら言う。



「そのままでいいですよ」



 変わらなければ生き残れないと思っていた。

 だから変われるように努力をしてきた。


 しかし彼女は、変わらないままのクレインでいいと言う。


 その顔が何だか愛しくなり。

 クレインは横に座るマリーの頭を撫でて、手で髪をく。


「ねぇ、クレイン様。ベッドに腰かける女の子の髪に触れるのが、どういう意味を持つのか……知ってますよね?」

「ん? そうだな」


 撫でられているマリーは頬を染めながら聞くが。

 これが恋愛的な親愛表現の一つであることは、クレインも知っている。


「まったく。さっきまで真剣に悩んでいたと思えば、急に口説くんですから」

「何も言っていないけど」

「言う前に行動してますからね」


 初回の人生では二年後くらいに、同じようなことが起きていた。

 しかしその時はお互いに怖気づき、それ以上には発展していない。

 それでも、今回は違う。


「行動って言うなら、こういうことだろ?」

「あっ、もう……。責任は取ってもらいますよ」

「それは取るさ」


 本日何度目かの呆れ顔を見せるマリーだが、これは照れ隠しだ。

 クレインもそう判断して、仰向けに寝転んだ彼女の顔を覗き込む。


「まあ、意外と義理堅いクレイン様の性格を考えれば、領主の立場から逃げるわけないと思ってましたけどね」


 アストリに対する浮気になるかとも思うクレインだが、彼女は浮気に対して特に思うところは無いらしい。


 マリーを第二夫人にしても、仲良くやっていけるだろう。

 本人もマリーなら歓迎すると言っていたし、お願いしてみようか。


 などと。

 このままでは結ばれることが無いと知りつつ、言い訳を探している自分に気づき。

 彼女に関しては全く吹っ切れていないなと自覚しながら。


 それでも、決して裏切らず。

 自分のことを考えてくれて。

 献身的に支えてくれる女性が目の前にいる。


「こういうことは、いけないと思うんだけどな」

「今さらですよ。ここで逃げたら一生チキン野郎と罵ってあげます」

「それは勘弁してくれ」


 クレインは自分が精神的に、かなり不安定な状況にあることは自覚があった。


 違う道を試すと言いつつ。

 前の人生で起きた事件のことばかり考えていた。


 このまま平和が訪れたらどうするという考えよりも、前の人生でどうしていたらよかったのか。

 そればかりを考えて月日は流れていたのだ。


 しかしこのやり取りで、いくらかは吹っ切れている。


 クレインに記憶が残り続ける以上、無かったことにはできないとしても。

 マリーから見れば少しは顔色が晴れたように見えていた。


 彼女は仰向けに倒れたまま。

 少し照れた様子で、クレインの頭を撫で返して言う。



「……ええと。たまにはこうやって甘やかして、現実から逃がしてあげますので」



 彼女の目にはクレインしか見えていない。

 彼の前には、クレインという一人の人間を見ている者がいる。


 自分のことを心から心配して。

 自分のことだけを考えて、愛してくれる女性がいるのだから。



「だから……ね? こうしている間は、私のことだけ考えてください」



 今、彼女のこと以外に意識を向けるのは。それはそれで誠実ではない。

 内心でそんな言い訳をしながら。


 前の人生でのトラウマを忘れることはできないにしても。

 クレインは、今の人生を生きることを考え始めた。


 過去に払った犠牲と。

 不義理と。

 失敗の数々から目を背けることになるかもしれないが。


 今だけは何も考えないようにして。

 今度はクレインの方から、口を重ねにいった。



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