「ようこそお越しくださいました、クレイン様」
「忙しそうだな。儲けているようで何よりだよ」
「まあまあ、貧乏暇なしというやつです」
トレックに「会合の前に会いたい」という連絡を入れてから二日後。
クレインはスルーズ商会のアースガルド領本店を訪れていた。
今日は毒殺事件の前日になる。
都合の合う日を教えてくれという文面を受け取ったトレックは、午後の予定が丸々空いている日を提案。
少し待たされる形にはなったものの、秘密の会合は実現した。
『お貴族様との関係を最優先にしよう!』
という商人は多いのだが。
取引先との先約をキッチリと守るところも、クレインが彼を気に入っている理由だった。
それはさておき、これからの話は重要だ。
下手を討てないので、クレインは思考を現実に戻す。
「大事な話があるんだ。まずは人払いを頼む」
「大事な話ですか? 分かりました。奥へどうぞ」
それなりに大きな店の二階に上がって、彼は一番奥の部屋へ通された。
茶を淹れた後はクレインとトレックの貸し切りとなり、二人は高級そうなソファの上に腰かける。
「それで……お話というのは?」
「ああ、サーガ商会とヘルメス商会のことについて知りたくてな」
「私が知る情報でよろしければ、いくらでもお話ししますよ」
そう言うトレックの口から出てきたものは、クレインも知っているものばかりだ。
サーガ商会は財政が苦しいだとか。
ヘルメス商会は王都で最も大きな商会だとか。
毒にも薬にもならないような話である。
基礎知識の確認がてらに聞いていたクレインだが。
十分ほど話を聞いてから、いよいよ本題に切り出していく。
「世間的には、今聞いた話が全てだろうが。……もっと商人的な裏話を聞きたいな」
「と、言いますと?」
「どこの貴族と繋がりがあるか、とか。後ろ盾になるような人物がいるか、とか」
商会の集まりを足掛かりにして、他の貴族と繋がりを持っていきたいのだろう。
そう考えたトレックは。
別に隠すことでもないので、何気なく言う。
「サーガ商会は東伯くらいでしょうか? ヘルメス商会は色々な家と懇意にしていますが……最近では北侯とよく取引をしているそうです」
東伯とはヴァナウート伯爵、北候とはラグナ侯爵のことだ。
つまりサーガ商会はロリコン伯爵との関係が深く。
ヘルメス商会は因縁の仇敵である、ラグナ侯爵家と繋がりを深めているらしい。
と、情報を頭で処理したクレインは。
まず動きを止めて。
「え、あ、ああ。うん、そうか」
数秒してから、途轍もないぎこちない返答をトレックに返した。
「他には……っと、どうされましたか?」
「いやいや何でもないんだ、続けてくれ」
何気なく聞いたクレインは度肝を抜かれ。
何気なく言ったトレックはきょとんとしている。
その後も色々な家との逸話が出てきたのだが、クレインはもう気が気ではない。
第一王子やブリュンヒルデがやったことと言えば、領主の殺害だけだ。
クレインが政治的に邪魔だから頭を挿げ替えた。というだけの話になる。
しかし東伯と北候は違う。
東伯は「狙っていた少女との間に婚約を結んだ」という理由を掲げて、クレインどころか領地ごと滅ぼしてきたし。
ラグナ侯爵家は「飛び地の間にあるアースガルド領が邪魔」という理由を付けて、街を焼き払い、人々を皆殺しにしたのである。
今は乱世で誰も彼も危険人物だが。
厄介な人物のツートップと関わりがあるというだけでも、クレインの警戒心はマックスだった。
そんな背景を持つ商会が暗殺まで企ててきたのだから、もう数え役満だ。
「ああ、そういうことね。はは……」
ヘルメス商会に忍び込もうとしたクレインを、ブリュンヒルデが殺害しにきた理由も――何となく見えてきた。
未来の世界で、ラグナ侯爵家には黒い噂が山ほどあった。
麻薬や、違法な奴隷売買に手を出しているという噂が広まっていたのだ。
そんな侯爵家と、仲良くしている大手の商会がいたらどうだろう。
少しつつけば、後ろ暗い取引の一つや二つや三つや四つ、いくらでも出てくるはずだ。
クレインがヘルメス商会へ不用意に乱入すると、ラグナ家との闇取引の証拠を速攻で消しかねないし。
一度警戒されてしまえば恐らく次は無いのだ。
第一王子から見れば、ここでの動きは今後に大きく関わるだろう。
片や、クレインを味方にすることで手に入る影響力。
片や、クレインの行動によって失われるラグナ侯爵家への攻撃機会。
この二つを天秤にかけた時、不利益の方が勝ると判断した。
だからブリュンヒルデは未然に殺害を実行した、ということだろう。
全てが綺麗に繋がったことで。
いや、繋がってしまったことで、クレインは追い詰められた気分になっていた。
「ああ、そうか、なるほどね」
「……あの、大丈夫ですか?」
「何でもない。急に面会の予定を入れて悪かったな。今日はこれで失礼す――」
立ち上がろうとしたクレインの手を、がっしりと掴み。
驚きで動きが止まった彼に目を合わせながら、トレックは力強い眼差しを向けた。
「クレイン様。顔色が悪くなったのは、商会と繋がりのある家を聞いた直後からですね」
「え、あ、いや……」
「隠さなくても結構です。その様子を見れば、何かのっぴきならない事情があることも分かります」
そう言うなり。
トレックは手を放してから、深々と頭を下げた。
「クレイン様のお声がけが無ければ、私は商会を潰し、部下を路頭に迷わせるところでした。……私は、貴方に恩があります」
「ト、トレック……?」
「何かご事情があるのなら、遠慮なく巻き込んでください」
そこまで直球で来られると、クレインとしても言葉に詰まる。
確かに未来では、あっさりと商会が潰れてラグナ侯爵家に乗っ取られた。
今の時点で新規事業の利権に噛ませても、再起ができるかどうかはギリギリのところだったのだ。
スルーズ商会が一番危ないと知っていたクレインは、第一王子経由ですぐに声をかけさせて――結果としてわずか数か月で復権した。
元々の身代が大きかった分、サーガ商会などあっさり抜いてしまったくらいだ。
「命の次に大事な、商会を救われた恩があるんです。何か困りごとがあるなら、私も動きますよ」
何もしなければ没落の一途を辿っていたはずの商会が、クレインの助力で再び表舞台に引き揚げられた。
そう語るトレックの目は真剣そのものだ。情熱の炎すら見えるようだった。
「……なぁ。厄介な案件だって、分かってるだろ?」
驚いたクレインではあるが。
恩を果たすという姿勢に、嘘は見えなかったらしい。
「だからこそです。簡単に解決できる問題へ手を貸したとして、恩は返しきれませんので」
「……お人よしだな」
「利息がつくのが嫌なんですよ」
軽口を叩いているが、要するに目の前の優男は甘ちゃんだった。
部下を切り捨てられない。取引先が困っていたら助けたい。
そんな義理人情こそが、トレック・スルーズの弱点だ。
彼の周りを狙い撃ちするだけで、彼の力を削ることができ、あっさりと叩き潰せるのだ。
それは倒しやすいだろう。
そんなだから、ラグナ侯爵家の汚い謀略にあっさりと負けるんだ。
などと呆れる一方で。
この一本気なところもまた、クレインがトレックを気に入った理由の一つだった。
輪廻のことはもちろん話せない。
話せるのは今、目の前にある事実のことだけでも――それですら命の危険が及ぶ、危ない橋だ。
「話したら、後戻りはできない。分かってるな?」
「ええ。元より覚悟で」
「はぁ……分かったよ、それなら全部話す。ただし後悔するんじゃないぞ」
軽い頼み事を引き受けるように、ごくあっさりと。
平然とリスクを受け入れたトレックに対して、クレインはもう溜息しか出なかった。
「最後まで話すんだからお前も俺のお抱えで。もう一蓮托生だ」
「光栄です。……ああ、こうなれば私も、クレイン様の家臣のようなものですね」
「はは、違いない」
こうしてクレインは、先代の頃から屋敷に仕えていた人間以外の部下。
自分に忠誠を誓う、初めての配下を得た。
一つ違うとすれば、田舎の純朴な雰囲気で生きてきた屋敷の人間とは違い。陰謀が渦巻く王都で戦って来たトレックには、裏方のことも相談できるという点だ。
寄って来る人間の誰もが疑わしく見える中で、初めて信頼できそうな人物が現れたのだ。
トレックと握手を交わしたクレインは。
ずっと感じていた胃の重みが、少しだけ軽くなったような気がしていた。
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