「ああ、いや。戦いそのものは有利なんだぁ。ただ、補給が滞っているようで」
「……補給が、か」
南伯に喧嘩を売るような真似をして、南での商売を縮小させたヘルメス商会だが。
現在は東と北へ注力しているようだった。
それは密偵を使うまでも無く分かるほど、公然と進めている商売戦略だ。
「普通に考えれば、北侯のお膝元に戻ったと見るべきだけど。まさか西ともバランスを取ろうとしているのか?」
密偵が北、南、東の動向は多少掴んでいるとしても。
王都を挟んだ反対側。
西の販路がどうなっているのかはクレインにも分からない。
もしかすると西にも利権を多数抱えていて。
東が潰れたら困るのと、同じような状況になっている可能性がある。
西も現状維持ができるように、わざと北侯の足を引っ張っているのだろうか。
そんな推測しつつ、クレインは茶をすすりながらトムからの続きを待つ。
「ヘルメス商会の輸送力を考えれば、北侯の全軍……二十万人分の物資も、賄えるはずなんだけどなぁ」
一方のトムは、少し間を置いてからのんびりと切り出した。
しかし確かにそうだ。
ヘルメス商会の力を考えれば、能力が不足するわけがない。
そう思ったクレインは重ねて聞く。
「現実問題、どうなっているんだ?」
「どうも、人事異動やら何やらで、責任者が各地に散ったそうですわ。馴染みの店主も東へ異動したとか聞いたなぁ。……左遷されるような人じゃなかったのに」
輸送能力が足りなくなる原因があるのか。
それとも手を抜いているのか。
結果としては、上からの決定で強制的に前者ということになっている。
その判断ができるのは商会長のジャン・ヘルメスだけだ。
クレインの脳裏に浮かぶのは、表向きは人のいい笑顔を浮かべつつ。
金の力で数多の人間を破滅させる、醜悪な裏の顔を持つ老人の姿だった。
毒殺未遂以降アースガルド領では見かけていないし。
クレインとしても、できれば二度と会いたくない人物ではあるのだが。不穏な動きには違いない。
「この時期に配置転換だと? あのジジイ、一体何を考えている」
「さあ、そこまでは聞けませんで」
ここで、今までにあったヘルメス商会の動きを振り返ってはみた。
が、クレインには彼らの狙いがさっぱり分からない。
アースガルド家に多額の出資をしながら、暗殺を企んだり。
南側では南伯に圧力をかけて、東伯の縁談を援助したりもしていた。
王都での敵対買収は未だに動きがあるようでもある。
そこまではまだいい。
北から東へ一大勢力を築き。ラグナ侯爵家が王都の商会を乗っ取ったところに便乗して。
中央でも、空いた産業をかっさらうという動きに見える。
南を捨てることになったとは言えど。
北、中央、東、その全ての行商路を独占できると考えれば得はしていただろう。
サーガ商会も北との輸送に使う約束で飼い殺しにされていたので。
そこまでなら、クレインにも理解できた。
「でも、よく考えてみれば全方位を裏切ってんだよな、あの商会」
しかしクレインが状況を考えてみたとき、例の商会は滅茶苦茶な動きをしているように思えた。
まず懇意だと言う北侯を裏切り、西侯への利敵行為をしていること。
「あの商会、西侯からすれば敵対陣営だろ?」
「まあそうなるわなぁ」
次に東伯の御用商であるサーガ商会を潰したこと。
販路を乗っ取った時点で、東伯への敵対行動となるだろうと判断した。
一時期とはいえ東方面へ経済的な打撃を与えているので、これは東侯も不利益を被ることになる。
「サーガ商会に喧嘩を売った時点で、東伯や東侯とも敵対しそうなものだが」
クレインから見れば、大勢力へ片っ端から喧嘩を売っているようにも見えた。
それでも何か利益につながり。別な目的の基に動いているのだろうかと、彼は真面目に考える。
しかし情報は足りず、目的は見えてこない。
「まさかその分の点数稼ぎにアスティの縁談を進めていたのか? いやいや。仮にそうだとして、北侯を裏切るのは何なんだ……」
ついでに言えばアースガルドから東へ物資を運び。
今回の戦争でも東側勢力を応援して、戦力を拮抗させようとしている。
それでも一部の物資はアースガルド家に卸していたので、真正面から敵対していたわけでもない。
敵を援助するのとは別に、しっかりと子爵領にも利益がある行動はしている。
「全国に拠点がありますからねぇ。むしろ戦争なんてさせん方が儲かるんでは?」
「あの商会は武具も扱うだろ?」
「ああ、戦争特需ってやつもあるんですかね」
クレインからすれば、意味不明な動きでしかなかった。
何でも扱う国一番の商会が。
どの勢力にも等しく、害と利益をばら撒いているようにしか見えなかったらしい。
「……ダメだ、意味が分からない。そういう生存戦略なのか? ヘルメス商会の規模でやることではないと思うんだが」
確かに多少の不利益を被ったところで、どこの勢力も無下にはできないだろう。
しかし、限度がある。
現に南伯は流通を差し止められて以降、ヘルメス商会との取引は断っている。
今のところは上手く回っているとしても、近い未来で破綻するだろう。
どっちつかずの動きをし続ければ、そのうち破滅する。
そのうち大勢力の全部を敵に回す未来すらあり得るのだ。
目的に見当が付かず、彼の胸中には不快感ばかりが広がっていた。
「まあ、ヘルメス商会は置いといて。北侯は本当に評判が悪いようで」
そして、クレインの顔が曇ったのを見て。
トムは多少強引にでも話題を変えることにしたらしい。
「……何をやらかしたんだ、北侯は」
「ええと、まあ色々ですが」
ヘルメス商会の意味不明な動きに混乱していたクレインだが、話を聞けば更にげんなりしてきた。
ラグナ侯爵家が麻薬の密売事業で儲けているとか。
王都の商会を潰しにかかっているとか。
西側で反抗した貴族の娘を拐い、どこぞへ売り飛ばしたとか。
そんな話がポロポロ、トムの口から出てきたのだ。
「アースガルド家と縁深い、スルーズ商会とか、ヘルモーズ商会。ブラギ商会とかには手を出していないようだけどなぁ」
「そうか」
その点を除けば。北侯は本来と全く同じ動きをしている。
そう判断したクレインは、むしろ安心したらしい。
今では味方なので、悪評を立てられても良いことは何一つ無い。
しかしイレギュラーだらけの中でも、そこだけは彼の予定通りと言えた。
まあ、ここまでくれば未来知識がどこで役に立つかも分からないので。
クレインはトムが仕入れてきた北侯の悪評を、二十分ほど聞き続けた。
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