防衛側二千対、攻撃側二万四千。
アースガルド軍が完全に劣勢の中で、戦いは始まった。
順当にいけば数十分もせずに終了する戦いだが。
しかし実際には、一瞬で勝負が決まる。
「隊長! こっちに敵が来てます!」
「五番隊は南に応援、六番隊は待機だ! 怪我した奴は早めに退け!」
勝負の時刻は毎回変わってくるし、初回はここでもう失敗していた。
その一瞬がいつ来るかと、十五分待ち。
城壁に手を掛ける敵兵が増えた。
「隊長! そろそろ突破されるかも!」
「焦んな! 丁寧に射ろ!」
その後、十分ほど待ち。
そろそろ壁を乗り越えられるか、という窮地に至ってようやく――時は来る。
ここで失敗すればその時点で敗北だ。
砦の北側。
断崖絶壁の急斜面の方角から、敵の襲来を告げる叫び声が聞こえた。
「ハンス様! 北側の崖より、騎馬隊が駆け下りてきました!」
「お、おお!? 本当に来たのか!」
それは誰も予想できない場所からの奇襲だ。
砦への侵攻をグレアム隊が食い止めている隙に、敵は別動隊を動かしてきた。
空から降って来るような動きをして。
敵兵が、騎乗したまま崖を駆け下りている。
敵がその戦法を取ると事前に言い含められていたハンスですら、目を疑うような光景だった。
「本当に東伯が来ただけでも驚きなのに。ここまで先読みされると怖いものがありますね」
「う、うむ。何がどうなったら、こんなものを予想できるのか」
人馬一体の動きで、転げ落ちそうな急斜面を駆け下りてくる騎馬たち。
彼らはヴァナウート伯爵家の中でも選りすぐりの精鋭であり、戦局を変えるほどの力を持っている者たちだ。
彼らが駆け下りる斜面の先にはもちろん、クレインたちが籠城している砦がある。
二度目の防衛戦では、予想外の奇襲部隊に蹂躙され。
三度目の防衛戦では、奇襲部隊への備えが足りずに突破された。
単純な武力で言えば、アースガルド家の兵など圧倒できる――東伯軍の最大戦力がここに投入されている。
「配置につけ! 絶対に通すなよ!」
「私まで引っ張り出されるとは……はは、鉄火場ですね。本当に」
敵が駆け下りてくる空間を半包囲するように、ハンス率いる三百の部下が並び。
そこを目掛けて、敵が怒涛の如く攻め寄せてくる。
しかしもっと細かく言えば、騎馬が降りてくる場所の周辺には倉庫が並んでおり。
そこにはトレックが運び込んでいた物資の山がある。
「ではハンス殿、死ぬ気で守ってくださいね」
「う、うむ。やるしかあるまい。……大丈夫だ。ここにいるのは皆、一騎当千」
部下の武勇頼りという情けない構えではあるが、陣形は完成している。
これなら何とか敵を食い止められるだろうと自分に言い聞かせて、ハンスは必死で落ち着こうとしていた。
背後にはトレックと五十名の弓隊がいるものの、まだ矢は番えていない。
天から降ってきた騎馬の五騎に一騎は、着地に失敗して動けなくなっていたが。
それでも残る八百ほどの騎馬は健在た。
着地した者から順に、次々と襲撃を始める。
「そ、総員! 迎撃用意!!」
一斉には降りてこられないため。
最初は防衛隊三百対、五十ほどの騎馬が矛を交える。
それが数十秒も経てば三百対、二百ほどの戦場へと変わり。
いつの間にやら、爆発的に敵が増えていく。
「そろそろ逆転されるぞ! ま、まだか!」
「こういうのはね、釣りと一緒なんです。焦ると大魚を逃しますよ」
「……トレック殿も、大物だな」
一番戦闘力の低い男が一番落ち着いているのは奇妙な絵だったが。
何はともあれ、降りてきた騎馬が半分を超えた辺りで。
派手な兜を付けた男が、見事な体躯の馬に乗って躍り出てきた。
「雑魚に興味は無い! アースガルド子爵はどこにいる!!」
威風堂々。
歴戦の騎馬隊を率いる長が出陣した。
別動隊の大将。
誰の目にも強敵が出現したと分かる。
強敵が出現し、いよいよ敵軍の攻勢が強まりそうになった瞬間。トレックは動く。
「今です! 装填! ……撃ぇ!」
「や、やっとか!」
彼の合図と共に。
物資の集積所に向けて一斉に火矢が放たれた。
「なっ、こ、これは――――!?」
例えるなら、シュゴゴゴゴゴ! という音が何百と連鎖して赤い道を作っていき。
放たれた火矢は、その全てが数秒で松明としての役目を終える。
そして。それらは「暖を取るため」という名目で必要以上に集められた、大量の油へと引火して。
たちまち、周囲は大炎上した。
「うわっ、ぎゃあぁああああ!?」
「ぐおぁぁあああああ!!」
「お、おい! 押すな! 降りて来るな! ああ、ぁあああああ!?」
火は瞬く間に燃え広がり、所々で小規模な爆発が起きている。
辺りに積まれた物資だけに留まらず、砦にも一瞬で火は燃え移り。
半包囲されて崖側にいた東伯の精鋭部隊は、一瞬で火の海に消えた。
火炎地獄に飲まれては、どれだけ武勇があっても関係ない。
天まで焦がす火柱は、強い者も弱い者も、ただ平等に焼き殺すだけだ。
そして火炎は北側の外壁を伝い、伯爵軍が攻め寄せる東側へ走っていく。
「導火を切らさないように! 油壺、投擲開始!」
「な、何とかなったか……」
小屋も砦の壁も集積した物資もお構いなしだ。
トレックが指揮する兵士たちは、手当たり次第に全て燃やしていく。
砦の北から起きた火災が、東西に広がり。
やがて中央付近にまで火は燃え移り始めていた。
防衛隊に大した損害を出すことも無く、奇襲の兵を退けることには成功したのだ。
「と言っても、未だに敵が二万以上いるのは変わらないわけですが」
北側の奇襲は、兵力以外の手段で防ぎ切ることができた。
しかし、ここで倒せたのは八百ほどだ。
数で言えば、全軍の三パーセントほどでしかない。
まだまだ先は長いなとため息を吐く横で、トレックに与えられた部下たちは火災を広げていく。
「……なあ、トレック殿。役目は済んだし、そろそろ撤退しないか?」
「手持ちが切れたら順次撤退ということで。ハンス殿も投げてください」
「う、うむ」
この後すぐに手持ちの油が切れたことで、彼らは真っ先に撤退を始めた。
主君であるクレインよりも先に逃走したのだが。
ここまでは彼の作戦通りに全てが進んでいる。
◇
砦の北側から火の手が上がり、敵軍が壊滅した。
そうすると、次は再びグレアムの番がやってくる。
「き、北側に火をかけられたぞ! もうダメだ! 全軍撤退だぁ!」
動揺した身振りから、焦ってひっくり返ったような声まで。
彼の反応は全て演技だ。
しかし敵も、ほとんどの味方もそうは思わない。
グレアムという総指揮官の口から出てきた言葉を素直に信じた。
特に敵兵はほぼ全員、ヴァナウート伯爵家の奇襲部隊が火をかけたと思い込んでいたのだが。
これが演技だと知っているのは、味方でも一部の隊長クラスだけである。
「子爵様をお守りしろ! 砦は捨てる!」
「撤退だ! 遅れるな!」
まだ砦の内部にまでは侵入されていなかったので、彼らが撤退する際に追撃は受けずに済む。
最速で引き上げた彼らは、一目散にクレインのところまで駆け寄り。
「作戦完了したぜ!」
「よし、ならこちらも始めるとするか」
先に逃げたハンス達の部隊にも、今まさに逃走しようとしているグレアムの部隊にも。アースガルド家にしては珍しく、全員分の騎馬が西側に用意されていた。
数の関係で二人乗りをする者もいるが、そちらは真っ先に脱出している。
最初から、ここで逃げることは確定事項なのだ。
「……大将、死ぬなよ?」
「死なないよ。任せておけって」
グレアムは最後に一度振り返り、真剣な顔でクレインに言ったのだが。
クレインはこの土壇場でも、余裕の表情を崩さなかった。
武力はそれほどない主君だが、肝っ玉だけは一級品だ。
それを確認してグレアムは西へ向き直る。
「遅れたり、転んだりしたら死ぬぞ! 後続は全員、慌てず俺に付いてこい!」
兵たちは誰もが、西へ続く街道を走る。
そして。味方の兵士たちが我先にと砦から脱出しようとする中で、総大将が前に出た。
そしてクレインは、砦内に侵入してきた敵兵に向けて叫ぶ。
「いたぞぉぉぉおおおお!! クレイン・フォン・アースガルドだぁあああ!!」
夜襲を受けて敗走する軍。
その中に、ロクに護衛も付けられていない大将首があったのだ。
彼を討てば一番の武功が得られることは間違いなく。
クレインの姿を認めた敵兵は、目の色を変えた。
「何度見ても怖いな、あれは。……よし、頼むぞスウェン」
愛馬を駆り、逃走していくクレインに向けて――敵が殺到する。
防壁を乗り越えた兵が閂を外したようで、騎兵たちも続々と突入してきた。
その全てが、クレインの首を狙っているのだ。
「さ、馬術は奴らの方が上だ。気合を入れないとな」
そう呟きながら、彼はアースガルド領へ続く道を敗走していった。
――――――――――――――――――――――――
敵が仕掛けてきたのは、「鵯越の逆落とし」のようなものです。
別動隊の部隊長にすら源義経レベルの人材がいると考えたら、東伯軍の層の厚さが分かるでしょうか。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!