「クレイン様。緊急のご報告がございます」
「聞こうか」
音も無くクレインの部屋に忍び込んできた男。
名前はマリウスという。
彼は先日から続く仕官ラッシュにおいて、唯一「知的そう」という評価が下された男だ。
知略に長けるという触れ込みそのままで、クレインの命を受けた彼は頭脳労働を担当していたのだが。
目下、彼の仕事の大部分は諜報。つまりはスパイの管理である。
トレック率いるスルーズ商会と協力しながら、密偵を通じて各地の噂話や貴族の動きを拾い上げているところだった。
「で、何があった?」
「小貴族連合に動きあり。近いうちに、戦が起きる可能性がございます」
「……そうか」
そう言ってマリウスが提出したのは、麦を始めとした食料の価格が高騰しているというデータだ。
「貧民救済のため、というわけではないんだよな?」
「貧民を集めておりますが……徴兵のようです。どの領地でも大規模に集めています」
戦争の前には兵糧――兵士たちに食わせる食料――を追加で買い込む。だから何でもない時期に大きな値動きがあれば、不穏と言わざるを得なかった。
しかも徴兵の動きまであるのだから、マリウスも確信を持って報告していた。
「分かった。引き続き調べを続けてくれ」
「承知致しました」
手短に用件を伝えてから、マリウスはすぐにクレインの寝室を去っていく。
彼自身が諜報員というわけではなく、別に、普通に報告すればいい内容でもあるのだが。
誰にも発見されまいと、俊敏な動きで退室していった。
「マリーに誤解されたくないからな」
夜中に、こっそりと領主の寝室に入っていく、顔立ちよく知的そうな男。
実際には秘密の報告をしているだけなのだが。
下手をするとそういう関係を疑われかねないという理由から、誰にも見つからないことを厳命していたクレインであった。
まあ、余人を介さず領主と一対一で話せるというのは、重用されている証になる。
仮にマリウスが暗殺を企めば、護衛も付けていないクレインを殺害することは容易なので。
マリウスは「新参の自分をここまで信頼してくれるとは」と、ランドルフ一歩手前くらいの忠義を持って働いていた。
そんな副産物に気づいてか気づかずか、報告書を精査したクレインは溜息を吐く。
「さてどうするか。これは流石に予想していなかった」
この不景気に軍を興す余裕があるのか。
そうツッコミたいクレインだが、戦争の目的としては色々考えられる。
まず、口減らしだ。
戦争で貧民をすり潰し、食料の消費を抑えること。
そうすれば、来年の収穫で安定を取り戻せるだろう。
次に、不満の矛先を逸らすこと。
外敵を作り団結することで、失策への不満や生活の不満を他領になすりつけることができる。
貧しい順に徴兵していけば、暴動や反乱の予防にもなる。
最後に、略奪だ。
一般兵への褒美は、略奪の許可という形で下されるのだが。
見方を変えれば兵や市民への給料を、他人の財布から支払おうとしているとも見える。
そしてこれらを全部ひっくるめた時。
戦争を仕掛けるのに、びっくりするほど最適な相手がいるではないか。
「……どう考えても、標的はウチだよな」
外から見たアースガルド領はどんなところか?
食料に全く困っておらず。
財貨が山のようにあり。
小貴族たちのすぐ傍にいる。
――あまり怖くない、中堅の勢力だ。
外敵を作り団結するという動きを、小貴族同士で行うのではなく。
小貴族たちが連合するための敵として、アースガルド家を選ぶという道がある。
「そりゃそうだよ。仮想敵として選ぶなら、ウチほど最適なところもない」
放っておけば餓死させてしまう貧民に攻め込ませて、勝てたら最高だ。
銀山を持っているのだから賠償金は踏んだくれるし。
持っている財産が多いのに、兵力はそこまで多くもない。
「ローリスク・ハイリターンってやつだよな。……しかし、戦いの名目はどうする気なんだろう」
伯爵や侯爵のような高位貴族なら、宮廷のツテやワイロで黙らせることはできるだろう。
しかし、平民と貴族の間にいるような弱小勢力たちに、そのような力はない。
そもそも食料難と経済危機から戦争を起こそうとしているのだから、ワイロを贈る余裕すらないだろうとクレインは首をひねっていた。
「気にはなるが、出方次第か。……軍備を急ごう」
収穫の終わった秋ではなく、春先に動きがあったのだ。
つまり畑をほったらかしにして出陣してくるのだから、今年の糧は略奪でどうにかする気なのだろう。
敵は大規模な山賊とも言えるが。
何はともあれ、撃退しなければいけない。
そう考えたクレインの元に開戦の通知が届いたのは、これから一か月後のことになる。
☆
「当家の衛兵隊五十名を虐殺したこと、断じて許し難し。義によって、悪逆無道の子爵家に対し宣戦を布告する!」
そんな内容の手紙が届き、通知を持ってきた使者は正統性をアピールしてきた。
「……それって、アレか。何か月か前に領内で暴れようとしていた、盗賊団」
が、当のクレインは呆れ顔である。
「盗賊団? 言い逃れはやめてもらおう。我が領で略奪を働き、領民を守ろうとした勇士たちを殺害したのは、そちらではないか!」
完全に言いがかりである。
クレインは領内に侵入してきた盗賊を討伐させたが、攻め入った事実はもちろんない。
大規模山賊団が他家の兵士であったことを、今知ったくらいだ。
――というよりも、ベテラン兵をそんな任務に宛てるわけがない。
捨て駒にされたのはおそらく、徴兵された貧民だろうなと予想しつつ、クレインは聞く。
「……そちらに、五十名もの衛兵を出動させる兵力があるのか?」
「尚武の気風がある当家では、当然それくらいは抱えている」
小貴族の中で一番規模が大きいところでも、衛兵は二百がいいところだろう。
領地の規模によっては、五十人に届かないところもある。
それを踏まえた上で、クレインは重ねて聞いた。
「そうか。……それなら、どうして五十人も出動したんだ?」
アースガルド家から出撃した衛兵は百名もいない。
そしてアースガルド領から一番近い小貴族の村には三百人ほどが住んでいるし、村は柵や堀で囲われている。
最悪の場合は防衛設備を活かして、村人だけで何とかなる数だ。
「アースガルド家からの侵略に対抗するために、万全の備えをしたのだ!」
使者の言い分を信じるならば「ベテラン兵の大半を辺境の村に派遣した」ということだが、本格的な戦争でもなければ出せない数だし。
小貴族たちはいつでも小競り合いをしているので、そんな簡単に主力を投入すれば、確実に背後を突かれる。
状況としてはかなり不自然だ。
クレインが当然の疑問を口にすれば、使者は高圧的な態度で話を続けて。
普通の主張でダメならと、彼は客観的な事実を口にする。
「侵略とは言うが、どの地域に対してだ。当家の版図はここ二百年、まるで変化が無いのだが」
「そちらの意図など知らんよ。おおかた、略奪で満足したのであろうが」
これには横で話を聞いていたクラウスやハンスはおろか、ブリュンヒルデまで呆れ顔だ。
アースガルド家は、略奪をする暇があるなら内政をしていた方が儲けられる。
そんなことは誰の目にも明らかだ。
しかし無理筋な主張だろうと。
使者は自信満々に。
尊大な態度でふんぞり返っていた。
「……侵略とは言うが、兵を越境させたことは無いし。まずその衛兵隊とやらに、うちの村が焼き討ちされたんだが」
「そのような事実はない。全てはアースガルド家が仕掛けた陰謀であり、我々はこの仕打ちに対抗するべく兵を挙げるのだ」
連合を組めば勝てると踏んでいる彼らは、もう名目など気にしていないようだった。
言いがかりでも何でも、滅ぼしてしまえば関係無いと踏んだのだろうか。
相手の意図をそう判断したクレインは、ぶっきらぼうに言う。
「はぁ……滅茶苦茶な主張だな。賠償金を要求とかでもなく、戦争で全部奪ってやろうというところが特に」
「そのような卑しい発想が出てくるのは、貴殿が常日頃からそう考えているからであろう。当家は義によって軍を興し、正しいからこそ、これだけの家が味方になったのだ」
おこぼれに与かろうとする家は、実に八家になったらしい。
言い換えれば小貴族の全員である。
各家が五百から千ほどの兵を出すというので、総兵力は六千ほどになるだろうか。
戦いは、基本的に防御側が有利だ。
アースガルド家は儲かっているので装備も充実しているし、武芸者たちも大勢いる。
(彼らが出せる数はアースガルド家の兵力と互角だというのに、この自信はどこから来ているのだろう。
……まさか、何か秘策でもあるのか?)
警戒するクレインだが、ここに至っては考えても仕方がない。
仮に秘策があったとして。やり直して、秘策を潰してしまえば怖くもない。
そう考えて、彼はあっさりと申し出を了承する。
「承知した。尚武の気風とやらがあるなら、これ以上語っても無駄だろう。あとは戦場で決着を付けるとしよう」
「なっ!? ……くっ、その言葉、忘れるな!」
最後に使者が意外そうな顔をしたところを見れば、脅して賠償金を踏んだくろうという腹もあったのだろう。
あっさりと受けて立ったクレインに、使者は苦い表情をしているが。
「さあ、者共。戦だ」
「応!!」
「腕が鳴りますなぁ」
「武功を上げる時だ!!」
アースガルド家に来て日が浅い武人たちは、早速手柄を上げようと意気込んでいる。
無理な題目で攻めてくる、やる気の無い軍。
そんなものは蹴散らしてやると言わんばかりに、彼らは気炎を上げていた。
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