「軍人は、目の前の敵を倒すだけだ」
硬い顔をしたランドルフは、ぶっきらぼうに言ってから酒を注ぎ、クレインから目線を外しながら続ける。
「どう戦うかを考えるのが役割であり。戦う理由を考えるのは、主君の領分になる」
「何も知らないままに、戦うと?」
「そうだ。俺には槍働きしかできない」
あくまで担当するのは戦術であり、戦略を考えるのは軍師や当主の仕事。
そう割り切ったランドルフは先ほどまでの笑顔から一転、つまらなさそうな顔で酒を呷る。
「では、いつから準備していたんですか」
「将軍」
「用意を始めたのは昨年の秋……10月頃からか」
ガードナーが止める声には聞こえないふりをしているのか。
素知らぬ顔をしてランドルフは語る。
「王都で越冬し、雪解けと同時に勢力を集合させ。総力を挙げて攻めろという指令が来ているんだ」
「侯爵閣下からのお達しですか」
「ああ、直々のな。……直接伝えに来たくらいだ。大きな戦略構想に基づいた作戦なのは間違い無い」
ランドルフはあっさりと侯爵家の動きを明らかにした。
これは、ともすれば裏切り行為だ。
降格だけで済めばいい方で、下手をすれば軍法会議に掛けられて処刑もあり得る。
だからガードナーは、身を乗り出してランドルフを制止しようとした。
「ランドルフ閣下、それ以上は聞き逃せません」
「俺とて疑問は持っている。ただの愚痴でもあるさ」
アースガルド領から出せる兵数など、たかが知れている。
そこに何故、こんな大部隊で攻め込まねばならないのか。
出兵を決めた理由が分からなければ。これから待っているであろう蹂躙の光景を予想してか、ランドルフは暗い顔のままだった。
「一つ言えるとすれば、恐らく狙いは子爵領以外にある」
「戦いの理由そのものは……アースガルド領には無いと?」
アースガルド領は二、三千の兵しか集まらない規模だ。
そこに周辺の家も巻き込んで、三万という大軍を編成している。
「ああ、それが何かは知らんが。目的がある以上、侯爵も止める気は無いだろう」
戦略構想が不自然であり。何か、アースガルド家を滅ぼす以上の目的があるはず。
それがランドルフの推測だ。
そしてその見立ては副官から見ても正しいことのようで、ガードナーの表情は途端に険しくなった。
「閣下、話し過ぎです。冥途の土産にしても限度がある」
一通り語り終えたランドルフの横で、副官のガードナーは動く。
彼は腰の剣を抜いて立ち上がると、その切っ先をクレインへ向けた。
「まあ、武器をしまえ」
「しかしこの男は――!」
しかし副官を片手で制すと、今度はランドルフがクレインの前に立ち、何か迷ったような表情をした。
そして、一拍の呼吸を置いて語る。
「俺は、己が何のために戦うのかを知らず。子爵がいかなる人物かも知らない」
先ほどまでは気まずそうに目を逸らしていた。
だが、今度はクレインへ、力強く目線を合わせて言う。
「ましてや子爵領のことなど、知りもしない。俺は何も知らんのだ」
「それは……」
知らなければ、滅ぼしても罪悪感は覚えないというのか。
クレインがそう思い、表情の影が濃くなった瞬間。
「どうも違う風に取られたようだな」
「と、言うと?」
ランドルフはガシガシと頭を掻き、今度こそ本当に困ったような仕草をした。
そして、「貴族風のやり取りはこれだから嫌いなんだ」と呟いてから。
「……もう一度言うぞ? 俺はアースガルド子爵の顔を知らない」
そして、表情を真剣なものにして。
クレインのことを真っ直ぐ見つめて告げる。
「――そして少年の名前も、まだ聞いていない」
そこまで言われればクレインにも察しはつく。
ランドルフもガードナーも、既にクレインの正体が敵対する子爵家の当主と感づいている。彼はそれを知った上で、見逃すと言っているのだ。
かなり直接的な表現ではあったが、ランドルフにはこれ以上の話し方が思いつかなかった。
だから彼は言い方などどうでもいいと開き直り、真面目な顔のまま話を続ける。
「確か少年の故郷は、アースガルド領だったな」
「……ええ」
「大事な人がいれば、今のうちに連れて逃げろ」
それはつまり、クレインをこの場から見逃すだけではなく。
領地を攻め滅ぼしてからも、行方を追わないという意味だ。
「閣下、それは明確な背信行為です!」
「背信? 何がだ。俺に与えられた任務は「アースガルド子爵領の壊滅」のみ。その後がどうなろうと、管轄外だろう」
管轄外などと、ランドルフらしくない言葉が出て来たな。
クレインがそう思う一方で、ランドルフは早く行けとばかりに手を振った。
「攻め込むのは3月の後半だ。恐らく末頃になる。故郷が滅びる姿を見たくなければ――それまでに可能な限りの人を逃がし、少年も逃げろ」
話は終わりだと言わんばかりに背を向け、ランドルフはガードナーとクレインの間で仁王立ちをした。
彼は副官の方を向いて、追わせないと言わんばかりに立ち塞がっている。
「恩に着ます」
「返しただけだ。礼には及ばん」
そうして天幕から出て行こうとしたクレインの背中へ。
最後にランドルフは、振り向かずに声を掛けた。
「少年。アースガルド子爵に会うことがあれば伝えてくれ。不義理を許せ、と」
「子爵のことは、知らないのでは?」
「……聞くだけ野暮だろう、そこは」
なおも抗議の声を上げるガードナーをランドルフが抑えている間に。クレインは駐屯地から走り去った。
駐屯地から出たクレインは、ここで得た情報をまとめる。
将軍ですら、進軍の目的は知らない。
アースガルド家へ出すには過剰な戦力であることは、彼らも自覚している。
「つまり北侯は、何か別な目的を持ち動いている」
そして、その準備が始まったのは王国歴502年の10月頃。
何があったかを知るには、そこに戻り調査をする必要があるだろう。
しかし、ただでさえ敵対認定をされているのだ。
いつからその状態なのか分からない以上、いたずらに過去へ戻っても仕方がない。
「真相を確かめるなら……もっと確実な方法は、ある」
しかし過去へ戻らずとも、一つ手はある。
そこに考え至った時、クレインは呆れのような表情を浮かべて、冬の曇天を見上げた。
「領地が滅びたあと、侯爵家がどう動くかを見届けることだ」
つまり、領地の虐殺を防がず、死んでいく領民たちを見捨てる決断をすること。
計画が上手くいった場合に、その後侯爵家がどう動くかを見定めること。
クレインが生き残り、真実を確かめれば――ラグナ侯爵家の目的が見えてくる。
「これが、罰なのかな」
自分一人が幸せになる未来ならあった。
今回の人生ではあわよくば。誰も知らない土地で、幸せになることができそうだった。
ランドルフは見逃すと言っているのだから、今からでもそれはできる。
しかしその幸せは、数千、数万人の命を犠牲にして成り立つものであり、その考えは思い浮かべるだけで大罪だ。
自分が動かなかった場合に何が起きるのかを、彼は断片的に覚えているのだから。
領民が無差別に虐殺されて、故郷が火に包まれる光景を思い返せば、逃げようなどと思えなかった。
全てを捨てて今すぐに逃げるという選択肢は、彼には選べない。
「もう風化しかかった、虐殺の記憶……か」
クレインの主観では十数年前の話になる。初回の人生以降も凄惨な死を遂げてきた彼の中では、記憶に朧げな部分も多くなっていた。
しかしそれがもう一度、現実のものになろうとしている。
少なくとも、今回の人生でも滅びは避けられないものとなった。
過去から目を背けて、可もなく不可もない幸せを掴み取ろうとしたこと。
クレインはその罪を、目前に突き付けられた気分になっている。
「せめて、できるだけ避難させよう。侯爵家の傘下に入れない以上、見届けるのも……俺の仕事だ」
いずれにせよ。領地に子爵が不在という状態を継続すれば、本来の状況からは大きく外れる。
北に留学していた時点で既に外れてはいるが、本来の人生ではクレインも大したことをしていない。
今からでも本来通りの歴史に近づけるため。
本来の未来で、侯爵家が何を考えていたのかを知るため。
クレインは、急ぎ故郷に帰る決意を固めた。
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ミステリ風に言うなら、クレインは信頼できない語り手の部類でしょうか。
この作品のジャンルが歴史でも推理でもなく、ファンタジーなことを確認しつつ。この先もお読みいただければ幸いです。
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