「あー……失敗したな」
またしても秘書官に殺害された男。
感情の赴くままに暴れたクレインは、珍しく凹んでいた。
「なんだろう、ちょっと調子に乗り過ぎたかな」
どうせやり直せるのだから、どんな後ろめたいことでもやりたい放題。
どうせリセットできるのだから、何をしてもいい。
それは事実としてあれど、前回はその考えが悪い方向に作用した。
リセット前提の動きをしたせいで、理性が飛んで暴走したのだろうか。とも思っている。
「話術で情報を引き出すことが正解だと知っていたはずなんだが……ううむ」
何故か、どうしても抑えが利かなかった。
殺害を命令していたとして、そこまで恨んでいる節は無いはずなのに。と、彼は反省していた。
しかし首を振って。
それはそれでおかしいと、考えを一部改めていく。
「いやいや、冷静に考えろよ。何度も殺されたら普通は怒るだろ。……違うか。何度も殺されかかったら、怒るのが普通だ」
死ぬことが当たり前になり過ぎて命の価値を低く見積もるのも、それはそれで問題がある。
価値観のバランスを取るのが難しいところだと、彼は一人悩んでいた。
普通は人生が一回しかないのだ。
少なくとも、「どうせリセットできるのだから失敗してもいい」という考えだけは改めよう。
クレインがそう決意していれば、いつも通りに扉がノックされた。
「クレイン様ー。おはようございまーす」
「ああ、おはようマリー」
心がささくれているところに、メイドのマリーが間延びした声でモーニングコールにやって来た。
彼女はいつも通りの朝に必ず居てくれる存在であり。クレインとしてはもう、平和の象徴にすらなりかけている。
マリーは水差しを枕元のテーブルに置きつつ。
クレインから遠い位置のカーテンを、半分だけ開けに行った。
寝坊しがちなクレインがすぐにベッドから起きて目を覚ませるようにと。起きる理由を探した結果がこのルーティンだ。
気づけば、かれこれ五年以上もこの習慣が続いている。
「なあ、マリー」
「なんです? クレイン様」
さて、ベッドから降りたクレインがカーテンの半分を開けつつ、心を落ち着かせるにはどうしたらいいかを考えた時。
とにかく幸せだった頃の記憶を探ってみれば、彼女とのエピソードも一つあったなと気づいたのだ。
「髪の匂いを嗅いでもいいか?」
「へ?」
彼は二年後の収穫祭で、酔った勢いでマリーといい雰囲気になり。イチャイチャついでに髪の毛へ顔を埋めたことを思い出していた。
茶髪のロングヘアーはよく手入れされていて、いい匂いで幸せに浸れたのを覚えている。
よし、気分を変えよう。
マリーの髪に顔を埋めよう。
そんな考えを浮かべつつ、クレインはベッドから起きた。
「いやあ。夢見が悪かったようでね。いい匂いで打ち消したいんだよ」
「え、いや、あの……?」
しかし切り出し方がマズかったのだろう。
両手を広げて、「髪の匂いを嗅がせてくれ」と言いながらにじり寄ってくる領主。
この動きをどういう風に捉えたのか、マリーは回れ右して逃げ出した。
「わ、私、お手付きはダメですからぁぁああ!」
髪を触ったあと、いい雰囲気になって。そのまま最後まで突っ切ってしまうことを想像したのだろう。
マリーは顔を真っ赤にして、部屋から飛び出していった。
「はは、残念」
甘い雰囲気を作って幸せに浸ることはできなかったが。
しかし、図らずもイタズラには成功して、クレインは上機嫌になる。
「朝っぱらから、そこまでやらないってのに」
「閣下。何かあったのですか?」
そして入れ替わりで、ブリュンヒルデが顔を見せた。
彼女が部屋に顔を出す度に、腰を抜かしそうになっていたクレインではあるが。
今朝は少し違う。
「ふむ……」
勢いついでとばかりにクレインは、「どうせなら彼女にもイタズラをしてみよう」という。普段の彼なら絶対にやらないであろう行動を取った。
「なあ、ブリュンヒルデ」
「はい、閣下」
「髪の毛の匂いを嗅がせてくれないか?」
さあ、彼女はどういうリアクションを取るのだろうか。
顔を歪めて冷めた目をするのか。
顔を赤らめて、意外と乙女な部分を見せるのか。
それともマリーのように逃げ出すのか。
と、クレインがワクワクしながら待っていると。
彼女はサラサラのロングヘアーをひと房掴んで、クレインの前に差し出した。
「どうぞ。閣下」
「え? あ、いや……」
「髪の毛です。どうぞ、閣下」
表情は変わらず、微笑んだまま髪の毛を差し出していくブリュンヒルデ。
この対応が一番あり得ると、予想はできたはずなのだが――
――ブリュンヒルデの、髪の匂いを嗅いでもいいのか?
と、禁断の果実に手を出した気分になったクレインは。
目の前に立つ女性に、何故かときめいていた。
「ええと、嫌じゃないのか?」
「構いませんよ」
見た目だけを見れば、ブリュンヒルデは顔のパーツが恐ろしく整っており、スタイルも完璧だ。
引き締まっているのに胸は大きめ。桜色の唇は小さく艶々している。
髪の毛など、差し込んでくる朝日に照らされてシルクのような光沢を放っているし。気づけば髪を手に取らずとも、いい匂いが漂ってきた。
「……? どうしたのですか、閣下?」
ここに来てクレインは。
そう言えばブリュンヒルデは美人。
という事実に気づいてしまった。
これまで武人か暗殺者としてしか見ていなかったので、彼は謎の不意打ちを食らうハメになったのだ。
そして。男性が女性の髪の毛に口づけをするというのは、口説く時の愛情表現でもある。
それに近いポーズを取るだけで、誤解されるくらいにはポピュラーなものだ。
正面から口説いたというのに、当のブリュンヒルデはいつも全く通りな態度で受け入れた上に、全く動じていない。
その分クレインの方がドギマギしながら――逃げ出すことになった。
「い、いや、変なことを聞いた! ちょっと顔を洗ってくるから、それじゃっ!」
「あ……」
声まで蠱惑的に聞こえてきた。
そんな印象を振り払いながら、クレインはもう、顔を真っ赤にして逃げ出した。
これではマリーを笑えない。
そもそも。自分への殺害回数が首位な女を相手に、何をときめいているのか。
と、己で己の軽挙を全力で叱りつけたいところではあったのだが。
一方で。「どうせリセットされるのだし、嗅ぐだけ嗅いでおけばよかった」と。
起きて一番初めに考えた戒めを、早速破りそうになっていた。
そう言えばマリーともいい雰囲気止まりで、結局何の発展もしなかったんだよな。
という考えが頭を掠めていく中。
とにかく彼は目を覚ますべく、井戸まで走っていった。
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