人通りの無くなった通学路で、一人芝居を見終えて名探偵ルーナは頭を抱えた。
「あの、いかがでしたでしょうか? 可能な限り再現したのですが」
「裏声キモッ! あとなんか妙に上手かったのもあれだけど……それって……マジなのか? 盛ってるよな? 作りだよな?」
「いいえ、誓ってそのようなことはありません。わたくしと対峙した時のサスエットさんを、可能な限り再現いたしました」
「じゃあセンコーに言ったのか? 『……じっと……見ないで……呼吸……止まりそう……胸……苦しくなるから』なんてさ?」
「ルーナさんはあまりモノマネが得意ではないようですね」
「センコー基準で考えるんじゃねえええ! 他にも『……とても……こんな気持ち……初めて……胸が押しつぶされそう……心臓……ドキドキ』とか」
「初対面だというのに、サスエットさんを緊張させてしまいました」
ルーナの視線がジトっと重たくなった。
「なんで緊張したと思う?」
「わたくしが怖かったということでしょうか」
「怖いやつをわざわざ追っかけないだろ」
「それもそうですね。では、いったいなぜ?」
「あのさぁ……センコー彼女とかいなかったわけ?」
「以前の仕事では知り合う機会こそ多かったのですが、すぐにお別れすることばかりでした。お恥ずかしい限りです」
「そのモテたんだかモテてないんだかわかんないのやめろ。つーかアレだな。ルックスはいいけど中身を知ってフラれるパターンが多かったんだろうな。頭ピンクくらいならあれだけど、中身までお花畑だし」
「はい。概ねそのような……と、待ってくださいルーナさん。わたくしの過去や遍歴については一切問題ありません」
「自分で言い切った!?」
「自信を持つことはとても大切です。ルーナさんもきっと自分を信じられる日がきますから」
「このタイミングでなんか良いこと言った風にすんな。ともかく問題なんだよ! くっそなんでアタシがこんなこと教えなきゃいけないんだ」
「差し支えがないようでしたらお教え願えませんか?」
ミルクも砂糖も入っていない、カカオを固めただけのチョコレートを食べたような、苦々しい顔でルーナはこちらを指さした。
「センコーのくせに生意気にもモテ期が来てんだよおおおおお! 守衛(おまわり)さんこいつが犯人だ!」
「わたくしも一時期は同性異性問わず、多くの方に追いかけられたことがありました。すでにモテ期は過ぎているかと存じます」
「男も女も関係なしだとッ!?」
「あの頃は毎日がハートの奪い合いでした」
「それは人としてどうなんだ?」
「昔の話です。お気になさらず。それにわたくしは今、ルーナさんに心を奪われている状態です。ご安心ください」
「あ、安心とかわけわかんねぇし……だいたい気にするなって言う方が無理だから! センコー相手に緊張してドキドキする女子が逃げたってことはだなぁ……つまりそのぉ……」
ルーナが言いかけたところで――
遠く校舎の方から始業五分前を知らせる予鈴が鳴り響いた。
教師と生徒、合わせて遅刻決定である。
◆
調理実習室は三十人あまりが作業できる造りとなっており、たった二人で使うにはいささか広すぎる。が、自由に使えるオーブンがあるのは、この部屋くらいなものだ。
ルーナが恥ずかしがらないよう、彼女とおそろいのピンクのエプロンを装着した。
胸元のウサギのワッペンが愛らしい。
コンロが設置された調理台を前にして、ルーナが腕組みして唸る。
「むぅ……おいセンコー。単刀直入に訊くけど、今日のコレはなんだ?」
「調理実習です」
「それって意味あんのか?」
口をとがらせるルーナに微笑み返す。
「軍魔法学校を卒業したからといって、軍人になるとも限りません。大切な人にクッキーを焼いてプレゼントしたくなることも、将来あるかもしれませんから」
「甘っちょろい考え方だな相変わらず」
「ルーナさんの未来には無限の可能性があります。もしかすれば世界一のクッキー職人になれるかもしれないのです」
「だ、誰がなるか!」
吠えながらも少女の視線は、調理台に並ぶ材料に注がれた。
「クッキーお好きですよね」
「き、嫌いじゃないけど……こんなんで本当にいいのか?」
「特別補習の内容は担当教師に一任されていますから」
「もっとこう、せめて将来の事を考えるなら資格を取るための勉強とかあるだろ」
「刺客を獲る? ああ、それはオススメしかねます」
「アタシには無理だっていうのか!?」
「わたくしと同じ過ちをルーナさんには繰り返していただきたくないのです」
「資格って……そんなに難しいのかよ」
「刺客はクッキーを焼くようにサクサクとはいきません。では、さっそく本日は基本のバタークッキーを焼いてみましょう」
少女はなだらかな自身の胸元に視線を落とした。
「ところで、なんでセンコーとおそろいなんだ?」
「XLサイズとSサイズを買うとセットで割り引きだったもので。色はルーナさんに似合うピンクを選んでみました。とても明るい色でよくお似合いですよ」
ルーナは顔を背けた。
「そういうセンコーは髪のピンクとかぶっててアレだな! ともかくアタシの勝ちだ!」
「はい。ルーナさんの愛らしさに勝るものなどありません」
「そういうのやめろマジやめろ」
「これは早くもクッキー作りをしたいと気持ちが高ぶっていらっしゃるのですね。前置きが長すぎました。早速始めましょう!」
「ち、ちが……ああもうそれでいいから!」
「力を合わせて最高のクッキーを焼きましょうねルーナさん」
「魔法の練習もしないし剣の稽古も馬術訓練もしないで、クッキー作りかよ。ったく、本当に先が思いやられるな。アタシくらいしか付き合ってらんないだろこんな温い授業……」
二人並んで調理台の材料に対峙する。
「お菓子作りで大切な事はレシピの分量を守ることです」
「そ、それくらい知ってっし。基本だから。よし! 同じ材料と同じレシピでどっちが上手く作れるか勝負だセンコー! ま、勝つのはアタシだけどな」
少女はエヘンとなだらかな胸を張った。
小麦粉をふるいにかけ材料を混ぜ合わせて生地を作る。包丁を使う作業はないものの、ルーナの手元は不慣れで危なっかしい。
「な、なあセンコー! 粉をちゃんとふるいにかけてやったぞ! 社会のふるいにかけられるとみんな同じようになるんだな」
「ルーナさん、まだダマが残っていますよ?」
「この一番大きなダマがアタシだ! ふるいになんて負けないからな!」
「なるほど。では指で押しつぶしてしまいましょう」
「なんだと? アタシに圧力をかけるのか?」
「そうしなければおいしいクッキーにはなれませんよ。皆が渾然一体となることで生まれるハーモニーを奏でるためにも、どうか決断なさってください」
「ぐぬぬ……そ、そこまで言うなら……ごめんアタシ!」
少女はこし器の上に残った大粒の小麦ダマを指で押しつぶした。サラサラと崩れて小麦粉はパウダースノーのようになめらかになる。
「また一つ成長されましたね」
「ふっふっふ。アタシが本気になればこれくらい楽勝だっての」
教室で講義を受けている時よりも、ルーナは生き生きとして楽しげだ。
モノを作るというのは、とても楽しいことである。平和を愛するには平和を知り、人を愛するには人の幸せを知ることが、きっと必要なのだ。
自分にはできなかったことをルーナに代わりにしてもらっているようで、彼女への押しつけではないかという不安もあるのだが、幸運にも彼女はクッキー作りに夢中になってくれた。
一つ、問題があるとすれば――
調理実習を始めてからずっと、実習室の扉の外に何者かの気配があって、こちらの様子をうかがっていることだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!