「おはようございますルーナさん。良い朝ですね」
「おいこらぁセンコー! 日曜の午前中に町の広場の噴水前に呼びつけてなんのようだッ!? タイマン張るならこんな人通りの多い場所選ぶんじゃねーよ!」
彼女が吠えるのと同時に、噴水から九回ほど水しぶきがあがった。
午前九時を知らせる時報である。
公園には老若男女、様々な人々が思い思いの時間を過ごしていた。犬の散歩やジョギングを楽しんだり、噴水広場のベンチでゆったりくつろいだり。
そんな人々の視線をついつい集めてしまったルーナに微笑みかける。
「とてもよくお似合いですね」
小柄で愛らしい少女が人々の注目の的になるのは自然な事だ。
「仮にもセンコーと生徒が学校の外でデー……タイマン張るのに制服じゃそのぉ……色々まずいだろ」
うつむき気味に少女は口を尖らせる。本日の彼女の装いは、シンプルなデザインのジャンパースカートだった。リボンはピンクがかった可愛らしい赤色だ。
「制服だとなにがまずいのですか?」
「なんでもないし! で、やんのかやらんのか!?」
「もちろんやりますとも」
「な、なにをやるんだ!? そこはハッキリしておいてくれないと、こ、困るから」
「天気も予報では一日中晴天が続くそうですし」
「そ、外でやるのか?」
「ええ……あの、外はお嫌いでしたか?」
「好きとか嫌いとかわ、わかんねぇよ。や、やったことねぇし」
「ではやってみましょう。何事にも初めてはありますから」
「いや、ちょ、マジで? こんな人前で!? まだ朝だぞ!? おいこら迫るな近寄るなあああああああ!」
半歩前に出ただけで、少女は全身をぶるりと震えさせた。
「もしかして怖いのですか?」
「こ、こここここれは武者震いってやつだから」
「やる気があるということですね。大変結構」
「な、なぁセンコー冗談だよな?」
ルーナの視線が辺りをキョロキョロと行き来する。まさか動揺しているのだろうか。
「わたくしは本気ですよ。青い空の元、気持ちが良いではありませんか」
「き、気持ちよいって……」
「今日のような良いお天気の日は、課外授業をするのにうってつけです」
途端に少女がぽかんと半口を開けた。
「あ、ああああ! そ、そうだよな。課外授業だよな。で、でででデートかと思ったし」
「はい?」
「だ、だって服装は自由で学校じゃなくて町の公園にある噴水広場で、ま、待ち合わせだぞ!? あ、べ、別にその……デートみたいなこととか期待してたんじゃなくてだな、アタシとしては様々な状況を想定していたまでで、その一つの可能性として……場合によってはき、キスなんて……もちろんそんなのお断りだからなぁ……」
段々とルーナの声は小さくなり、語気もすっかりトーンダウンして最後まで聞き取れなかった。
「では、さっそくノルンヴィノアの町を歩いてみましょう」
「歩くだけなのか?」
「食べ歩きでもいたしましょうか」
「それやっぱりデートじゃないのか?」
「課外授業の一環です。もちろん予算はこちらで組みましたから、ルーナさんはお金の心配などなさらないでください」
少女の顔がますます赤くなった。
「べ、別にしてねぇし! 追いだされたけど実家から仕送りだけはあるから! あのクソ親父は体面だけは気にするし、そもそも使うあてもなかった金だしぱーっと使ってやる! いや、むしろこっちがセンコーにおごってやんよ」
「いえ、それはさすがにいけません」
ウサ耳リボンがしょぼくれた。
「嫌……なのか?」
そっと首を左右に振って返す。
「ですのでお互いに買い物をする時は、自分でお金を出すことにいたしましょう」
少女はほっと胸をなで下ろした。
「それでいいぞ。なんかデートっぽくなくて助かる」
「ではさっそく課外授業を始めましょう。まずは、この町のなりたちから勉強していきます。スタート地点となるこの公園ですが、この町を発展させた偉人である海運王ノルンの業績をたたえたモニュメントがありまして……」
「うげっ!? マジで講義するつもりかよ?」
「課外授業ですからね」
さっそくルーナを連れて公園の出口方面へと向かう。
ゆったり歩く間に授業を進めた。
この町――ノルンヴィノアは帝都ルヴドリアの東にあって、東方世界への玄関口と呼ばれている。帝都直通となる魔導列車の中枢駅があり、大型船が行き来する港湾を有する商都だった。
政治の中心が帝都ルヴドリアなら、ノルンヴィノアは商業の中心と言えるだろう。
近年、町には動力車による交通網が整備され、一層活気が溢れている。
軍学校は帝国各地の要衝に置かれるのだが、ノルンヴィノア帝国軍魔法学校はそれらの中でも歴史が古く、多くの有名な魔導士を輩出してきた名門だった。
同心円状に道が整備された町の中心にあるのが、城のような総督府になる。各商工会ギルドの支部も内包していた。
総督府の周辺は貴族街。外縁部に近づくにつれて下町となっていく。統治者が代わっても、帝国貴族と平民という垣根が取り払われるようなことはない。が、貴族による不当な弾圧といったものが、雷帝――カイン皇帝によって排除されつつあるのが現状だった。
話をしている間、隣を歩くルーナはずっと退屈そうにあくびまじりだった。
そして――
今日も今日とて、一定の距離を保ちながら銀髪の少女がこちらを尾行していた。
彼女は学校の制服姿である。
「あの、ルーナさん?」
「なんだよもう講義はおしまいか?」
「いえ、なんでもありません」
ルーナは追跡者にまったく気づいていないらしい。
追ってくるサスリカも誘うべきか悩ましいところだが、今回はルーナのための一日課外授業だった。
彼女の方から参加を希望しない限り、こちらから接触をするのは控えておこう。
◆
町を走る魔導トラムは二階建ての路面動力車で、公園前の停車場から赤い車両に乗って、ぐるりとノルンヴィノアを巡ることができた。
停車場に停まった巨大な鉄の箱を見上げて、少女が小さく後ずさる。
「こ、これに乗ってもいいのか? 免許とかいらないのか?」
「おや? ルーナさんはトラムに乗ったことがないのですね。乗客に免許は必要ありませんよ」
「べ、別にびびってないからな」
「もちろん存じ上げております。ですが念のため説明いたしますね。トラムは町の中にある停留所に停車しますので、そこで乗降いたします」
「そ、それくらい見れば判るし! よーし! アタシが一番乗りだ! どうせなら見晴らしがバッチリな二階がいいな! うん!」
「運賃は前払いです。本日は一日乗車券をお買い求めください」
車掌に運賃を払わず乗り込んでしまった彼女が、慌てて戻って支払いを済ませる。
こちらをじっと見据えて「い、いいかセンコー。ちゃんと運賃を払うんだぞ。今のはわざと悪い見本を示しただけだからな!」と、少女は口を尖らせた。
「そうですね。わたくしも無賃乗車には気をつけます」
「それなら結構! 早くセンコーも二階に来るんだぞ! なんか奥の方がオープンデッキになってるし!」
軽い足取りで少女はトラムの細く急な階段を駆け上がり、あっという間に二階の後部のデッキへと行ってしまった。
まるで小さな子供のようだ。いや、強がってみせてもまだ、彼女は子供の範疇か。
好奇心の赴くままに未体験なことを楽しめるのは素晴らしいことだ。
「これではどちらが先導役かわかりませんね」
他の乗客たちに紛れてサスリカも同乗したようだが、こちらが視線を向けると確実に逃げるので、彼女が視界に入らないよう極力気をつけつつ、ルーナに続いて二階へと上がった。
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