「さて、サスリカ君。このクラスに残りたいというのなら、今から私の指示に従ってもらおう。君もあの出来損ないの小娘のように、追放されたくはないだろう?」
「……はい……ディートヘルム教授」
「よろしい。ではしばらく私の講義は休学したまえ。時間の許す限り、あのどこの馬の骨ともわからぬ男の身辺を調査するのだ」
「……はい……ディートヘルム教授」
「君は魔導機械人形だの氷の魔女だのと呼ばれているようだが、感情を母親の胎内においてきてしまったのかね?」
「……はい……ディートヘルム教授」
「まあいい。私が満足するだけの情報を集めることができれば、君が希望する国立魔法研究所への進路に口利きをしてやろう」
「……はい……ディートヘルム教授」
「君、なにか面倒臭くなっていないかね?」
「……は……いいえ……ディートヘルム教授」
◆
一日の授業を終えると、ルーナとともに教室を出て正門前の中庭を歩き一緒に校舎を後にした。丘陵地帯を下るなだらかな道を行き、彼女が生活する女子寮の門の前に至る。
少女が吠えた。
「な、なんでいちいちついてくんだよ!」
「今日もルーナさんは寄り道もせず、大変ご立派です。そんなあなたの姿をこの目に焼き付けておきたいと思いまして」
寮の門前は下校した女子生徒たちで賑わっていた。
ルーナのウサミミリボンが、まるで神経が通っているかのようにピンと立つ。赤面しながら彼女は再び吠える。
「放っとけ! ストーカー教師!」
「ストーキングをするのでしたら、このように姿をさらしたりなどいたしません」
「絶対に本気出すなよ捕まるから」
「はい。もちろんですとも」
「そ、それはそれとして堂々としてればストーカーじゃないなんて通じないからなッ!!」
「あの、もしよろしければ明日からは登校の時間にもお迎えにあがりたいのですが、いかがでしょうか?」
少女はこちらの顔を指さした。
「いかがもなにも、よろしいわけないだろ! 女子の背中を追いかける変態野郎! 恥を知れ!」
「もう少し、わたくしに付き合ってくださると仰っておられたではありませんか?」
「言い方ぁ! あと場所と状況おおおお!」
周囲の女子生徒たちが足を止め、遠巻きに様子をうかがっている。
みな二~三人のグループだった。
「一昨日からルーナさんの登下校風景をチェックしていたのですが、少し寂しそうに思えたものでして。せめてわたくしだけでもご一緒できればと愚考した次第です」
「愚考ってレベルじゃねーし! ま、まさかアタシに気づかれないように……み、見てたのか? ボッチのアタシを観察してたっていうのかッ!? 本気で気配消してんじゃねええええ!」
「消していたのはせいぜい足音くらいなのですが……」
「どうしてこんなやつが教師になれたんだよ」
ルーナはあきれ顔だ。失望させてしまっただろうか。彼女のためを想っての行動は、裏目に出ることが多い。
「ともあれ本校舎まで片道徒歩十分の間、ルーナさんはいつもお一人で登下校なさるので、もしやご友人がいないのではと危惧していたところです」
「やめろおおおおおおおお! ストーキングもボッチ暴露もやめろおおおおお!」
「暴露とは秘密にしていたことが公にされることです」
「公然事実陳列罪すんじゃねえええ!」
「では、孤独な事実を変えるべく明日の朝から一緒に楽しく登校いたしましょう」
「うるせー! 死ね! 明日からといわず今死ねええええええええ!」
絶叫しながらルーナは寮の母屋へと独り逃げるように走り去る。
彼女に友達がいないことが、とても心配だ。
「とはいえどうすればいいのやら……ひとまずわたくしも帰宅することにいたしましょう」
このまま丘陵沿いの道を下って、自宅のあるノルンヴィノアの町へと向けて歩き始める。
しばらく無数の視線を背中に感じていたのだが、それも商業区に入る頃には、一つにまで減っていた。
商業区の中心を走る市場通りは、夕刻前の買い出しをする人々で大賑わいだ。
依然、背中に視線を感じたままだった。
追跡者についてわかったことがある。一定の間隔で距離を取るのは上手いのに、集中するあまりこちらに存在を気取られてしまっているのだ。とてももったいない。もし、視線の気配を感じさせないようにできれば、一流のストーカーになれるだろう。
気づいていないフリをしながら、少し難しい問題を出して様子を伺ってみることにした。
わざと賑わう人混みの中へと分け入る。乱反射する光の粒のように、右へ左へ前へ後ろへと流れる人の波に溶け込んだ。しばらく群衆に紛れたのちに、そっと出て路地を曲がる。
追跡者の気配は変わらない。人気の無い裏路地に足を踏み入れても、なお健在だ。
雑踏をものともせず追跡者はこちらを捕捉し続けた。
歩くペースを上げれば、ぴったりと同じ速度を維持してついてくる。
一定の距離を保ち続けるところが、猫のようで愛らしい。きっと振り返って目が合おうものなら、一目散に逃げてしまうに違いない。
それでも声を掛けるべきか。
大通り裏の集合住宅の壁と壁に挟まれた細い路地にて、立ち止り振り向かず訊く。
「わたくしになにかご用件でしょうか?」
途端に背後の気配は来た道を一目散に逃走し始めた。振り返ると銀色の髪が、奥の道で角を曲がったのがちらりと見えた。
スカートの裾から制服のそれ……つまりストーカーはノルンヴィノアの女子生徒である。
「きっと恥ずかしがり屋さんなのでしょうね」
彼女が逃げた順路通りに追いかけると、余計なプレッシャーを与えてしまいかねない。ルーナにも「恥を知れ」と叱られたばかりだ。
そっと見上げると建物と建物の隙間に狭い夕暮れの空があった。
「後ろからでなければよいでしょう」
左右の壁を交互に蹴って跳び、排水用のパイプを掴んで登ると建屋の屋上に登る。
四階ほどの高さから追走者を探すと――
マイペースに行き交う人々とは、明らかに違う“追われている者”のテンションの少女を発見した。
「群衆に紛れてしまえば見つけにくかったのですが……ますますもったいない」
つい、言葉が漏れる。
少女は人混みをすり抜けるようにして、急ぎ足で軍学校方面に向かっていた。
遠目からでもその美しい青みを帯びた銀髪は目立つ。
建物の屋根から屋根へと伝って跳び先回りすると、商業区の端となる市場通りの入り口前で彼女がやってくるのを待った。
少女は振り返りながら走る。背後に意識を集中していたせいか、こちらが進路方向で待っていることに気づいていないようだ。
市場通りを抜けきったところで、少女は足を止め呼吸を整える。
そんな彼女に近づいて声を掛けた。
「大丈夫ですか? 素早く的確な身のこなしでしたが、人の多い場所では、あまり走らない方がいいですよ。逆に目立ってしまいます」
「……ご忠告ありが……えっ?」
言葉を途中で呑み込んで少女は息を呑む。
ブルーサファイアのような青い瞳の持ち主だった。
美しく整った顔立ちだ。肩口ほどの長さのさらりとした銀髪には光沢があり、肌は透けるように白い。
が、表情は無味乾燥としている。
喜怒哀楽の感情表現が豊かなルーナを近くで見てきたこともあって、余計にそう感じてしまった。
なんとか笑顔にしてあげたくなる。そんな少女だ。
「魔法学校の生徒ですね。女子寮の前からずっと、わたくしの後ろについてきていたようですが、なにか相談事でしょうか?」
「…………」
口を結んで少女は沈黙を守った。
「担任ではありませんが、わたくしも教師ですので困ったことや悩んでいることがあるのでしたら、なんなりとお申し付けください」
「…………」
まるで氷の彫像のようだ。会話が弾まない。かすかに少女の瞳が怯えるように揺らいでいた。
怖がらせるようなことをしただろうか。先回りをして、多少驚かせてしまったかもしれないが。
こうも無言で怯えられてしまうとは。少女への接し方は実に難しい。
「もしや違いましたか? これは失礼いたしました。あの、わたくしの事は? ええと……知らないのですね。では、自己紹介から。わたくしはエミリオ・クロフォードと申します。あなたが通うノルンヴィノア帝国軍魔法学校で、今年度から教師をさせていただいております。残念ながらまだクラスを受け持ってはいませんが、現在は特別補習の担当教師を承っております」
少女のきゅっと閉じていた薄い桜色の唇がゆっくり開く。
「……知ってた」
「おや、そうでしたか」
「……ほかには?」
少女は眉一つ動かさないまま、小さな帳面を取り出すと、携帯ペンを手にした。
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