最強先生、褒めて伸ばしてボッチイキリヤンキー少女を更生させる

原雷火
原雷火

12.厚い本はお嫌いですか?

公開日時: 2020年9月17日(木) 00:00
更新日時: 2021年3月20日(土) 17:29
文字数:2,952

 ゆったりと風景が流れていく。かすかに潮風の混じった心地よい風が頬を撫でた。


「お、おいセンコー! あれ! あの道の脇で売ってるのはなんだ?」


 ルーナがデッキから身を乗り出して指さす先には――


「ジェラートの販売ワゴンですね」


「見た感じアイスだよな? センコーは食べたことあんのか?」


「はい。大変美味しいですよ。あのワゴンには氷結系の魔導器が備え付けられているようです。魔導技術の発展により、冷たいものを手軽に食べられるようになりましたね」


「いや、そういうことは全然訊いてねぇし」


 口を尖らせながらも少女の視線はジェラートに釘付けだ。


 ワゴンの前は女性や子供たちで大賑わいだった。誰もが色とりどりのジェラートを手にして楽しげである。


 平和な日常が、ごく普通のものとしてありふれている。ここには戦乱も暗躍も陰謀もない。それが、とても幸せだと感じずにはいられなかった。


 皇帝陛下の治世あってのことだ。


「なんかニヤニヤしてないかセンコー?」


「おや、そうですか」


「あっ! さては食べたいんだろ。だったらえっと……後でつ、付き合ってやってもいいぞ」


「後と言わず、今からお付き合いください」


 ルーナの身体をすくい上げるようにお姫様抱っこして、軽くデッキの床を蹴り降車する。


「ひゃっ!?」


 腕の中で少女が息を呑むように小さな悲鳴を上げた。


 着地には細心の注意を払う。膝のクッションを効かせて、音を立てずに歩道脇に無事、下車完了。


 トラムは気づくことなく走っていく。ジェラートを買い求める客の視線を多少集めてしまったようだ。


 そして――


「停留所で降りないのは、い、いけないんだぞ!」


 腕に抱かれたまま少女が耳まで赤くなって吼えた。


「おっと、これは失礼いたしました」


「自分でルールを説明してから五分もしないうちに違反してんじゃねーよ」


「はははは。これは一本取られましたね」


「いや一本取るとかそういうんじゃないだろ……つーか……」


 少女がうつむき気味になって顔を背ける。


「早く降ろせよバカぁ」


「あっと、そうでした。ルーナさんは軽くて抱き心地も良いものですから、ついずっとこうしていたくなってしまいまして」


「センコーそれ絶対他の大人に言うなよ。あと、アタシ以外にやるんじゃないぞ。逮捕されるから」


「はぁ? そうなのですか」


「そうなんだよ! あーもう恥ずかしい」


 町行く人々もぽつぽつと足を止め、こちらに集まる視線が増える中、彼女をそっと降ろす。


「人目を引いてしまいました。ジェラートを買いにくいですね」


「アタシが興味もったから無茶したんだろ。別にそこまでしてくれなくてもいいんだぞ。けど……トラムも行っちゃったし、せっかく降りたんなら買わなきゃ負けた気がする! ほらぼーっとしてないで並ぶぞセンコー!」


 ルーナの方からこちらの手を取って、引っ張られるままジェラートワゴンの列に加わると、ほどなくして何事も無かったかのような雰囲気になっていた。


 上手く溶け込むことができたようだ。ルーナが堂々としていたのがかえって良かったに違いない。




 ジェラートを買って食べ歩きを始めると、もはや誰も我々を気にしなくなっていた。


「冷たくて甘くて……けど学食のアイスよりさっぱりしてて、だけど味はしっかり濃くておいしいぞ」


「そうですね。ルーナさんはジェラートも初体験ですか?」


「う、うっせー! なんか文句あんのかこらぁ!」


「いいえあまりに的確なもので驚いているのです。一般的なアイスクリームよりもジェラートは乳脂肪分が少ないため、さっぱりとしています。反面、空気の入り方が違っておりまして、ジェラートはアイスクリームに比べて空気の量が少なく密度が高い。だから味わいそのものまで薄くなるということはないのですよ」


「つ、つまりなんだよ?」


「初めて食べたというのに、ルーナさんはアイスクリームとジェラートの違いを見抜いた……この場合は味わい抜いたとでもいいましょうか。すばらしい感性です」


 見る間に少女の頬が赤くなる。


「は、はぁっ!? べ、別に普通の感想言っただけだし。そういうんじゃねーし。つーかセンコー全然食べてないな。食べないんなら、センコーのジェラートもよこせ!」


「はい、どうぞ召し上がれ」


 まだ手つかずのジェラートを彼女に差し出した。


「いいのかよッ!?」


「ルーナさんの好きな物をまた一つ知ることができただけで、わたくしは幸せです」


「その言い方キモッ! けど、ジェラートはもらうからな」


 少女は両手にジェラートを装備して、ミルク風味とピスタチオ風味を交互に食べ比べる。


「ピスタチオって豆なのに……おいしいッ!?」


「正確には豆科の植物ではありませんね。食用に適した堅果になります」


「細かいことはいいんだよ!」


「これも校外学習ですから」


「ほんとセンコーって空気読めないよな。けど、ジェラートがおいしいから特別に許してやる」


 少女は楽しげに目を細めた。




 ◆




 軍事力の発展に伴い魔導技術は飛躍的に進歩した。その恩恵が魔導器という形で、広く人々の生活に根付いて暮らしを豊かにしている。


 中央区画にある博物館や資料館の一つに、魔導技術館があった。国立魔法研究所が監修しており、展示はどれも素晴らしいものばかりだ。


 館内を順路通りに回って、魔法と魔導器の研究について造詣を深めたあと、技術館の外に出たルーナがため息をつく。


「さすがのルーナさんも、そろそろ疲れて来ました?」


「べ、別に……ただ、朝っぱらから博物館とか資料館とか美術館とか、何軒はしごすんだよ!」


「このあとは国立図書館に行く予定です」


 と、ルーナに告げた瞬間、背後で気配がざわついた。


 振り返ると逃げてしまうので、じっと我慢する。


 サスリカはトラムで飛び降りてジェラートを買ったあとも、いつの間にか影のようについてきており、ここまでほぼ一緒に校外学習のルートを回っているような格好だ。


 ずっと息を潜めてルーナに気づかれることなくついてきていたサスリカだが、何に反応したのだろう。


 ルーナが口をとがらせた。


「せっかくのデー……校外学習なのに本読んでる場合かよ!」


 再び後方で気配がざわつく。先ほどよりも動揺しているような雰囲気だ。


「ルーナさんは本がお嫌いですか?」


「本なんて教科書で十分だし。それより剣術の稽古とか馬の遠乗りとかの方が楽しいぞ」


「国立図書館に行けば剣術の指南書もありますし、剣豪の物語も読めますよ」


 少女は腕組みをしてぷいっとそっぽを向いた。


「物語なんてガキの読むものだろ?」


 背後でサスリカの気配がさらに大きくざわついた。


「馬の品種改良の歴史について書かれた本や、図鑑などもありますから」


「馬は好きだけど馬の本には興味ないからな。乗り方だって知ってるし。本なんて読んでも時間の無駄無駄」


 後ろの方でますますサスリカが落ち込んでいっている。そんな気がしてならない。


 どうやらルーナは本が嫌いで、サスリカは読書好きなようだ。


 今日はルーナのための一日なのだが、サスリカがショックを受けたままにするのは少し気の毒だ。


 それに押しつけかもしれないが、ルーナにも本を好きになってもらいたい。


 本から得られるのはなにも知識ばかりではない。物語であれば主人公の成長を通じて共感し、感動し、物質的には得がたい宝物を得られるかもしれないのだから。


 どうすればルーナは図書館に興味を持ってくれるだろう。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

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