軍学校の教師には大まかに階位があり、教授、准教授、教師と三つに分かれている。
ルーナを受け持っていたディートヘルム教授は、ノルンヴィノア帝国軍魔法学校を首席で卒業後、軍ではなく国立魔法研究所に進み、若くして数々の研究成果を上げた後に、三十歳手前で退所。
本校に教授として招かれ、以来十年間、選抜クラスでエリート魔導士を輩出し続けているという、輝かしい経歴の持ち主だ。
人を外見で判断するのはよろしくないのだが、色白で白髪をオールバックにしており、目は糸のように細い。若いと言えば若くも見えるが、実年齢不詳のこの教授に、少なからず苦手意識を抱いていた。
そんな苦手な相手と、学食でばったりである。
他の席が空いているというのに、ディートヘルム教授は対面の席に着いた。
「たまには学食も良いものだ。昔を思い出す」
「わざわざ相席なさるほど混雑しておりませんが?」
細い目を一層糸のようにしながら笑う。
「おや、クロフォード君はこの私と同席するのが嫌だというのかね?」
「いいえ……そのようなつもりでは……」
学食の日替わりセットメニューには二種類ある。
通常のものと、選抜クラス在籍者のための特別なものだ。
栄養学的なバランスはもちろん、帝都の名店が週替わりでプロデュースするエリートセットは、それを注文すること自体が、生徒たちにとってはある種のステータスとなっていた。
本日はメインが仔牛のローストオレンジソース。スープはコンソメ系で、春野菜のサラダとデザートにタルトタタンだった。。
「君は相変わらず豚の餌のようなものを食べているのだな」
「わたくしにはこれが一番ですから」
こちらはたった一杯の麺料理。
強力小麦粉を低加水で練り上げた太縮れ麺に、非乳化系のかえしが利いた豚のゲンコツを用いたスープ。トッピングは大量の茹でもやしと、大ぶりな豚が二枚。
「そんなものをありがたがるとは、神経を疑うな。麺をすするなど下品極まりない」
「そうでしょうか……ズズッ……このワシワシと麺を吸い込む感覚が……ズズッ……一度試すとやみつきに……ズズッ」
「食べながら喋るのはいかがなものだろう」
「冷めてしまっては……ズズズッ……美味しくなくなってしまいま……ズズッから」
天地返しをして麺を丼の底から引き上げる。入れ替わりでもやしがスープに浸されて、これがまた美味しかった。
「食が進んでないようですね?」
「見ているだけで胸焼けがする。誰かの髪色のように下品だ」
「はぁ……」
コース料理のようなエリートセットには手もつけず、教授は溜息を吐いた。
「ところで君の経歴を調べさせてもらったのだが、単刀直入に訊こう。いったい何者なのかね?」
「ズズッ……わたくしが何者か? ですか?」
またしても哲学的命題を投げかけられてしまった。二枚目の豚を頬張りつつ考える。
肉厚ながらもホロリと崩れ、脂身もとろっとした良いものだ。
何かの本で読んだ一節を、今の自分に当てはめて考える。
人生とは厚切り豚なのかもしれない。
うまくいくかは食べてみなければわからない。
「わたくしはそう……この厚切りの豚のようになりたいのです」
「ふざけるのも大概にしたまえ。職歴無しの人間が教師として採用されるなど前代未聞だ。軍歴も無し。それに本校の卒業生でもないようだ。ノルンヴィノア帝国軍魔法学校と君には、なんの接点も見いだすことができなかった」
「教師の仕事をさせてほしいとお願いしたところ、定員枠が偶然一つ空いていましたもので」
働き始めたのは三月からで、生徒(ルーナ)を受け持ったのはつい先日からだった。
「幸運にも中途採用されたというのかね?」
細めていた目を見開いてディートヘルムは語気を荒げた。
「はい……ズズッ……」
「そう都合良く枠が空くことなどありえん……が、昨年までの落ちこぼれ処理係が、聞けば喜んで辞めていったそうだ。退職金に上乗せがあったというのだが、あの出来損ないのクズ教師未満の男に、いったい誰が追い銭など支払うというのか?」
「そのようなことがあったのですか?」
これは初耳だった。前任者の評判は教授にはよろしくないようだが、退職時にボーナスが出るとは、優秀な方だったのかもしれない。
後を引き継いだ自分に、果たして勤め上げられるだろうか。
「白々しい……」
「わたくしのような未熟な人間を採用していただいたノルンヴィノア軍魔法学校には、感謝の言葉もありません。学校と生徒のため微力を尽くす所存で……ズズッ」
「そのセリフはせめて食べ終えてからにしたまえ」
「失礼いたしました」
スープ以外を完食して、コーヒーのような黒い半発酵茶で一息吐く。
「ごちそうさまでした。では、お先に失礼いたします」
「待ちたまえクロフォード君」
丼の載ったトレーを手に立ち上がろうとしたところで、腕を掴まれ強引に座らされてしまった。
「このあと午後からはルーナさんの授業なのですが?」
それもあってニンニク抜きにしたのである。
「あの出来損ないの娘はまだ辞めていなかったのか?」
「今、なんと仰いましたか?」
「救いようのない落ちこぼれの出来損ないを、自主的に辞めさせるためのお払い箱。それが君の仕事なのだよ。まさか気づいていなかったとは……」
「教授のお言葉としても……それは聞き捨てなりませんね」
「最初からこちらへの敬意などありもしないのにぬけぬけと……まあ、君のような素性も判らぬ人間には丁度よい仕事だ。続けたまえ。ただし、准教授やクラス担任になれるなどとは思わないことだ。夢など寝てみるそれで十分だろう?」
トレーをテーブルに置き直して、ディートヘルムが掴んできた腕を丁重にそっと振り払う。
「おや? 君もいっぱしに怒るのか。教授の私にたてつくつもりかな? どこの馬の骨ともわからぬ、実績すら持たぬ半人前の君が」
「わたくしが未熟であることは事実です。ですがルーナさんをそのように仰らないでいただきたい」
「あの小娘がなんだとういうのだ?」
「もしやご存知ないのですか。彼女の生い立ちや、その苦しみを……なにより彼女は心優しくすばらしい生徒なのです」
「生徒一人一人の事など知る必要はない。途中で潰れる者は最初からそれが限界なのだよ」
「では、なぜルーナさんをエリートクラスに……」
「入試の総合成績上位者から順に選抜するのが私のやり方だ。無論、選抜者にも私のクラスに入るかどうか選ぶ権利はある。これまで辞退者など出たことはないがな」
ルーナの剣術や馬術の首席という成績が、選抜の基準に達してしまったのだろう。
「どうして彼女を切り捨てるような事をなさったのですか?」
「あの小娘は口答えばかりで礼儀すらなっておらぬ。そのうえ闇属性の魔法しか使えぬというではないか。そもそも、私に教えを請うレベルに達していなかった。選抜を辞退すべきだったかもしれんな。ハッハッハッハ」
声を上げて教授は嗤う。ここにルーナがいなかったことだけが救いだった。
「ルーナさんは、わたくしが責任を持って立派な魔導士に育てたいと存じます」
「お手並み拝見といこう。好きにしたまえ」
午後の授業開始を知らせる予鈴が鳴った。
エリート育成には厳しいやり方や熾烈な競争でしか、なしえないものがあるのかもしれない。
だが、それが魔導士教育の全てだとは信じたくなかった。
授業の本鈴より前に、ルーナは502教室の窓際の席に着いていた。
そんな彼女の元に歩み寄り、膝を着いて両手包むように握って告げる。
「たとえゆっくりでも、一歩一歩、共に前へと進みましょう」
「ちょ! キモッ! センコーどうした頭でも打ったか!?」
心配するつもりが、逆に心配されてしまった。
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