「メモを取るとは大変勉強熱心なのですね」
「…………」
「あの、お名前だけでも教えていただけないでしょうか? どうお呼びしてよいのか……」
「……サス……えっと……」
「サスエットさんですね。どのようなことで、わたくしはあなたの力になれるでしょうか?」
「……名前……ちが……ううん……あの……もっと……」
「なんなりとお申し付けください」
彼女の瞳をじっと見つめる。彼女は学校からわざわざ追いかけてきたのである。しかもメモまで取るほどに真剣なのだから、こちらもますますしっかりと彼女の要望に応えねばならない。
「……み、見ないで……」
「はい?」
「……じっと……見ないで……呼吸……止まりそう……胸……苦しくなるから」
少女はメモをしまうと胸元に手を当てた。張り詰めて少しきつそうだ。
「苦しいのですか?」
「……とても……こんな気持ち……初めて……胸が押しつぶされそう……心臓……ドキドキ」
少女の白い頬が赤らんだ。心拍と呼吸が早まる。
「……圧が……すごい」
言われてゆっくり一歩、引き下がった。どうやら迫りすぎてしまったらしい。
またも失敗してしまう自身の未熟を恥じるばかりである。人並み以上に高い背丈もあって、圧迫感を与えやすいことを、そろそろ自分は学ぶべきだと自戒した。
「これは失礼いたしました。怖がらせてしまったようですね」
十分に距離をとったところで笑みを浮かべると、少女は小さな両肩をビクン! とさせた。
「……もう……無理……こんな風になるの……はじめて……どうしていいか……わからない」
と、同時に少女は腰の後ろ側に腕を回し、青みがかった短杖を抜き払い構えた。
「……水煙白夜」
瞬間――
真っ白な霧がサスエットを中心に立ち上った。霧が晴れるとそこに少女の姿はなく、メモの切れ端が書き置きとして残されていた。
「探さないでください……ですか。承知いたしました」
魔法を使わせてしまうほど怖がらせてしまったらしい。
「結局、どのような用件だったのでしょうか」
もしかすれば、もう二度とこちらの前に姿を現さないかもしれない。
追跡してきた初対面の少女に、どう接するべきだったのか。今度のためにも、ルーナに参考意見を訊いてみよう。
きっと彼女なら正解を教えてくれるはずだ。
翌朝――
女子寮の前でルーナを待っていると、登校する生徒たちの一群に揺れるウサミミリボンを見つけた。
「おはようございますルーナさん」
「学校つくまで無視すっから」
「わざわざ警告してくださるなんて、ルーナさんは優しく思いやりのある立派な人です」
「う、うっせーばか……はい無視~今から無視~」
うつむいて顔を赤くすると、彼女は案山子の横を素通りするように、こちらをスルーして行ってしまった。
その三歩後ろにぴたりとついて歩調を合わせる。
「ところでルーナさんは、サスエットさんという女子生徒をご存知ですか?」
彼女は振り向くことなく足取りを速めた。
「生徒数も多いですから、名前を知らなくとも無理はありません。早く友達ができるとよいですね」
ますます少女は急ぎ足になる。
「遅刻するような時間ではありませんよ? そう急がずとも学校は逃げません」
艶やかな黒髪に覆われた背中は、今日も小さく愛らしい。
「無視させろ……つーか、朝から他の女の話をしにきたのか?」
「はい?」
「な、なんでもねーし」
「ええとですね……先日の放課後、サスエットさんという生徒に尾行をされまして。彼女とは初対面ですし、わたくしとは接点もないもので、もしやルーナさんのご友人の方かと思いまして」
少女は立ち止まり、長い髪を揺らして振り返った。
柳眉を上げて怒った顔だ。
「そんなやつ知らないし!」
「そうですか。では参りましょう」
ルーナを追い越すように歩き出す。
「ちょ! 待て待て待てーい! そうですかって! 気になるなら探せばいいだろ」
「おっと、そうですね。ルーナさんは賢い方です」
「センコーが常識とか良識とかすっぽり抜けてんだよ!」
ぷっくりと頬を膨らませながら、彼女は一歩こちらを追い越して、先導するように歩き出した。
ざっと周囲を見回す。昨日と同じく、女子生徒たちの視線を集めてしまっているようだ。
その中にサスエットの姿は見られない。
「いませんね」
小さな背中に告げると少女は口を尖らせた。
「で、その女子生徒にはなんもしてないだろうな?」
「もちろんですとも。神に誓って犯罪行為はいたしておりません。せいぜい逆にストーキングして先回りした上で、お話を伺ったくらいです」
「先回りとか言ってる時点でもう怖いんだけど」
「その方がサスエットさんも話しやすいかと思いまして」
ルーナが大きく溜息をつく。
「逃げ切ったと思って前を向いたらセンコーがいるって、ガチでやばいから」
「後ろからの方が良かったのでしょうか」
「それもダメだっつーの!」
「では横から?」
「いや、それ後ろからと大差ないし」
「まさか下から……下水道を使ったルートでしょうか? 不衛生ですので追走するにはあまりオススメはいたしかねますが」
再びルーナは立ち止まると振り返った。ウサミミリボンをピンと立てて、こちらの顔を見上げて吼える。
「ルートの問題じゃねえからあああ!」
「そうでしたか。困りました。見知らぬ女子生徒に追いかけられ、こちらが声を掛けた途端に、まるで猫のように逃げ出してしまいました。果たしてこれが意味するところとは、なんなのでしょう」
「センコー猫が好きなのか?」
ルーナは手を丸めるようにして、少し長めな制服の袖からちょこんと出して見せた。
猫の仕草の形態模写だ。とても愛らしい。
「はい。ですが猫にはあまり好かれないようで、いつも逃げられてしまうのです」
「動物って本能で色々と察するんだよな」
「わたくしの猫を愛でたいというエゴを、猫が察してプレッシャーに感じているということですね」
「多分もっとヤバイやつだよ。殺意とか殺気とか邪気とか。本能的に関わったらやられる的な……って、猫の話じゃないんだけど……うん、そういえばおかしいよな。センコーを狙うなんて。だってセンコーって新米ペーペーの教師だろ? 学校で権力があるってわけでもないし」
ルーナは手を丸めるのをやめて腕組みをして小首を傾げた。への字口になっても愛くるしい。学校の購買部名物のメロンパンを持たせてあげたい。小柄な彼女が手にすれば、メロンパンが相対的に大きく見えてしまうだろう。
「なにニヘラーって顔してるんだキモッ!」
「ルーナさんにはきっとメロンパンがよくお似合いになるかと思いまして」
「今の会話のどこからメロンパン出てきた!? ますますわけわかんねー! というか、アタシの話を訊け! きちんと訊け! 拝聴しろ!」
「はい、なんでしょうか」
「知らない女子に追っかけられたんだろ? で、気づいて声を掛けたら逃げられた……間違い無いな?」
「間違いありません」
ルーナは自身の顎先を人差し指と親指で軽くつまむようにした。まるで名探偵が迷宮入りになりかけた事件を、解決に導くかのような素振りだ。
「その時、そいつ……えーと」
「サスエットさんです」
「会話したんだよな?」
「ほんの少しの間でしたが、お話させていただきました」
「どんな話をしたんだ?」
「いつも通りですよ?」
「センコーの普通とかいつも通りはおかしいんだよ自覚しろ……な?」
確かに、自分にとっての普通が他の誰かにとってはおかしいということは多々ある。それくらい普通とは曖昧な言葉だ。
「そうですね。ルーナさんの普通と、わたくしの普通が同じとは限りません」
「いや、一般論的な話じゃなくて……もういい! 何を話したのか詳細に教えろ。どのタイミングでドン引きされて逃げられたか、アタシが判定するから」
これは願ってもないチャンスだった。
「ルーナさんに相談してよかった。きっとわたくし独りでは、この謎を解き明かすことなど夢のまた夢でしたでしょう」
一呼吸置いて、先日の会話を一字一句漏らさず、息づかいや間合いも交えて再現した。
一人二役で。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!