結局、闇魔法について本から知識を得るのはまたの機会ということになった。
二人一緒に来たばかりの図書館を出る。そのまま町の西方面へと向かい、治安維持局の庁舎前を通りかかった。
桜の花をモチーフにしたエンブレムのレリーフが掲げられた立派な門があり、奥には切り取ったバームクーヘンのような形の建物が、デンと構えている。高い門を見上げると、つい言葉が漏れた。
「このエンブレムには昔、よくお世話になりました」
「なんだセンコー? ちょっとした武勇伝でも語ってくれるのか?」
露店で買ったばかりのイチゴジェラートを手に、少女が首をかしげる。
「すみません。ルーナさんに申し上げるようなことではありませんでしたね」
「国家権力にたてつくなんて、センコーも案外やるじゃん」
「褒められたものではありません。このことはどうか内密にお願いいたします」
「心配すんなって。センコーの言動の半分くらいは失言だし、アタシも学校で言いふらしたりしないからさ……つーか、言う友達もいねぇし……」
少女は少し寂しげに口をとがらせる。
「ルーナさんはお優しいですね」
「お、おまっ……そういうのやめろって。嫌味だろ」
「わたくしは心よりそう思っております」
少女はそっぽを向いて黙り込んだかと思うと、猛烈な勢いでイチゴジェラートを食べきってしまった。
一呼吸置いてルーナはこちらを見ずに訊く。
「で、次はどうするんだ?」
「ノルンヴィノアは商都ですから、商業地区へと参りましょう」
少女はぱあっと明るい表情で向き直った。
「か、かか、買い物するのか?」
「社会科見学ですので、商店の種類や規模などの確認です」
「な、なーんだ。そうだよな」
ルーナは眉尻を下げながらため息交じりだ。瞳は濁り死んだ魚のようだった。
「が、何か入り用のものがありましたら、一緒に買っていってしまいましょう。学校の購買部では手に入らないものも多いですし」
再び少女の瞳に生気が戻る。
「よ、よぅし! センコーが買い物したいんなら付き合ってやんよ!」
「わたくしは特に買う物はありませんが……」
「見に行けば欲しくなるだろ? ほら早く早く! 停車場に次のトラムがついちまうぞ!」
ルーナは街路樹わきの歩道を駆けていく。治安維持局の前を通り過ぎ、彼女のあとについてトラム待ちの列に並んだ。
トラムで町を半周して商業地区に戻る。大通りは休日とあって買い物客で大賑わいだ。
ルーナに連れ回されて、衣料品や小物雑貨に女性向けの下着の店へとはしごした。途中途中でジェラートの補給も忘れない。
どの店でも彼女は無邪気に楽しんでいたようだが、買ったものはといえば、最後に訪れた観光客向けの土産物店で売っていた木刀だけである。
「超カッコイイだろコレ。センコーも欲しくなったんじゃないか?」
「洋服はあれほどたくさん試着されたのに、お買い上げにならなかったのですね」
「う、ウッセーばかぁ! どっかの誰かさんが何着ても同じことしか言わないからだろ!」
「どれも大変良くお似合いでしたよ」
「そういうことじゃねぇんだよおおおお!」
「わたくし女性の衣類についてはとんと疎いものでして」
「期待したこっちがバカだったよ」
教師として何を期待されていたのだろうか。実際、彼女はどんな服もよく似合っていたのだし、嘘はついていない。
正直なだけでは教師という仕事は勤まらないらしい。
と、考え事をしている間も、少女は木刀を天に掲げて見上げていた。
「ルーナさんの身長くらいありますね。取り回しが良くなるように少しカットして長さを調節しても良いかもしれません」
「わかってないなぁ……自分の身長くらいある巨大武器を自在に振り回すのがカッコイイんだし」
「はぁ……そういうものでしょうか」
「ロマンだよロマン!」
そんなやりとりをしつつ――
少し遅めの昼食をカフェでとることとなった。店の名物はパンケーキだ。
四段重ねのクリームとフルーツでできた巨大な塔……いや、山というべきそれを、ルーナはぺろりと平らげた。あれだけジェラートを食べたのに「別腹」だそうで、彼女の甘い物へのキャパシティは小さな身体に反して驚くべきものがある。
そんなカフェにも、いつの間にかサスリカがついてきていた。様々な店をルーナの好奇心の赴くままに移動したのだが、しっかりこちらを捕捉し続けたようだ。
直視せず、氷水のつがれたグラスに姿を映して確認する。サスリカの服装は軍学校の制服から空色のワンピースに変わっていた。
つばの広い帽子とレンズに色のついた眼鏡をして、変装しているつもりらしい。
みれば服も小物も、ルーナに連れ回された店で目にした商品だった。
小脇の少し大きな包みには、おそらく制服が折りたたまれてしまってあるのだろう。
サスリカも尾行をこなしつつ、買い物を楽しんだようだった。
ほっぺたにクリームをつけたまま、ルーナがにっこり笑う。
「で、このあとはどうするんだセンコー?」
「本日の予定はすべて消化いたしました」
「終わりなのか?」
「あとはトラムに乗って公園前に戻り、現地解散となります」
「そっか……ま、まあそうだよな。べ、べべ別に夜の町とか見学しないよな。いろいろ危ないし」
「そうですね。治安維持局の派出所が各所にあるとはいえ、ノルンヴィノアは大きな町ですから、柄の悪い人間もいるでしょう。あまり遅くならないうちに、ルーナさんを寮に送り届けねばなりません」
「寮まで来なくていいから! つーか毎朝迎えに来るのもやめろよ恥ずかしいんだぞこっちは」
「それはできない相談です。せめてルーナさんに登下校を共にするご学友がいればよいのですが」
「友達作るまでやめないっていうのか!?」
「ルーナさんはとても可愛らしく、優しい淑女です。心配なさらずとも、すぐに友達ができますから」
「うううう! 喧嘩売ってんのか! 売ってんだよな? 表でるかコラァ!?」
「そういえば、ノルンヴィノアの商店では売っていないものですね」
「ああもうなにがそういえばなんだよぉ!」
「今日はとても有意義な一日でした。ルーナさんのことをたくさん知ることができましたし」
「うっせー……けど……た、たのし……かったぞ。うん。また一緒に校外学習してもいいし、今度はその……図書館に、もうちょっと長くいてやってもいいから。闇魔法のこととか、調べなくていいし」
もじもじとした口ぶりながらも、ルーナの口から「楽しかった」という一言があっただけで、今日は最高の一日になった。
「それは素晴らしいですね」
が、次の機会ということを意識した途端、ルーナに返した言葉とは裏腹に一抹の寂しさを覚えた。
いずれ彼女の特別補習は終了する。早ければ来月にあるという、学校主催の魔法術戦トーナメントにルーナが参加し、優秀な成績を収めれば、一般クラスに編入するくらい訳はないだろう。
魔法戦主体とはいえ、ルーナには得意の剣術がある。闇の魔法と組み合わせれば恐るべき魔導士殺しになるだけの条件が、ルーナにはそろっていた。
「なんだよセンコー。眉間にしわ寄せすぎると眉毛がつながるぞ?」
「おっと、そうですね。ぼんやりしているうちに、ポットの中で紅茶が渋くなりすぎてしまったようです」
食後の紅茶を飲み終えると、会計をそれぞれ済ませて店をあとにする。
サスリカもワンテンポ遅れて席を立った。
彼女にも半日お疲れさまと言ってあげたい心情だ。
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