ルーナが学校の空気になじめないのは、魔法が嫌いだからかもしれない。
「好きでもないことを勉強なんてできるかよ」
「そうですとも……ただ、この学校に入学を許可されたということは、ルーナさんには魔法の才能があるということ。自分を知ることは恐ろしいでしょう。それでも、力の使い方を学べば、ルーナさんの出来ることは格段に増えるのです。貴女の世界が広がるのです」
「世界が……広がる……」
「人生において、選択肢は多いにこしたことはありませんから」
「そんなもの……いらない!」
拳を握り少女は肩を震えさせた。表情は怒りよりも苦悶に満ちている。
「こんな力……アタシはいらなかった! みんなを傷つけて、怖がらせて、誰も救えない……誰も癒やせない……だったらアタシなんかに関わらなきゃいいんだ! テメェもだぞクソセンコー!」
魔導士の系統として、彼女は攻撃系の魔法――炎属性や雷属性に長けているのだろう。
後に天才と呼ばれる存在であっても、若い頃は、その力の扱いに戸惑い周囲の人々を傷つけてしまうことがある。原石が大きければこそ、制御できずにこぼれる力も、一般人の比ではない。
力の暴発を恐れて魔法を使うこと自体を忌み嫌う。雷帝と謳われるあの方と、同じだった。
ルーナは優しい少女だ。他人の痛みを解る人なのだ。
そんな彼女にこそ、この学校で正しく力の制御法を学んでもらいたい。
今の自分に出来ることは、ルーナが力を使うことへの不安を和らげ受け止めること。
ただ、それだけ。
「わたくしは傷つきません。遠慮無くその力と思いの丈をぶつけてみてください」
少女がこちらに向き直る。
「本当に……?」
ルーナの口振りには、かすかに幼さを感じさせるものが混ざり始めていた。
「はい。全力で受け止めましょう。さあ、心を解き放ってください。子供は大人を頼っても良いのです」
「言ったな! ど、どうなっても知らないぞ!」
少女が構えたのは学校指定の魔法銀製ではなく、漆黒の鉱石系の短杖だった。
これは……いけない。
杖の材質には使い手の系統が反映される。
そして黒は闇属性の特色なのだ。
かつて帝国を内部から蝕み破滅に導かんとした、闇魔導士結社の魔導士たちの手には、常に黒色の杖が握られていた。
「アタシの全力……受け止められるもんなら受けてみろッ! 黒縛煉獄ッ!」
心が恐ろしさで満ちると同時に、手が震え意識が闇に呑まれる。
闇の魔法に“対応”しなければ……。
だめだ。彼女は自分の生徒なのだから。守らなければならない大切な……生徒なのだ。
そして自分は――
その場で意識を失った。
◆
目が覚める。天井の作りはどこも同じだが、消毒液の匂いがした。おそらく校舎一階の医務室だろう。
真っ白い清潔なシーツの敷かれたベッドの上だ。
ベッド脇の丸椅子にルーナがちょこんと座っていた。眉尻は下がり不安げだ。
「おい……大丈夫かセンコー?」
「はい。おかげさまで。ルーナさんがここまで運んでくださったのですか?」
「んなわけあるか。礼なら剣術のセンコーに言いな」
少女は目を合わせてくれなかった。
「それでも、わたくしが卒倒したのをみて誰かに助けを求めてくださったのでしょう?」
コクリと頷く。
「まさかアタシの魔法を見ただけで、失神するとは思わなかった」
彼女は思い詰めたようにうつむいたままである。心配を掛けてしまうなんて、教師として……いや大人として情けない限りだ。
「受け止めるとお約束したのに、申し訳ございません」
「つかさ……なんなんだよ? 苦手な剣があれだけ使えて……魔法が一番得意じゃなかったのか? 魔法学校のセンコーなんだろ?」
「強いて上げるなら……です。わたくし程度の魔法の使い手など、世界にはごまんといるでしょう」
少女は顔を上げると、金色の瞳でこちらを見据えた。
「じゃあ、なんでぶっ倒れたんだ?」
「わたくしは闇の魔法が大の苦手なのです」
「は?」
「お恥ずかしい限りですが……ルーナさんが得意とする闇の系統には、人を呪い殺すような魔法が多いものですから。目にしただけで、恐ろしさのあまり意識が飛んでしまうことがありまして」
彼女が得意とすることを、自分が苦手としている。ルーナを傷つけてしまうかもしれない。
自分ではルーナを受け止めきれないのだろうか。
「…………ぷっ……ざっこ」
少女は勝ち誇ったように胸を張った。
「じゃあこれで一勝一敗一分けだなセンコー」
「そうですね」
「なーんだ化け物かと思ってたけど、センコーにも弱点あるんだ」
「わたくしなど欠点だらけです」
「だよなー! 受け止めてみせます! みたいに言っておいて、闇魔法見ただけで倒れるなんてさ」
「ああ、それ以上は仰らないでください。わたくしにも人並みの羞恥心は備わっているのですから」
「やなこった………ざぁ~こ~ざぁ~こ~ピンク頭~♪」
ルーナの言う通りである。クラス担任を持つ以前の問題だ。
少女の黒髪が揺れた。
「ま、でも……これでわかったよ」
ルーナは椅子から立ち上がる。
最後は情けない姿をさらしてしまったが、彼女は補習を受ける決心をつけたのだ。誠意は伝わるものである。
「わたくしの授業を受けてくださるのですね?」
「んなわけないじゃん。学校辞める決心がついたっての。闇系統が苦手なセンコーじゃ、アタシを教えらんないだろ?」
笑う少女の瞳は不安げで、寂しい色をしていた。
「他の系統でしたらお教えできます」
「ざ~んね~ん! アタシは闇魔法しか使えないんだ! 他のやつらみたいに器用じゃないし……」
ルーナがクラスから弾き出された理由がようやく理解できた。
先帝時代に猛威を振るった闇魔導結社の暗躍が、近年カイン皇帝により白日の下にさらされた。
以降、世の中が闇魔法とその使い手を禁忌視するようになったのである。
このノルンヴィノア帝国軍魔法学校においても、本年度から闇魔法学科が廃されており、教えられる教師も在籍していないのが現状だった。
他の系統の魔法が少しでも使えれば、そちらを伸ばすという選択肢もあっただろう。
ここで閉ざされてよいわけがない。ルーナの道をどうにか未来へとつなげてあげたい。
「でしたら座学や他の身体を動かすような学科もありますから、どうか早まらないでください」
「早まったつもりなんてねーし。色々考えて出した結論だし。センコーだってさ……アタシみたいな問題児押しつけられてメーワクなんだろ?」
「そのようなことがあるものですか!」
ベッドから跳ね起きて、ひざまずき彼女の手を両手で包むように握る。
「……ファッ!?」
少女の顔をのぞき込むように見上げて続けた。
「闇魔法の使い手であれば、なおのこと辞めさせるわけにはまいりません。道を踏み外さないよう、わたくしはお手伝いしたいのです」
「魔導士の道なんてソッコーで踏み外してるんだけど?」
「人としての道は続きます。どうか辞めるなどと軽々しく仰らないでください」
「なんでそんなにしつこいんだよ!」
こちらの手を振りほどこうとするのだが、強く握り返す。
「あなたは、わたくしの生徒なのですから」
「…………うっ……うざっ……」
「わたくしを教師と思わなくても構いません。センコー上等です。いえ、むしろ友だちになりましょう」
「なに言っちゃってんの? 頭がいっちゃってるわけ?」
「わたくしは本気です。マジにございます」
「使い方おかしいからそれ」
「共に勝負をしたわたくしたちは、もはや戦友ではありませんか?」
「……意味ちげーし。仲間じゃねーし」
ルーナは眉尻を下げた。
「ですからどうか、一緒に考える時間をいただけないでしょうか?」
少女は黒髪をさらりと流すようにして、プイッと顔を背けた。
一瞬の間をおいて――
「べ、別に……それくらいなら……うざいから手……放してよ」
「あっ……と、これは失礼いたしました」
大きな溜息を吐くとルーナは呟いた。
「認めたわけじゃないけど……そっちにもメンツがあるだろうし、もうちょっとつき合ってやんよ。エミリオせ……センコー」
「はい。これからもよろしくお願いします。ルーナさん」
こうして教師一人、生徒一人の特別補習クラスに、ようやく新しい春が訪れた。
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