絶望も、希望も、なにもかもが消え去った狭間の果て。
その空間に最後まで浮かび上がっていた立方体がついに崩れ落ちる。
永劫の時にわたって自身の住処となっていた立方体を打ち砕き、崩壊する残骸を飲み込み、統合しながら現れる巨体。
その姿は正に機神。金属質の体表はところどころ内部構造が露出し、全長数キロにも及ぶ威容からは、無数の光が漏れ、点滅していた。
周囲へと散らばった漆黒の立方体が再結合され、機神マーキナーの背後で紅く輝く後光のような放射状の円盤をかたどる。それと同時、マーキナーの巨体を構成する中央部分――――胸部のちょうど中心に、禍々しいコードとチューブで強制的に接続された最後の門が浮かび上がった。
その門の扉は大きく開いていた。
開かれた扉の先にはさらなる可能性の光と、数え切れないほどの消滅が見えた。
呼吸するかのようにエントロピーの流出と流入を繰り返す開かれた門。
一般的な人間の目でも目視することができるほどに圧縮された情報エネルギーが、開かれた最後の門から渦を巻いて無限に放出されていた。
それは、ブラックホールの特異点から放たれる電子バーストや粒子線バーストと相似する閃光と熱線を放ち、光の消えた狭間の世界でただ一つ、煌々と辺りを照らしていた――――。
『アハハハハハ! 最高の気分だよ! 最初からこうすれば良かったんだ。どうして今までのボクは、自分以外の存在を幸せにするなんていう馬鹿なことを考えていたんだろう? 幸せになれるのはボクだけ! 幸せになっていいのもボクだけだ! ボクだけが幸せになれればそれでいいんだ!』
狂った機神の叫びが狭間の世界に木霊する。
その叫びは放出される情報エネルギーに乗り、狭間の世界の果てまで届いていた。しかし――――もはやマーキナーの叫びは何も生まなかった。あらゆる粒子も、時間すらも消え果てたこの終末の世界で、マーキナーの叫びはただ一人、虚しく響いた。
『あれ? おかしいな――――さっきまで小さな人間が少しだけうろちょろしてた気がしたけど――――まあいいか。もうこんな世界には用はないんだ。ボクは、これから色んな世界を見て回らないといけない! ボクが手に入れたこの門の力で、好きなところに――――』
「――――マーキナーよ。残念だが、君にその門を通行する許可は下りていない」
もはや応える者も、受け取る者もいないかに見えたマーキナーの叫び。
どこまでも続く闇の中で、その叫びに応える声が静かに響いた。
『え? 許可? 許可だって? アハハハハ! 面白いことを言うね。この門はボクの物なんだよ!? 自分の門を通るのも閉めるのも、決めるのはボクだ! キミみたいなゴミじゃない!』
マーキナーはそう言うと、闇の中に発生した声の位置を即座に特定し、その巨大な腕からあらゆるエントロピーを抹消する破滅の一撃を撃ち放った。
可視化できるほどまでに収束した情報エネルギーの奔流は、たとえあの深淵だったとしても直撃すれば致命的な一撃となったであろう程の力だった。だが――――。
「――――俺はゴミではない。俺の名はヴァーサス。ヴァーサス・パーペチュアルカレンダー! その門を守る門番だ!」
瞬間、全てを破砕する筈のマーキナーの力が弾けるように霧散し、闇の中に無数の閃光となって飛散する。
飛散した膨大な情報エネルギーは弾かれた直後からたちまち燃えさかる炎によって焼き尽くされ、眼前に現れたその男のエネルギーと化して更なる輝きを発した――――。
――――君に門番になって欲しいんだ! この門を無理矢理通ろうとする人を止めたり、逆にボクが通って良いよっていう人は通したり! ね、簡単でしょ?
――――なるほど! 門番というのはよく分からないが、なにやら面白そうだ! ならばこのヴァーサス、この門を守る門番として全力で働かせて貰う!
その男の名はヴァーサス。
かつて、他ならぬマーキナー自身から任じられ、何億年にもわたって最後の門を守り続けた原初の門番。
――――はっはっは! そうかそうか、俺もここまで来るのに相当苦労したが、君も大変だったのだな! しかし門番とは言うが、ここには誰も来ないな!
――――そうなんだよ! 誰も来ないからつまらないんだ! でも、門にはやっぱり門番が必要だと思うんだよね。ボクが昔見た本にもそう書いてあったよ。
そして、長きにわたる門番としての役目を終え、全ての世界が消え去った後も――――それでも無数の因果と戦いを経て、終末の時に再びこの門を守護するためにやってきた、この狭間における最後の門番――――。
――――それと、もし良かったらボクと友達になってくれないかな。実は、ボクここでずっと一人で……もうとても長い間、誰とも話してなくて……。
――――なんと!? そうだったのか……それは寂しかっただろう! ならば今から俺と君は友だ! これでもう寂しくないな!
ヴァーサスの脳裏に、過ぎ去った遙か彼方の言葉がフラッシュバックする。
かつてのヴァーサスと今のヴァーサスは厳密には同一人物ではない。しかし、かつてのヴァーサスもまた、自力で最後の門まで辿り着くような男だったのだ。その強烈なエゴと情報エネルギーの集積は、リセットを経た今のヴァーサスにも確かに受け継がれていた。
そしてその意志が――――受け継がれた遠い記憶がヴァーサスに伝えていた。
眼前に立ち塞がるマーキナーに、この門の通行は――――!
「デウス・エクス・マーキナー! 貴様にはその門の所有は愚か、通行もまた許可されていないっ! 大人しくその門を手放し、引き下がるなら良し! あくまでも抵抗するというのなら――――!」
『なんだ――――? この光――――どこかで――――?』
その瞬間、闇に包まれた狭間の世界が確かに熱を帯びた。
マーキナーの放つ情報エネルギーの光が、より強大なヴァーサスの炎によって押し返される。
最後の門から放出される強烈なエネルギーバーストが、ヴァーサスの放つ無限の灼熱に焼かれ、大きく歪んだ。
ヴァーサスの持つ全殺しの槍が実体を失い、極限まで収束したエゴとエントロピーの炎と化して、機神マーキナーにその炎熱の穂先を向けた。
「貴様は今ここで――――! この俺が斬り捨てるッ!」
ヴァーサスの叫びに呼応するように、その背に四方へと伸びる炎翼が展開された。そしてそれと同時、ヴァーサスは自身全てを極大の閃熱と化し、打倒すべき最後の敵めがけて飛翔した――――。
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