「――――もう体は良いのか?」
「うん……心配させて、ごめん」
ロコが倒れ、ヴァーサスが巨大な門に似た構造物へと辿り着いてから暫く後。ヴァーサスとロコは自身の所属する研究機関の一室に集まっていた。
「ロコが謝る必要は無い。全ては不可抗力だ」
「――――ありがとう。ヴァーサスはいつも優しい」
「――――お前にだけだ」
当時、ヴァーサスとロコは間もなく成人になろうかという年齢だった。まだ年若いにも関わらず突出した二人の天才は、宇宙どころか別次元への移動すら可能にし始めていたこの世界の学術界、知識界のトップに君臨していた。
ロコのエントロピーと因果を蝕んだあの門についても、ヴァーサスの主導によって研究が進められ、その存在の全貌は徐々に明らかになりつつあった。
「測定不可能なほどのエントロピーがあの門から流れ込んでいる。あの門の存在は、遠からず情報量仮説を裏付けることになるな」
「情報にもエネルギーが存在する。増え続ける新しい情報こそ、宇宙を膨張させるダークエネルギーの正体――――ヴァーサスが殆ど実証していたけど、これでもう確実」
「そして、ロコとあの門の関係だが――――これを見てくれ」
ヴァーサスは言いながら、ロコに自身の端末を差し出す。そこには、門から流れ込むエントロピーの流入が、ロコに対して行われていることを示すデータが表示されていた。
「――――わかるよ。今も感じてる。私の中にあの門がある。門を通して色々な世界の情報が私に流れ込んできてる」
「そうだ。あの門にとって、お前という存在はフィルターのようなものだ。形を持たず、規則性も無いバラバラのデータが、ロコという高度な知的生命体の認識と観測を通過することで、俺たちの世界に順応した形として出力される。つまり、より洗練された情報エネルギーとして行使できるようになる」
「私、多分使えるよ……あまりにも力が大きすぎて、全部壊してしまいそうで……私が私じゃ無くなってしまいそうだったから、使ってないけど……。きっと、私が願えば、この宇宙だって壊して……っ」
ヴァーサスの説明を受けたロコは、小刻みに震える自身の肩を抱き、その黒い瞳に恐怖の色を宿した。
「――――お前には俺がいる。俺がお前にそんなことをさせたりはしない」
「ヴァーサス……」
自身の内から湧き出してくる強すぎる力に恐怖するロコを安心させるように、ヴァーサスはロコの手にそっと自身の手を添え、その力強い瞳に決意を宿した。
「お前は創られた人間である俺を蔑まず、特別扱いもせず、いつも俺の傍に居てくれた。お前の居ない世界は、きっと俺にとってとても冷たい世界だ」
「私もそう――――ヴァーサスは暖かいよ」
「そうか? 自分ではそんな気は全くしないが」
添えられた手の温もりに笑みを浮かべ、ロコは慈しむような瞳でヴァーサスを見つめる。
遺伝子だけでなく、肉体を構成する細胞一つ一つにまで手を加えられ、新人類のモデルケースとして誕生したヴァーサスに姓は無い。世界が抱える全ての難題や、人類が直面する様々な困難と対峙し、打倒する存在。それがヴァーサスという名の由来だった。
しかしヴァーサスの強さ、そして生物の限界を遙かに超えた頭脳は、生み出した人類にすら手に負えるものでは無かった。当初は許されていなかった自由な生活も、表舞台での様々な活動も、全てヴァーサスは自力で手に入れた。
どんな束縛も、拘束も、彼を制御下に置こうというあらゆる企みも、ヴァーサスはそれら一切の全てを容易く打ち砕いた。今こうしてロコと共に歩むことが出来る日々も、ヴァーサスが自分自身の行動によって手に入れたものだ。
「俺は、俺を邪魔する物はなんであろうと乗り越えてみせる。お前に降りかかる厄介事も、俺の力で乗り越えるべき障害だ。破壊するか懐柔するか、従えるかはその障害次第だがな」
「――――私は破壊されてないし、懐柔もされてないし、従わされてもいないけど」
笑みを浮かべて不敵に宣言するヴァーサスに、不思議そうな顔で首を傾げるロコ。ヴァーサスはロコ独特のその物言いに僅かに赤面し、否定の言葉を返した。
「お、お前はそういうのじゃないっ! 大体お前は俺の邪魔になったことはないっ! 何度も言っているだろう!」
「前は、私が来ると『邪魔な奴だっ!』て言ってたよ」
「――――忘れろ。若気の至りだ」
「ヴァーサスはまだ若い。十九歳」
「お前は子供かっ!」
そう言い合いながらも、ヴァーサスとロコはこの世界の運命の歯車が大きく動き出したことを理解していた。ロコをリンク先として門が選択したということは、なんらかの合図なのだ。
研究が進むにつれ、二人のその予想はますます現実味を帯びていく。別宇宙への探索を行っていた調査隊が相次いで消息を絶ち始めたのだ。
ヴァーサス達が住む宇宙空間の外側には、無数の宇宙が浮遊する狭間の領域が存在することまではわかっていた。そこに浮かぶ無数の宇宙は、それら全てが大本である一つの宇宙から枝分かれした異なる可能性の宇宙であることも。
門のリンクマスターとなったロコは、それ以降別の宇宙で起きた様々な事象を垣間見ることができるようになった。そしてロコはやがて、そのイメージの中にある特定の因果が不自然に多く含まれていることに気づく。
「全てではないけど――――でも、とても多くの世界が、最後には真っ黒な闇に包まれて終わる。超圧縮や熱的死で終わる宇宙は殆ど無い。どの宇宙も、結末は闇の中――――」
「時間すら存在しないはずの狭間の領域に、とんでもない化け物がいる――――最も当たって欲しくない予想だったが――――」
――――次元喰い。
狭間の領域を彷徨う、無差別に宇宙を喰らう超存在の実在。ロコを通してもたらされる異世界の情報は、そんな化け物が本当に存在していることを明確に示していた。
そして、ヴァーサス達が住むこの宇宙にも、やがてその次元喰いが訪れる。
狭間の領域で調査隊の事故が頻発していることや、そこから送られてくる最後のデータの解析結果は、その絶望の未来までにそれほど時間がないことをヴァーサス達に無慈悲に突きつけていた――――。
「忌々しいが、俺たちが持つ技術で次元喰いを破壊することは不可能だ。逃げるしかない」
「逃げるって――――どこへ?」
門の研究を開始してから一年後。ヴァーサスは次元喰いの存在を実証することに成功する。しかしその存在のあまりの強大さは、ヴァーサスをして打倒不可能という結論を早々に下した。
「門の向こう側だ――――俺も門には思うところがある。いい機会だ、ここで俺と門との因縁に決着をつけるとしよう」
かつて存在しなかったほどの巨大さを誇る、自身が設計した次元航行船を眼前のモニターに映し出すヴァーサス。
そのモニターの片隅には、無数の門へと力を注ぎ込む、一際巨大な門のモデルが映し出されているのであった――――。
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